私の郷里北海道洞爺湖町と神奈川県箱根町とは姉妹都市になっていて、毎年両町の中学生代表が相互に親善訪問しています。昭和45年5月、私が中学3年生の時に親善メンバーとして箱根町に旅行した時の思い出です。
夜行寝台列車で上京、箱根へ!
この年の洞爺湖町(当時は虻田町)からの中学生親善メンバーは、町内の3校からそれぞれ複数名選ばれて10名ほどだったと思います。私にとっては、それまで青函連絡船には何度か乗船したことはありましたが、東北本線の夜行寝台列車で終点上野まで行く初めての旅行でした。
素晴らしき哉!箱根の山と湖
親善訪問にあたっては、訪問する先々で招待へのお礼や見学の感想を、我々中学生親善メンバーのうち一人が代表して述べることになっていて、引率の先生の指示で事前にその順番を決めて臨んでいました。
箱根町役場での歓迎レセプションの後、箱根町の中学生代表メンバーたちと合流して、一緒に芦ノ湖の遊覧船に乗ったり大涌谷や彫刻の森美術館、寄木細工作りの工房や箱根の関所などの観光名所・旧跡を見学しました。
芦ノ湖と富士山、そして歴史ある名所旧跡や瀟洒な観光施設を初めて目にして、観光地箱根のそのスケールの大きさに圧倒されました。そしてまた、仲良くなった箱根町の中学生たちが話す訛りのない綺麗な標準語も、道産子の私には新鮮な刺激だったこともよく覚えています。
箱根小涌園での㊙︎エピソード
宿泊先は小涌谷の箱根小涌園で、その敷地内には本館の他に離れ・コテージがあって、当時の洞爺湖温泉には無い大きな宿でした。♨️
その小涌園では少し恥ずかしい思い出があります。私たちが宿泊していた日、離れの一軒に大女優のYSさんが泊まっているという噂を館内で耳にした私とK君、M君の有志⁈3人が、大胆にもYSさんにサインをもらいに行ってみようということになったのです。ところが、その日の夕方いざYSさんが泊まっていると思われる離れの玄関前まで来て、誰がドアをノックするか決まらずに、結局諦めて部屋に戻ったというエピソードでした。
今思えば箱根町から招待され宿泊している親善団のメンバーとしては、やはり些か行儀の悪い行動だったので、未遂⁈に終わってホント良かったと苦笑するばかりです。そもそも、今も映画・テレビで活躍されているあの大女優YSさんが、その日箱根小涌園の離れに本当に宿泊していたのかどうか、真偽のほどは分かりようもありません。
親善訪問の最後には、小田原のお祭りで武者行列を間近で観ることが出来ました。確かウクレレ漫談家のMSさんがお殿様役だったことを覚えています。
霞が関ビルとカレーライス🥄
親善団としての公式行事を終えての帰路、上野からの夜行列車の時刻までの空いた時間に、引率のT先生とメンバー皆んなで霞が関ビルを見学に行きました。そしてこのとき、霞が関ビルのレストランに入ってお昼に食べたビーフカレーの美味しさにはまったく驚きました!カレーのルーはテレビで見たことがある魔法のランプのような銀の器に入っていて、ご飯は別のお皿!そしてご飯にかけるルーの色は黄色ではなく焦茶色で見るからに美味しそう!それはもう牛肉がたくさん入っていて、それまで食べたことのない美味しいカレーでした。実はそれまではあまり好きではなかったカレーライスが、まさに好物に変わった瞬間でした!
姉妹交流いつまでも
中学3年生の時に、親善訪問のメンバーとして箱根町を訪れて以来、大の箱根ファンになり、その後も家族に昔のエピソードを披露しては何度も箱根観光を楽しんだものです。
先日、洞爺湖町と箱根町の中学生相互交流が今も変わらず続いていることを知り、親善メンバーOBとして嬉しい限りです。
私たちが箱根町を親善訪問してから半世紀が過ぎましたが、中学3年生という最も多感な時期に親善団に加わった時の思い出は、今も色あせることがありません。
あらためて、未来へと続く両町の交流にエールを送ります。
箱根観光施設訪問
青函連絡船デッキで
私たちの5月箱根訪問の後、7月に箱根町の親善団を迎えて再会の記念写真