昭和20年の5/29は横浜大空襲があった日と伝わります。


当時7歳かな?だった父はすでに秋田の田舎に疎開していましたが、祖父は地域医療のためひとり横浜に残って東芝病院で診療にあたったそう。



3/10の東京大空襲を上回る焼夷弾がB29により上空から降り注ぎ、低空飛行の戦闘機からは機銃掃射により逃げ惑う人々が数多く撃たれて亡くなられました。

今、家のある場所より川崎方面は一面焼け野原になったそう。


有名な硫黄島の戦いは本土爆撃を一日でも遅らせるため、飛行距離の関係で直接爆撃の基地となる滑走路を使わせないよう栗林中将を指揮官とする二万人以上の兵隊さんが生命を賭して戦ってくださった聖地。






鶴見線国道駅はその頃の面影を残す貴重な歴史遺構であり、今も映画やドラマに懐かしい風景として登場することもある場所。





フェンスで崩れるのを防止してあるコンクリートの壁面には当時の機銃掃射による生々しい弾痕が今も残されていて時が止まったままの様相です。


次第にそんな惨事も風化していき、時代が流れるなか、ただ戦争反対を口にするだけじゃなく、守らなきゃならないものを大切だと思う気持ちだけは大切にしていきたいです。