熊沢農水元次官がDVニートの息子を刺殺して逮捕というニュースがテレビをにぎわせている。
そのまえは川崎で児童ら20人が殺傷された事件に沸いていた。
家庭内のことはわからない。
息子を厄介者となるよう躾けてしまったのか、息子には元から劣悪なDNAが備わっていたのか、真相はわからない。
ただ、DVニート息子のしてきた暴力や家族を苛んできた行為が真実なら、報いを受けたとしか言いようがない。
親が悪辣な子どもを作りだした責任をとって後始末をつけたとか、
あらたな児童殺人者をこの世に送り出さずに済ませたとか、
似たような思いをしている親御さんの溜飲を下げてくれたか反面教師になってくれたとか、
真相を知らないので、いまは熊沢氏への同情のセリフしか浮かんでこない。
川崎殺傷事件の犯人には同情の余地もない。
ただ、犯人の側に立って何が引き金になったのかを勝手に想像すると、一つの仮説が思いつく。
家族となる人たちから大切にされず育ち、劣等感とやり場のない怒りを抱えたまま、いじけきった心で日々を過ごして大人になった。
周りが自分を厄介者扱いしているのは空気で感じる。
しかし、それを打破できるほどの知的能力もなければ、環境も彼には協力的とはいえない。
すでに臨界点を超えているほど、頭打ちの人生に疲れていた。
孤立するたびに、吐き出し方を知らない怒りが内に増幅されていった。
そこへ、たまたま目が合ったスクールバスに乗ろうとしたセレブ小学生から鼻で嗤わったさげすみ笑いをされたとしたら?
良識からいえば、だからといって殺すことはない。
私の貧困な発想で考えられるのはこれが精一杯だ。
そして、私が考えることは他の人も考えているから、きっともっと動機に迫っている人だっているだろう。
そして今回学んだことがある。
”十数秒の間に刃物で子供は19人殺傷できる”
人を殺そうと思う狂気を甘く見てはいけないのだと改めて感じた。
――じつは本文の枕にするネタだったのに、思わず長くなってしまった。
悪い癖だ。
そんなわけで、本文昇格。
テキトーだなあ