しばらくさぼっていた、オードリー若林くんのエッセイ「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を読み終わる。
もしも本当に本人が全部書いているのなら、かなり文才があるし語彙力が豊富。
そして表現がとても適切。正直、うらやましい。
(抜粋 「キューバ行きの飛行機」)
しばらくして搭乗口のドアが閉まり飛行機がゆっくりと動き出す。
抜き足差し足で機体は滑走路に入る。
(中略)
突如、飛行機が加速して背中ごと背もたれに押さえつけられる。
怒りで唸っているようなエンジン音が機内にき渡り、速度がぐんぐんと上がっていく。
「これのどこが?」と思われるかもしれないけれど、
飛行機が離陸する様子を私はこんな「誰もが読んで理解できる、思い出して共感できる、追体験できるうえにちょっと面白い表現」は書けない。
総じていい話で面白く読めた。
調子にも乗らず、白けた目で物を見たりもせず、はしゃがず自然体で体験談を書いているところがまたいい。
そして、お父さんとのくだりを書いた後半は思わず目頭が熱くなった。
通勤中のおともには軽い本がいい。
そんなこんなで次に選んだのは酒井順子さんが「枕草子」を解説するエッセイ「枕草子REMIX」。
軽いエッセイなので2日目にしてすでに半分読み終わった。
酒井順子さんは清少納言がこの世にいたら、
「枕草子」に共感できるポイントがあちこちあるので、気の合う友人になれていただろうという。
塩野七生が「わが友マキャヴェッリ」というように、
歴史上の人物に気が合いそうな人が見つけられるのはなんとも僥倖であると思う。
もしも清少納言や紫式部がこの世にいたら、
「ついていきます、パイセン!」
と清少納言は姐御肌のさっぱざっぱした性格に惹かれ、
紫式部なら奥ゆかしくも教養の深い豊かな感性に尊敬の念を示していたことだろう。
でも、もし私が男だったら誘われても
「どっちもやなこった!」
とはっきりと拒否していたはずだ。
だって、どっちと遊んでもめんどくさそう。
かたや才気煥発すぎて勝気で負けず嫌いで極端な性格。
こなた陰気で根暗なオバサン。
そしてどっちも「もう、男ってバカばっかり」と男に辛辣そうだ。
特に清少納言は「枕草子」で思うさま男性をこき下ろしている。
基本、和歌を詠んだり蹴鞠をしたりの貴族のボンボンたちが、
おいそれと平安きっての才女に勝てるわけもない。
それを清少納言は憤り、「もー、男ってバカばっかりなんだから!」と悪しざまに「枕草子」に
「男のこういうとこ、信じらんない。ホント意味フ! バカじゃないの!」と書きなぐるわけだ。
相当教養の高いおしゃれな男じゃないとほめないし。
権力があってそこそこ若いうちはまっすぐな暴言も面白がられるから許される。
たとえばパリス・ヒルトン。
若いといっても30歳を超えて宮仕えをしているから当時は「熟女」の部類かもしれないけれど、
当代随一といわれた男たちにチヤホヤされているわけだから恋愛対象内と見られていたといっていいだろう。
でも、権力も若さも失った恋愛対象外の女が、面と向かって男の悪口をいったらどうだろうか。
ものすごく感じの悪い意地悪ババアだ。
私が男なら
「あんなオンナ冗談じゃない。さんざん人を意地悪く値踏みした挙句、他のイケメンと比較して、最後は枕草子のネタにするんだろうから」
と敬遠する。
「男って、もー!」のあと
「だけど、そんなとこがカワイイのよね」
とか、
「まったく、しょうがないんだから。うふふ」
なんて可愛げがあればまた人生も違ったんでしょうが、あの人にはそんなものはない。
通説では晩年、一人あばら家に住みおちぶれた、とされている。
いくら仕えていた中宮定子が権力闘争に負けたとはいえ、
最終的にはオトコも友達もいなくなっちゃったのがよくわかるエピソードだなあと思う。
「あんな女、碌な死に方しないわよ」
といった紫式部日記が予言の書になったとは有名な話だ。
それでも、楽しく読めているのは酒井順子さんの
「この人、美人じゃなかったから自分に近い境界線にいるブスが嫌いだったのでしょ」
「貧乏貴族の娘だからこそ庶民の存在が気になって目ざわりだったにちがいない」
といくら清少納言を好きでも一刀両断に分析するのが面白いから。
ちなみに、いま読んでいる「ドリアン・グレイの肖像」は好きになれそうにないので途中放棄を考えている。
むかし福田恒存訳で超絶美文のドリアン・グレイを読んだのだけれど、
難しすぎて何書いてあるかさっぱりわからなかった(オイ!)
なもんで、ゆるい翻訳の光文社古典新訳文庫で再挑戦しているのだけれど、やっぱり小難しい。
でも、耽美の極みのような美しい情景が美文によって綴られているのはオスカー・ワイルドの真骨頂として読んでおきたいところではある。
どういう話かっていうと、
美貌はあるのにアタマが弱くてこらえ性のない青年ドリアン・グレイが、
カッコつけナルシーで世馴れた風を装うヘンリー・ウォットン卿の薄っぺらいヨタ話に簡単に感化され、堕落する話。
ドリアンは若くて経験がない故つまらん人間に騙されて手玉に取られたようなものだ。
ドリアンの劣化を止められない自称ドリアンの親友、無能な画家バジル・ホールワード。
悪徳を栄養源にするのか、何年たっても美しいままのドリアン・グレイ。
反面、その肖像画は彼の心が悪に染まるたび醜く変貌していく――というファンタジー小説。
「ファンタジー小説」というと嫌味が過ぎるか。
ここまで悪態をつくのは、私がこのおバカドリアンとスカスカでナルシーなヘンリー卿が好きになれないから。
じつは「罪と罰」のラスコーリニコフもヘタレすぎてキライ。