よくあるのが書店員萌えです。
細身で背の高い知的な感じのイケメン書店員さんが、Yシャツにエプロン姿で重い本とか楽に持ち上げながら、探している本を丁寧に説明してくれると爆裂萌えです。
すべてのアンバランスが絶妙なバランスで成り立っているところがイイ!
――失礼しました、舞い上がりました(^▽^;)
「私にフェティシズムはない」が脱線しましたぜ。
ハイ、本題。
フェチといえば、谷崎潤一郎の「足フェチ」はあまりにも有名ですね。
マゾ男の「ふんずけられたい嗜好」は理解を超えます。
某雑誌に美術品紹介コラムがある。
今回は谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」の挿絵が題材だった。
某日、その小説が某サロンで話題になったので気になって読んだけれど、
コラムそのものに新しい発見はなく、たんなる足フェチの話が出ただけで終わった。
そもそも、主題が棟方志功が描いた「瘋癲~」の挿絵のはずなのに、そこは後半でサラリと触れているだけ。
むしろ枕のはずの谷崎作品「富美子の足」にページの大半を割いている。バランス悪っ。
そして、そこにも大したネタはなくて、足フェチの話題に終始。つまんね。
美術について書いてるんだから、フェティシズムについてさらりと解説するくらいの機知があればほめられたんだが。
それはさておき、谷崎潤一郎の小説に出てくるドM男たちはマゾヒズムに対して前向きだ。
むしろ、喜び勇んで積極的にドMになるのを受け入れている。
その姿は自分のドM化に明るい未来を見ているよう。
そんな尽きぬけた壊れっぷりがいっそ清々しくて、「芸も極めれば何とやらだなあ」と対岸から感心して見守る心境になれる。
私がもつ日本文学の印象は、
「陰湿でうじうじしてて辛気臭いのに態度はスカした主人公たちの話」
なのだけれど、
主人公の男性が魔性の女に翻弄され、最後は彼が女の横暴を嬉々として受け入れる谷崎の「痴人の愛」を読んで、
こんな明るい文学も日本にあるんだなあと意外に思った覚えはある。
変態も美文で飾れば文学のうち。
それだけではなく、変態話でも本質に愛嬌があるから長らく愛される作品となるのだろうか。
そんなおバカなほど明るいド変態がいる反面、骨太な漢(おとこ)っぽい凄味を持つ坂口安吾の小説も存在するのだから、日本文学も懐が深い。
――なんて、日本文学を碌に読みもしないくせによくまあここまで書けたものだと我ながら感心だ。
谷崎潤一郎をこの前ちょっと語った余波がここにきて出ております。
キーワードにビビットに反応。
そのくせして、「瘋癲老人日記」を私本人は読んでおりません(爆爆)