今日は思いがけず早めに帰って来られたので、以前からしたいと思っていたブログの整理をしました。

 

その過程で、別にこれはいいんじゃない?と思うものは再公開したので、変な通知が皆さんに届いていたらごめんなさい。

 

だから逆に言えば、「愛」というのは、一生懸命探したり、求めたりしなくても、いつか向こうからやってくるものなんだとようやく理解できてきた気がします。ジンじゃないけれど、運命をねじ伏せなくても、風に吹かれて生きていれば、どこからともなく訪れるのが愛なのかなぁなんて思ったり。それは、往々にして、自分が想像していた姿とは全然違うものであるのかもしれないけれど、訪れた瞬間には何故かしっくりくる、そんなものなのかもしれない。でも私が今、自分の手中に落ちてきた「愛」にしっくりきているのは、「最強の二人(映画 Untouchable)」を知り、その何年も後に「あの2人」を知り、ジンの「ラブマイセルフ」を知り、これを読んでくださっている皆さんともいろんな言葉を交わしたからなのかなと思っています。

 

これ、2022年の11月ごろの私が書いた文章です。投稿自体は削除しました。この段落自体には共感しますが、投稿全体としては、ちょっと咽せそうになる内容だったので笑

 

でもこれを書いたとき、私は、ある種の運命を感じるような偶然に見舞われていました。その後、別の人物ともいろんな偶然が重なったことは書きましたが、その記事も削除しました。それも今や咽せそうになる内容と化してしまったからです。

 

こんな暢気なオトメ記事?を量産?してしまったのは、私が小さな「偶然」を見つけてトキメキやすい性格だからでしょうか。

 

違うと思います。

 

実は、哲郎と再会する直前に、ひょんなきっかけでとある結婚相談所にお世話になったんです。ほんの2-3週間。仲人さんは、セラピストみたいな聞き上手な人でしたが、1週間でうんざりさせられました、正直。

 

なぜか。運命論者なんですよ。

 

「らじこさんが入会されたタイミングでこんな方も入会されて、早速お見合いのオファーがあるなんて信じられません」という調子で。そりゃ紙面上は素晴らしい人かもしれませんよ。アメリカに住む日本人の登録者が少ないのも承知していますよ。

 

でも私は全く運命を感じませんでした。正直にそう申し上げると、

 

「でもこんな出会い、滅多にないんですよ」と。最終的には、少しは運命を感じて頂かないと気持ちが盛り上がりませんから、とおっしゃる始末。

 

要するにそういうことなんだな、と思いました。結婚相談所って結局はある程度、煽ってその気にさせる要素があるということですよね。これは、結婚相談所を批判している訳ではなくて、それが恋愛の本質だということに私がこの時に気づいたということです。

 

多くの人間は自分で自分に暗示をかけられる。それが上手くできない人間(私含め)が結婚相談所の仲人さんのお力を借りて、気持ちを盛り上げる訳です。この人は私の運命の人に違いないと思い込ませてもらう。ある程度の勢いがないと結婚なんかできませんからね、ということなのでしょう。

 

「運命」も「偶然」もどこにでも転がっているわけですから、それを拾った方が人生、楽しく過ごせるわけです。

 

ただ、人によって拾いたくなる偶然が異なるわけですよね。

 

BTSの商法も全く同じだと思います。彼らの場合は、SNSを巧みに利用した「プライベート」シェア、韓国社会で生きづらさを感じている若者の葛藤を代弁する楽曲、国連まで巻き込んだ「スピークユアセルフ」キャンペーン。これらに、LGBT売りを混ぜ込んだ、というのが「単なる queerbaiting」よりタチが悪いところだという、最終的な結論に私が達したのはずいぶん前のことで。

 

でもLGBTを匂わせる「偶然」を拾いたい人はそれを拾う。

 

このブログは、私がそれを拾ってしまったことから始まりました。それが「商法」ではなく、何らかの真実を反映したものなのではないかと感じている頃の私の投稿はとても優しいことに今回、気づきました。謙虚だし、文章にBTSへの愛情が溢れている。

 

しかし残念なことに、私は結局のところ、「スメラルドの嘘」から一度も立ち直っていなかったのかもしれません。

 

特に昨年の夏あたりからは、文章が厳しくなっていく一方で。BTSに歩み寄ったり、離れたりを繰り返して、最終的に距離ができてしまっているのが如実に伝わってくる。その極みが前回の記事なのだと思います。スメラルドとLGBTを結びつけるのは論理の飛躍だとのご意見もいただきましたが、このブログの最初の投稿と2番目の投稿をはじめとする「BTSとLGBT」をめぐる多くの「偶然」によって描かれてきた文脈をもってすると、私には自然な発想のように思われます。

 

しかもプロフェッショナリズムの塊のようなジミンなら、HYBEの初期からの売り出し戦略に最後まで応じるだろうなとも思う。

 

フォロワーさんの言葉を借りれば、彼らは実際に「全ては偶然じゃないから(楽曲『DNA』より)」と歌っているんですよね。全ては仕込んだネタということなのか笑

 

