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今回の記事も本当に気まぐれで申し訳ないぐらいなんですが、テテがパリに到着するまでの暇つぶしにでもなれば嬉しいです。

 

 

先日の学会で、実はLGBTQ教育講座みたいなのに参加してきたんです。要するに、医療者としてどういうことに気をつけて患者さんと接するべきかという話だったんですが、カルテの三人称をどうするのかという議論が一頻りありました。

 

男性だったらhe/him、女性だったらshe/her、というほど単純な話ではないみたいで、トランスとかノンバイナリーの場合は何を使うか(they/themが主流)、カルテを公開する場合にアウティングのリスクはないか、途中からセクシャルオリエンテーションが変わった人はどうするか、などなど。

 

なんかすごく大変だし「便宜上、性別・ジェンダー関係なく皆押し並べて三人称はhe/himとする」でいいんじゃない?と私なんかは思いましたが、それだとまた男性至上主義だとか何とか問題が出てくるわけですよね。いやいや、これは何の意味もない「便宜上の」三人称だから!って言い張るには、全く新しい三人称が必要なわけで(fe/firみたいな?)。

 

翻って、日本語はもっと複雑ですよね。一人称や二人称まで何種類もある。BTSメンバーの発言の日本語訳を見ていても、「僕」「俺」「君」「お前」「あなた」。私は韓国語を全く知らないので、これらが、翻訳者のセンスや感覚を反映したものに過ぎないのか、あるいは彼らの韓国語を直訳したものなのかわかりませんが、私の適当なイメージは以下の通りです。

 

ジン:僕(早口で怒る時だけ俺)、ユンギ:俺、ホソク:僕、ナムジュン:僕、ジミン:俺(表向き僕)、テテ:俺(表向きぼく)、グク:俺(表向きボク)

 

そして歳上メンバーには「ヒョン」、年下メンバーに対してはみんな「お前」呼ばわりなイメージです。

 

でも正直、日常生活では、一人称「僕」の男性ってほとんど出会ったことがない気がします。我が父は、若い頃は、家では「ぼく」、職場では「俺」あるいは「私」と使い分けていました。私の職場では、教授クラス同士になると流石に「私」が多い印象ですが、先輩から後輩に対しては総じて「俺」、後輩が先輩と話す時は「僕」の場合もありますが、彼らも同期と話している時は「俺」になっている。(そして少しは先輩であるはずの私に「俺」でくるか「僕」でくるかで、彼らの態度のデカさや、彼らが期待している距離感が予想できます。)

 

でも考えてみれば、他科の先生で私の身分を知らずにPHSにかけてくる人の一人称は「私」や「僕」の場合が多い気がします(この場面で「俺」だとむしろちょっと高圧的な先生なのかな、という印象ですかね)。

 

「宇多田ヒカルがJpopをどう変えたか」というハナシで、彼女以降、女性歌手の曲の二人称が「あなた」から「君」になったというのを何処かで何年も前に読んだ記憶があるのですが、彼女は「僕」を使った楽曲もあり、のちにはノンバイナリーだとカミングアウトしましたね。

 

最近、ユンギが好きだと言っていた「愛を伝えたいだとか」(2017年リリース)。私も好きな楽曲なので嬉しかったんですが、この曲の「僕」に関しては、初めて聴いた時から何となくノンバイナリーあるいはトランスの印象が強いです。

 

 

バラの花に願い込めてさ 馬鹿な夢で踊ろう 愛を伝えたいだとか 臭いことばっか考えて待ってても だんだんソファに沈んでいくだけ 僕が明日良い男になるわけでもないからさ 焦らずにいるよ 今日は日が落ちる頃に会えるの?

 

"完璧な男になんて惹かれない"と 君が笑ってたから悔しいや 腐るほどに話したいこと沢山あるのにな 寂しいさ

 

バラって言ってるぐらいだし、ストレートな男性がストレートな女性に歌っている設定なのだろうけれど(と言いつつ、男性が意中の男性に花を実際に贈るかどうかは別として私はそれも全然おかしくないとは思います)、あいみょんの歌声を文字通りとってしまうのか、私の中でこの曲は、性自認が男性な生物学的女性の視点の歌なのです。「完璧な男になんて惹かれない」って言うなら「僕」にもチャンスがあっていいはずなのに、なんで会ってくれないの?という歌のイメージでした。当初は。

 

で、トランスといえば、父の大学時代の同期かつ同業者に「僕」が一人称の女性Kさんがいて、私は小学生の頃、その話を聞くのが何故かすごく好きで単純に面白いと思っていたのですが、20年後、父の教え子の「女の子」がゼミの自己紹介の席で「僕」と名乗り、トランスであることを堂々と説明したというのを聞き、「そういえばさ、あのKさん、今でも僕なの?」と聞いたら、父が「ああ、Kさんもトランスなのか」と急に腑に落ちたように(しかしさして大した発見でもないかのように)話していたのが、このブログを始める数年前のハナシです。

 

上記の父の教え子は、私と同じぐらいのタイミングで渡米し(むこうは私の存在さえ知らない)、先日訪れた学会会場から自転車で数十分のところに職場があるみたいで、(個人情報の問題があるので詳細は省きますが)父から話を聞く分にはとにかく「完璧な男」を絵に描いたようなかっこよさなんです(経歴の最高峰ぶりも周囲に威圧感を抱かせるほど。ちなみにKさんもその点では同類)。

