先日、高校時代の友人が越後から物見遊山に上京してきました。
銀座で会って串揚げ専門店でごはん食べて、
最後は銀座みゆき館でお茶。
ドトールやスタバ慣れしちゃったから、普通の喫茶店(カフェではない)の様相にドギマギ
祁門(キーマン)茶がポットサービスで3~4杯とれたのはラッキー。
二、三年ぶりの再会だったので普通に4時間ぶっとおしで話した。
彼女は良い意味で自分の意見をはっきりといえる行動力のある人なので、
日本ではなく英語圏に住んでいたら合っていたんだろうなあと今回も思ったのでした。
高校時代、私は彼女が国際関係の仕事に就いて、
海外を拠点に生活するのだろうなあと思っていたから
人間の予想なんて当たらないものです
自分の未来もわからないのだから、他人の未来は余計にわからない。
貧者が富豪になるか、玉の輿が借金地獄の釜の縁に腰かけるようになるか、
凡人がアーティストになるか、才気あふれる人気者が荒んだヤク中毒者に転じるか、
それは誰にもわからない。
行動には結果がつきまとう。
それぞれの場面で自分が選択し行動してきた結果は、
私は「振り返ったら周りにいる人たち」にあらわれていると思う。
そう思うと、彼女との友情は良い選択をしてきた結果のように思える。
変わらぬ友情で、「私たち友達になれて良かったねえ」と老婆になってもまたお茶を飲みながら言い合えるようになれるといいなあと星に願ってみたりして