BTSが成長物語だという解釈は私の中では全く変わりません。しかし地位が確立されてしまった以上、今の彼らの葛藤と成長を理解するには昔以上に耳を傾けなければならなくなった。その上、兵役中の「セレブリティではない等身大の彼ら」を見ただけに、LGBT/スメラルドファンタジー商法が「この期に及んで」続いているかもしれないことへの反感が加わって、BTSという魔法が完全に解けてしまったのかもしれません。

 

というのも、過去の文章を読むと、ものによってはそれを書いた部屋まで思い出せる。それなのに、もうかつてのような視点で感情移入することはできないんですよね。強いて言えば、綺麗な思い出のアルバムをめくるみたいな感じ。何度も言っているように、グクとテテの間に何らかの特別な情が存在したことは今も否定するつもりはないけれど、過去の自分の記事を読んでも、そこには深い友情しか感じないというか、昔は拾えていたものを、もう拾うことができなくなってしまったのだと思います。

 

それがなぜなのかは分かりません。

 

でもこの3年間で私は、ある意味では確かに別の人間になってしまったのでしょう。LGBT自体も特別だとは思わなくなった。良い意味で。サングラスの色が変わってしまった感覚なのかもしれません。あるいは砂浜で虹色の貝殻ばかり探していた人間が、もっと色んな貝殻を探したくなったような感覚なのかもしれません。虹色の貝殻自体が魅力を失ったわけではなくて、それは他の人にはまだ魅力的なんだけれども、私自身は他のものにも目を向けたくなった、そのせいで虹色の貝殻を拾う確率が低くなったようなことなのかなと思います。

 

そして砂浜自体も大きく変わってしまったのかもしれない。もちろん変わっていない部分もあるし、同じ景色に愛着を寄せている人たちにも会いたいから、今でもたまに行きたくなる場所であることは変わらないけれど、前ほどは通わなくなった大切な場所という感じ。

 

そんないちいち考え込まずに彼らの音楽を純粋に楽しめばいいじゃないかという発想もありますが、私にとってBTSはやっぱり文脈ありきなんですよね。音楽だけで選ぶなら、他にも時間を割きたいアーティストはいくらだっているわけで。私はやはり彼らのストーリーに纏う希望や夢の香りが好きなんだと思います。

 

今回削除した投稿の中には、フォロワーさんが気に入ってくださっていたものもあったように思います。それらの記事が決して大切でなくなったわけではなくて、当時記していた心理を乗り越えるまでに私自身が成長した証だと思っていただければと思います。皆さんのメッセージもずっと私の心にはありますので。

 

なぜこんな拗らせ記事(という名の個人的なスッキリ記事)を今更あらためて、とお思いになる方もいらっしゃるかと思いますが、前回の記事で思いがけずいろんなご意見をいただいたので、今の私の気持ちを吐露してお返事とさせていただきます。今後も細々とブログは続けたいと思っていますし、ブログの題名を変えるつもりはありませんが、BTSに対してはこんな感じのちょっと冷めたブログなのでフォローを外したい方はそのようにされてください。

 

愛を込めて。

 

 

 

 

今まで記事のタイトルって実は3秒以内に決まってきたのですが、今回はしっくりくるタイトル曲がなく、二転三転したことに気づかれた方もいらっしゃったかもしれませんね。
 
で、一旦落ち着いたと思ったんですが、最初にタイトル曲にしようと思って軽くボツにした楽曲に変更します。意外な裏話を知ったので。
 
というのも、この楽曲は、Quentin Crispという名の英国人作家にインスパイアされて書かれたものらしいのです。Sting 自身の言葉を借りれば、Crisp は「ゲイであることが身体的な危険を招く時代にゲイであることに誇りを持って生きた人間」。映画 The Bride の撮影途中に Sting と出会った Crisp。当時、The Police から脱退したばかりのロックスターだった Sting は Crisp の誠実さと率直さに感激することになります。その頃、Crisp は米国市民権を得るための手続の真っ最中であり、米国人に帰化することが待ち遠しいと Sting に語ったのです。
 
「(帰化手続きが済めば)罪を犯しても、 (米)国から追い出されずに済むからね」
 

Sting は Crisp のこのウィットに打ちのめされ、この楽曲を書きました。

 

Be yourself no matter what they say Be yourself no matter what they say Be yourself no matter what they say

何を言われようとも 自分を生きなさい

何を言われても 自分のままであり続けるのだ

他人がどう思おうとも 自分は自分なのだから

 
これって、かつてのBTSのメッセージそのものですよね。
 
彼らは「僕の話をしてあげる(楽曲『マジックショップ』より)」と何度もファンに心を開いてきたはず。
 
翻って、そんなBTSに乗せられるがままに、彼ら以上のスピークマイセルフに身を投じてきたこのブログ。この記事をきっかけに、歴代2位のアクセス数を記録したのですが、このタイミングでフォローして過去記事を遡ってくださっている方々の存在を知り、恐縮すると共に、ある意味では未だに布教活動をしてしまっていることに気づきました。
 
彼らの虹色の貝殻に真実が隠れているのかいないのかは分かりませんが、せっかくならと思い、実際に虹色の貝殻に命をかけて生きた人間のお話をご紹介させていただきました。
 

 

最後までお付き合いくださってありがとうございました♡