10歳ぐらいの時、同級生の家に遊びに行った時のことです。親同士が仲がいいだけで、私はこの同級生とはほとんど言葉を交わさない仲でした。私がむしろ仲良くしていたのは、同級生の妹Yで。その時彼女は7歳ぐらいだったと記憶しています。

 

当時、折り紙を組み合わせて多面体を作ることにハマっていた私は、せっせと折り紙を折り、Yは横に座ってその様子を見ていました。途中、彼女が、私の作る折り紙が欲しいと言った時、私は出来上がったらあげるね、と言いました。しかし何せ、多面体。何面体を作るつもりだったか覚えていませんが、ピースがなかなか揃わず、途中まで組み立てた状態で私はトイレに立ちました。

 

すると、戻ってきたら折り紙が消えているではないですか。びっくりした私は、Yに折り紙を見なかったかと聞きました。Yは知らないと一言。私は跡形もなく消えた折り紙を探し始めました。パニックのようなネガティブな感情は全くなく、ブラックホールみたいなものが部屋のどこかにあって、そこから消えてしまったのではないかというような考えで、少しワクワクしながら探し回ったのを今でも覚えています。

 

一向に見つからず、私はYに「不思議だね!すごく不思議!消えちゃうなんて。なんでだろう」と話しかけながら探したわけですが、最終的に本棚の影に作りかけの多面体が転がっていることに気づきました。私は急いで「Yちゃん、こんなところにあったよ!」と声をかけたのですが、Yがそこで泣き出したのです。

 

驚いた私を見下ろす母とYの母。そして状況が飲み込めない私を横目に、Yの母がYにこう言ったのです。「Yは折り紙が欲しかっただけなんだよね」

 

数秒して状況を理解した私は自分の母を見ました。母が何と言葉を返してきたかは覚えていませんが、私は自分が悪いことをしたような気持ちになり、小さな声で「Yちゃんにあげるつもりだったから隠さなくてもよかったのに」と言いました。

 

Yの母は「でもなかなか出来上がらないから不安になっちゃったんだよね」とYに言いました。Yは泣くだけでした。

 

結局、私は折り紙を折り続け、多面体を完成させて、Yにあげて帰りました。

 

帰り道、私は母に「Yちゃん、謝らなかったね」と言いました。母はそうだね、と言った後に、「実はね、Yちゃんのお母さんは、らじこが折り紙を探してる間、らじこちゃんが早く諦めてくれればいいのにって言ってたんだよ」と告げました。

 

「なんで?」

 

「Yちゃんが困っちゃうから」

 

「え?でも私があんなことしたら、お母さんなら私のおしり叩いたよね?」

 

「そうだね」

 

「私が泣いても謝らせたよね?」

 

「そうだね」

 

「Yちゃんのお母さんは違うの?」

 

「いろんな考え方があるからね。お母さんは、Yちゃんのお母さんとはちょっと違う考え方なんだと思う」

 

「だからお母さんは私が探すのを止めなかったの?Yちゃんが隠してるの知ってたのに」

 

「そうだよ」

 

何が正しいかは人によって違うということを私が明確に意識した、これが人生最初の出来事だったように思います。親もまた人間であり、間違うことがあって、でもその間違いの概念も人によって違うから、子供がそれぞれいろんな方向に向かって育つ、という社会の仕組み?についてもここで初めて理解した気がします。

 

何はともあれ、なぜ今日こんな話をするかというと、ユンギの飲酒運転とその謝罪に対するファンの捉え方の違いをチラ見して、このエピソードを思い出したからです。

 

前回の記事でも書きましたが、私は飲酒運転自体は、もちろん褒められたことではないにしても、そこまで気にしてはいません。(単なる結果論ではあるというか、被害が大きかったらこんなことも言っていられないわけですが)

 

でも謝罪の内容や警察に対する証言に「嘘」が見え隠れするのがすごくすごく気になる。

 

何を「嘘」と感じるかも人それぞれでしょう。

 

私自身が精神的倫理的に潔癖傾向にあることは自覚しています。

 

でも今の私はとてもじゃないけど、一緒に批判や痛みに耐えようとユンギに声をかけられるような心境ではありません。信じようと言われても正直、何を?って感じです。

 

だって誠実じゃないかもしれない発言のどこを、そういう発言をする人間を、どう信じるの?というのが私の正直な気持ちです。

 

