基本、孤独が大好きで人と接するのが不得意な私。
人といると疲れてしまう。
気をつけていないと相手との距離感がわからなるのと、すぐ自分のことで手一杯になって周りが見えなくなるせい。
あと、考えてしゃべらないと空気が読めない発言をするから、気を遣うあまり神経質になるせい。
気が抜けない。
そりゃ一人になりたがるわけか、楽だから。
自分を理解したところで飛躍的に対人関係がうまくいくわけではないけれど、
気づかないでいた頃よりは、自分を取り巻く周りの空気が軽くなったような気がする。
気づくだけで見える景色が違う(私の場合はやっと一般人の目線がわかった)のだなあとしみじみ感じた。
とはいえ、生涯気づかず、人に迷惑をかけても自分だけが幸せな気分でいられる人は、
最高に幸せな人生を送れるわけだから、人間の社会とはうまくできたものだ。
人に迷惑をかける嫌われ者にとっては最高の天国が現世なんだろう。
本当の幸せを知らず、自己満足で人生を終えられるほどの幸福なことはない。
そんな人生、全然送りたくもなければまるで魅力も感じないけどね。
いろいろな人を見てきていまさらのように思うのは
意地悪な人は愛されていないか愛が足りない、あるいはもともとの性格が悪い。
愛されたら心の余裕から優しい気持ちが生まれるもの。他人にも優しさを渡せる。
「性格が悪い」を詳しく言えば、「人品卑しく品性下劣な醜悪遺伝子を持って生まれた」。
謙虚になれず謝れないで自分の好きなようにやりたいことをやる人は、新しい友達ができない。
家族と、いいときの自分を知っているから思い出バイアスでつきあってくれてる昔の友人しか人間関係がない。
友人がほしかったらおカネでしがらみをつくるしかない。
とはいえ、こんな人たちは新しい景色など求めていない。
矮小化された色褪せた景色とは知らずにどちらも自己満足で幸せに人生を終えるのでしょう。
私は自分の周りで「勧善懲悪」「因果応報」という事象を見たことがない。
悪い奴ほど恵まれて(自分だけが)楽しい思い謳歌していたり、天寿を全うしている。
正義の怒りではらわたが煮えくりかえるのを差っぴけば、
「気の毒な人生だなあ」と思ってそれで終わりの人たちなのだから、もう放っておきましょう。
ただし、「気の毒」のうえに「お」がつくけれど。
前社の荒れた様子と、前々社の黒い潮流を思い起こすにつけ、そんなふうに考えるのでした。
ちなみに、「嫌な奴とはかかわり合うな」といわれても、関わり合わないわけにいかないのがリアルなんだからテキトーなこというな、といつも思ってたわ。