帰宅して、たまたまテレビをつけたらMステの途中で、

「おお、こんな時間帯に帰宅できるようになったのか、私」と感激してたらオザケンとセカオワのコラボバンドが出てきたんで、

「わー、オザケン久し振り。まだ音楽活動したのか」と冷笑してしまい、

ついでに、「このコラボは先輩が肩を貸すというよりも、食い扶持に困った年上芸能人が売れてる若い子に乗っかってお金を稼がせてもらってる構図に見えるなあ」と思って失笑した。

 

(ファンの人、ごめんなさい…)

 

オザケンの作詞作曲「フクロウの歌が聞こえる」はのっぺり、ほわほわした曲調だ。

歌詞も意味が判然としない。

全体的に、昔の”みんなの歌”みたい。

 

”晩御飯の後 パパが
「散歩に行こう」って言い出すと
「チョコレートのスープのある場所まで!」と
僕らはすぐ賛成する

 

フクロウの声が聞こえる
大きな魚が水音(みずおと)立てる
いつか本当と虚構が
一緒にある世界へ”

 

「本当と虚構が一緒にある世界へ」どうしたいんだろう?

「行こう」なのか「帰ろう」なのか、はたまた「僕らが塗り替えるんだ」なのか?

ひたすらファンタジックなだけで、ぼやけた感じがラ・ラ・ランド(「アタマの中がお花畑」という意味だそうだ)。

 

まあ、いま聴くとそこそこ好きな感じの「今夜はブギーバック」をつくった実績があるので、

それはそれ、これはこれで良しとしましょう。

 

だがしかし、オザケンよ、残念だな。

 

歌詞に出てくる「本当と虚構が一緒にある世界」――それはここのことだよ。

 

アンタがいるこのリアルワールドだよ。

「本当と虚構が一緒にある世界」は決して特別な空間ではないよ。

 

ついでに、続く歌詞にある「混沌と秩序」「直感と推論」「絶望と希望」「孤高と協働が一緒にある世界」もいまあるこの世界のことじゃないか…。

 

なんだろう、練れてないというか、玄人っぽさがない、彼の時代に追いついていないこの感じ。

きっと、いまでもオザケンの耳にフクロウの鳴き声は「ラ~・ラ~」と聞こえるのでしょうか。

世界が終ろうと、世間はいつまでも同じ状態でもなければ甘くもないのだ。

そして、ダシに使われたようなセカオワの使い方ももったいないと思うのだった。