今までのユンギの功績がゼロになるわけじゃないけど。

 

残念だし、ダサいと思う。

 

ユンギ、まじでダサい。

 

世界の中心でそう叫んだらスッキリするかもしれないと思って今、叫んでますが。

 

私はいわゆる「リア恋」ファンではないけれど、浮気したパートナーを許せるかって話と同じなのかもしれない。子供がいたらそれにも左右されるのかもしれないけれど、基本的に私は離婚するしかないだろうと思っています。一度不義理があったら許せないし、信頼関係が破綻してしまうから。

 

理由は関係ないとは言いたくないけど、関係ないかな。

 

要するに、ユンギだって理由はあったと思う。

 

警察に抱え起こされて、あ、やば。これまずいな。不祥事になったらメンバーにも事務所にも迷惑がかかるし、ファンだって失望させてしまう。だからここは「ビール一杯」ってことにしとこう。「サドルはついてるけど、これはどちらかといえばキックボードだろ。いずれにしたってこれで道路交通法違反になるなんて知らなかったわけだし。知らなかっただろ?俺。うんうん、知らなかった。俺は知らなかった」

 

みたいな心の声があったかは知りませんが、誠実であるとはどういうことなのか、私はこの件を通して改めて考えさせられました。

 

メンバーを思って、ファンを思って、事務所に従ってついた「嘘」なら嘘も「誠実」になるのか。

 

そんなことは地球がひっくりかえってもないと思うけど。

 

ひき逃げじゃないんだから、そんなめくじら立てる必要なくない?

 

でも、反射的に「嘘」をついてしまえるような人間が、思わずひき逃げしないと誰が言えるのか。嘘をついた訳ではなくて、パニックで言い間違えた。うん、そうかもしれない。それなら、パニックでひき逃げしちゃう可能性だってあるよね。

 

単なるパニックなら「嘘」も嘘じゃなくなるのか。

 

自分が常に正しいと言ってる訳ではなくて。私も最近、医療者としてあるまじき行為をとりました。

 

高架下、横断歩道の手前で壁に寄りかかって体をくの字曲げている男性がいました。声をかけようかと思いました。でも私は市役所に寄った後で、パスポート等の絶対に失ってはいけない貴重品を多く抱えていました。人命救助に夢中になっている間に窃盗にあったらどうしよう。むしろこれ自体が何らかの罠だったらどうしよう。撃たれたりしたりして。そう思いながら信号を見ると、青でした。多くの人がその男性の脇を通りすぎていきました。待ち合わせ時間にすでに遅れていることを理由に、私も足早に横断歩道を渡りました。助けが必要だったかもしれない男性を背に。

 

最低だなと思いました。

 

10歳の私だったら絶対に許さない行動をとってしまった。

 

私はこの件に関して、10歳の自分に、理解して寄り添ってほしいなんて思わない。何やってるんだ、と叱ってほしい。(この地では自分の安全を守ることを最優先にせざるを得ないから難しいのだけれど、それでも保身に走ってしまうような場面ではちゃんと叱ってほしい。)

 

だから、私もユンギに寄り添ったりなんかしません。

 

お互い、ダサいことはもうやめよう、と声をかけるだけのことです。

 

ミン・ユンギ、お前は今自分がどれだけダサいか自覚しているのか!お前が罵ってきた人間のダサさを全て足し合わせても足りないぐらいにダサいぞ。

 

 

Honesty - Billy Joel

 

If you search for tenderness It isn't hard to find You can have the love you need to live But if you look for truthfulness You might just as well be blind It always seems to be so hard to give

優しさを求めているなら

見つけるのは難しくない

生きるのに必要な愛を見つけることだってできるだろう

でも誠実さを求めているなら

見つけるのは難しい

それはいつだって分かりにくいものだから

 

Honesty is such a lonely word Everyone is so untrue Honesty is hardly ever heard And mostly what I need from you

誠実とはなんて孤独な言葉だろう

誰もが嘘をつくから

誠実なんて言葉は聞かなくなった

だからせめて君には誠実でいてほしいんだ

 

 

因みに母とYの母は今でも仲良くしており、とても親しい付き合いです。

 

私がこんなブログをシコシコ書いている間に、Yは結婚し、二児の母になりました。Yは多面体のエピソードなど、とっくのとうに忘れていることでしょう。