ご縁あって古典、メアリー・シェリー作「フランケンシュタイン」を読むことに。
試写会「メアリーの総て」も観に行ってきた。
読むまで誤解していたのは名前。
「フランケンシュタイン」は怪物(人造人間)の名前ではなく、
人造人間を造った人ヴィクター・フランケンシュタインの名前だった。
フランケンシュタインといえば「怪物くん」のフランケンか、
アンディ・ウォーホール制作の映画「フレッシュ・フォー・フランケンシュタイン」を思い出す私。
ちなみに、後者は観ていません。
グログロ映画なのは知っているし、同じアンディ・ウォーホール制作の「ブラッド・フォー・ドラキュラ」で懲りたから。
あれは人生最悪の映画だった(-"-;)
「女に学問なんて」といわれる性差別が横行している19世紀イギリス。
まだクローン技術だのない世界でよくこんな発想をしたものだと驚かされたけれど、
さらに、18歳で書き始め、20歳で完成させた作品だと知って愕然とする私。
いくら昔の人が成熟していたからといって、暗いテーマの話を良く書けたものだ。
とくに犯罪に加担した人、言うなれば効率的な爆破装置を作ったせいで大きなテロが起きたけれど犯罪の規模が大きすぎて自分のせいだとは言えなくなってしまった人(フランケンシュタイン)の心理と、
最初は純粋な心を持っていたにもかかわらず、孤独にさいなまれ、醜さゆえに行く先々で迫害を受けたせいで犯罪者になってしまった人(怪物)の心理が良く書かれていた。
犯罪心理小説として私は興味深く読めた。
メアリー・シェリー役はいまをときめくハリウッド女優エル・ファニング。
若くて純粋なせいで、調子いい色男(詩人、パーシー・シェリー)にコロッと騙されて関係を結び、
ところが、あとで相手が妻帯者だと知って愕然。
周囲から反対される恋だから駈落ちしたはいいけれど、パーシーの女癖は治らず、自分の実の妹と関係を持ってしまう。
借金まみれで不安定な生活に加え、生まれた子供は早世してしまい、失意のどん底。
浮気性のパーシーをなじれば、
「俺を束縛するな。おまえも男を作ればいいじゃないか」
とあきれかえるような戯言を返される。
逃げるようにしてパーシーの友人で詩人のバイロンの館へパーシー、妹、と転がり込むも
バイロンは妹といい感じ、パーシーはちっとも相手にしてくれない。
バイロンの友人の男性医師、ポリドリが優しくしてくれるけれど、パーシーほどの魅力は感じないからねんごろになる気にもなれない。
ああ、孤独だ――メアリーがそう思っているところへバイロンが提案する。
「この長雨で外にも出られず退屈だ。皆で怪奇小説を書かないか?」
これがのちに「フランケンシュタイン」を書くきっかけとなったのだった。
孤独な状況がメアリー・シェリーに作品と向き合わせる力を与え、絶望感が創作意欲へと変貌する。
その凄味がこの映画の醍醐味だったように思える。
犯罪心理小説としてならまた読み返してもいいかなと思えた「フランケンシュタイン」でした。
「名著 de 100分」でも取り上げられていたし。
まあ、フランケンのほうが好きだけどね。
私も怪物くんちには行きたかったなあ。
あと、鬼太郎ハウスにも。