昭和50年、大学1年生の夏休みに北海道別海町の牧場でアルバイトをしたことがあります。


その頃の私は札幌での鬱屈した浪人生活から解放され上京、大学では演劇サークルに入ったり、とにかく新しい環境で自分の可能性を思いっきり試してみたいという思いでいっぱいでした。夏休みの帰省を前に、当時新宿の下落合にあった学徒援護会で北海道の別海町が募集している酪農のアルバイトを見つけ、そこで紹介された牧場が玉井牧場でした。期間は7月中の3週間。道南の実家に立ち寄った後、列車を乗り継いで向かった先は、今は廃線になっている道東標津線の西春別の駅でした。


 玉井牧場は牧場主の玉井裕志さんと奥さん、当時小学生の娘さんの3人家族で、確か二十頭ほどの乳牛を飼育していたと思います。アルバイトは私一人だけでした。毎朝4時に起床して牛の放牧、牛舎・糞の掃除、牛の乳房についた泥汚れをタオルで拭き取ってから搾乳、そして集荷に来たトラックへの集乳缶の積み込み。牧場での日々の作業は、学生の私が思っていた以上にキツイ肉体労働でした。目覚まし時計なしで朝4時に起床するという生活は、私の人生で後にも先にもこのときだけです。昼間に牛舎の2階の干し草の上で寝入ってしまったこともありました。

 そんな3週間の牧場生活を何とか終えた私を、玉井さんは私の別海町でのアルバイトの思い出にと言って、車で摩周湖まで半日観光案内してくれました。

 その玉井裕志さんが北海道新聞文学賞を受賞した地元の小説家で、かつてのご自宅が現在は玉井裕志文学館になっていること、そして玉井牧場が、後に映画「遥かなる山の呼び声」の別海町でのロケ地になったことを知ったのは、つい5年ほど前、私が博多赴任中のことでした。驚きました。今にして思えば玉井さんのお宅の茶の間には、壁一面に大きな本棚があって蔵書がびっしり並んでいました。そのときは酪農家にして凄い読書家なんだなぁと感心したことを覚えています。


 今、映画「遥かなる山の呼び声」を観るたびに、主演の高倉健・倍賞千恵子・吉岡秀隆が演じる酪農家の厳しい暮らしと、そこに映し出されている別海町の緑の大地、そして何より当時アルバイト学生だった私を温かく受け入れてくださった玉井さんご家族のことを懐かしく思い出しては、あらためて感動・感謝しています。

 玉井裕志さん、お元気でいらっしゃいますか。