私は、今迄親戚や友人知人に会った後の帰り際に「無理しないでね~」とか、「気をつけてね~」などと言われることが何度もあった。


その度に、「はーい」とか、「お気遣いありがとうございます。」とか返事をしていたのだが、それは挨拶みたいなものだった。


聞き流していたが、時には、私がどんな生活をしているのかろくに知りもしないで、「無理しないでね~」なんて、何で言うのだろうと腹立たしく感じるときもあった。


無理しないの捉え方は人それぞれだろう。


夜、いつも通りの時間に寝れないのは無理になる人もいるだろうし、私のように仕事が終わらないなら一晩くらい徹夜するのはやむを得ない、そんなの無理のうちに入らないと思っている人もいるだろう。


でも、そもそも、無理をしないとはどういうことなのか?

具体的に理解できていなかった。


気をつけてね~って言うのも、具体性に欠けていまいちピンと来なかった。



そもそも、私に助言をしてくれている人と共通の認識を持っていなかったのだと思う。


だから、何を言われても、こんにちは~とか、さようなら~と言われているのとさほど変わらなかったのだ。


聞く耳を持たないとは、このような状況のことだったのだろうか。



はっきり言って、無理したくて無理している人などいないと思う。

やらざるを得ないから、そうするのではないか?


そして、最近気付いたのだが、そのやらざるを得ないというのも、自分でそう思い込んでいるだけで、人とお金の交渉をするのが苦手なだけだったり、自分の生活を変えたくないなどの理由だったりして、その気を出せば状況を変えられる可能性があるようにも思うのだ。


それなのに、行動に移せないのは、やってもみないうちから諦めてしまっているせいではないだろうか。


実際のところ、私は昨年、報酬が安いことを負担に感じていた取引先に、思いきって値上げをお願いしたら、快く了承してもらえた。

そのとき、もっと早く言ってくれたら良かったのにとも言われた。



また、私は自分なりに一所懸命生きているなかで、長年、自分を犠牲にして他人を優先してしまっていることにも気付けなかった。



本当は、誰かに何かを言われたときに感じた不快な感情が、自分にそういうことを知らせてくれているのだが、自分の心と向き合う時間を持たない日々の暮らしの中では、相手のことを悪く思うばかりで自分の心の小さな声は無視してしまっていた。



そういう人に何と声を掛けたら救われるのか?


私は、あのとき、何と言って貰えたら嬉しかったのか?



私にも良くわからない。



でも、変な助言をされるくらいなら、新鮮な果物とかストレート果汁100%のオレンジジュースなんかをくれた方が嬉しい。



結局、残念ながら、私は自分がえらい目に遭うまで、他人が言っている意味が理解できないタイプの人間なのだろう。




今日は、とりとめのない話で、ごめん……