今日は子供たちを寝かしつけた後も興奮冷めやらず。ブログを書いています。

 

今日は何度かこのブログに登場しているゆうちゃんキラキラに、会いに行きました。

ゆうちゃんはアルマンとお顔がとっても良く似ている13っ子ちゃんです。

 

ご自宅近くの公園で待ち合わせ。私は子供2人と電車で向かいました。

再会を喜び(いつ以来だろう?)、ゆうちゃんママが用意してくださったおいしいお弁当を頬張り、子供らは公園で遊びます。

長く入院生活が続いたみたいだけど、ママの激しいあやし方も健在で安心しました~

 

「ゆうちゃんに会うんだチュー」と伝えると「私も会いたい!」と言った夫は、後からバイクで合流しました。

その後、外気でゆうちゃんの体が冷えてきて、ミルクタイムでもあるので、お宅にお邪魔することになりました。家族ですみません。

 

夫は、お部屋に寝かされたゆうちゃんをなでながら、涙を流していました。(図体はでかいが涙もろい)

 

私は、顔は確かに似ているんだけど、アルマンとゆうちゃんは別人と認識していて。

 

でも、こうやって、なでていたなぁ。ミルクつないだり、酸素ボンベを準備したり、お世話していたよなぁとしみじみとなり、私も涙が溢れました。

アルマンが亡くなって2年半が経ち、本当に、細かい日常のことを忘れてしまって。

広いおでこ、サラサラの猫毛、細いふくらはぎ、タオルがびしょ濡れになるくらいのヨダヨダ(よだれ)。

本当は30分くらいかけてミルクを注入するところ、ボトルのコックを開き過ぎて数分で入ってしまったり。

長女がミルク中にチューブを踏んずけてミルクのボトルをぶちまけたり。

アルマンは吸引には協力的だったり。

1つも忘れたくないけど、記憶が薄れるんですよね…。

 

 

 

ところで、アルマンの直接の死因となった、パルスオキシメータのセンサ断線時のアラーム音の小ささの件について、アルマンの死後2年経ってようやくメーカーに問い合わせ、結局何の解決にもならなかったわけですが、実は1つだけ収穫がありました。

変わる気が無いということが分かりました

 

アルマンが亡くなった時、夫がアルマンと一緒の部屋にいました。(私が仕事復帰して、彼が家で面倒を見ることにしたばかりだった。)

その時、アルマンは夫の頭のほうで横向きに(T字)に敷かれた布団で寝かされていたんです。

私はアルマンとはいつも添い寝をしていたので、なんでそんなところに寝かせるのかな、横に寝ていたらもしかして異変に気付いたかもしれないのに、とも思っていました。

 

2年経って、パルスオキシメータの件をメーカーに聞いてみようと思うと夫に告げた時に、それは今使っている人達の役に立つことだな、と言っていました。

そして、

私(lajuj)が仕事に復帰して自分(夫)がアルマンの面倒を見なくてはいけなくなり、24時間気が抜けないので、緊張して2日ほどほとんど寝なかった。そして体がきついので今夜は寝てしまうと思い、熟睡したら自分の巨体でアルマンを潰してしまうと思ったので、アルマンを頭の方に置いたんだ・・・

と。

 

彼なりに気を使ってあの位置だったのかと知ることが出来たのは、良かったですね。

 

 

抱っこしたりなでたりさせてもらってゆうちゃんを堪能し、コーヒーとヴィーガンのクッキーをいただき(焼き菓子を何回かいただきましたが、すんごく美味しいですラブラブ)、おうちを後にしました。お邪魔しました!

marbre vegan

 

 

その後は、別のお友達と合流してまた同じ公園で遊び。

こちらは長女と保育園も小学校も違いますが、たまたまスイミングスクールでお友達になってから、彼女らが引越しした後もずっと友情が続いています。(母同士、子同士の)

アルマンや長女のおかげで私にもお友達がたくさんできました。

 

途中で「一緒に遊ぼう」と声を掛けてくれた金髪の女の子は、ウクライナのハーフ。

うちの2人はイランのハーフだし、お友達はスコットランドのハーフだったので、国際色豊かな4人組となりました(笑)

 

↑久し振りアルマン登場