 

それを知って少し変化した上記の歌詞の解釈。私の中ではやっぱりトランスの一人称の「僕」なんですが、彼が悔しいのは自分がまさに「完璧な男」だからなんですよ。そこら辺の男よりずっと「男」らしく、「汚れてるシャツに履き慣れたジーパンで愛を伝えたいだとか」考えちゃうぐらいなのに、何で僕は振り向いてもらえないんだと苦悩して恋煩いしている楽曲、というのが今の私の勝手なイメージです(妄想が激しいww)。

 

そして恋煩いと言えば。

 

椿屋四重奏をご存知の方、いらっしゃいませんか?今朝起きた瞬間、急にこの曲を思い出して(2008年リリース)。私が一番好きなのは「紫陽花」ですが。

 

 

夕暮れの服をまとって 三日月の下にしゃがんだ

替えのない代物だ 恋は 力尽きたはずの心が

燃え盛る火に分け入って 荒れ狂う波に寝そべった

丸めて捨てられない恋が 擦り切れたまま転がった

 

この歌詞、最後まで一人称も二人称も出てこないんですよ。ただ最後の1行で「俺」が登場する。これ、音節的には「僕」でもよかったはずなんですが、曲調とかMVの雰囲気とかで、まあ「俺」だよねって思います。これを「僕」にするだけで、曲全体の雰囲気が大きく変わってしまうように感じるのは私だけかもしれませんが、「俺」って逆に2010年代以降の楽曲ではあまり聞かないのでは?(実生活では「俺」がマジョリティーなのにフィクションの世界では「僕」が多いというのはどういうことなんだろう。)

 

さらに遡ること10年、1999年にリリースされた丸の内サディスティック。

 

 

これは二人称は出てきませんが、今振り返っても歌詞から匂ってくる「あたし」が強烈ですよね。「本能」のMVを見ても思いますが、椎名林檎が提示してくる価値観は、フェミニズム的観点?からすると、米国で人気な女性ラッパーたちと共通する部分があるように感じます。ナムジュン顔負けの言葉遊びも印象的(今でもぱっと見、意味不明の歌詞なので覚えている範囲で注釈?加えました)。リリース当時、私は帰国したばかりの小学生で、青姦なんて言葉、この曲を通して初めて知りました笑

 

ちなみに下の「僧」というのは、曲中の「ベンジー」を指しているわけですが、グクやジミンも敬愛するNirvanaのCobainも示唆しているようですね(自死に至るまでに躁鬱病を患い仏教に傾倒)。

 

将来僧(躁)になって結婚して欲しい 毎晩寝具で遊戯するだけ ピザ屋の彼女(ベンジーの楽曲の登場人物)になってみたい そしたらベンジー(憧れのギタリスト?) あたしをグレッチ(ギター)で殴って

 

青 噛んで熟って頂戴 終電で帰るってば池袋

 

マーシャル(アンプ)の匂いで飛んじゃって大変さ 毎晩絶頂に達して居るだけ ラット(エフェクター)1つを商売道具にしているさ そしたらベンジーが肺に映って(ハイになって)トリップ

 

欲しい。みたい。ちょうだい。

 

欲の塊としての女性を肯定する世界観が今でも新鮮に感じられるのは、この20年間、日本で女性の地位があまり変化してこなかったせいでしょうか。強いていえば「結婚」という概念がもう古いのかな。

 

ついでに言うと、日本を離れる前の私のプライベートに対する男性陣の反応はまちまちで。30代後半の先輩は、エドと付き合い始めたばかりの私に、「お前も結婚だって考えないといけない年齢なんだし、相性も大切だから遠距離になる前にやることやってから行けよ」と一言。20代後半の後輩は「俺はらじこさんには結婚とかにはこだわらないで欲しいですね。男なんて人類の歴史的には所詮ATMなわけですから。文明の最先端を生きられる女性は一握りですよ」と一言。

 

そんなことを言ってきた後輩は間もなくセフレの一人だった他科の教授のお嬢さんとデキ婚して退局(実家の病院に再就職)、先輩の方は夢の海外赴任を諦め?つまみ食いしつつ子供を3人育てながら教授を目指してエリート街道まっしぐらって感じです。

 

そして私の現状はと言うと、、、まあ今までここで書いてきた通りです。椎名林檎よろしくカマキリは後尾の後にメスがオスを食べると言いますが、私は別にそんな女性像に憧れているわけでもなく。かと言って、「文明の最先端」を生きたいわけでもなく。チェックリストを作って、身長よし、年収よし、体の相性よし、みたいな感じで誰かを評価したいわけでもなく。

 

何がしたいのかわかりません笑

 

ただ上記の3曲、少し気怠い感じが何となく似ていませんか?約10年の間隔でリリースされた「あたし」と「俺」と「僕」。いずれもそれぞれの一人称の雰囲気をよく表しているというか、楽曲としては魅力的な世界観を提示していて、どれもタイムレスだと思います。

 

もちろん、全てひっくるめて「I」の方が便利ではあるけれど、こういう微妙なニュアンスって、それはそれで興味深いし、私自身は「私」優位ではありながら、確実に「俺」や「僕」が自分の中にも潜んでいる気がします。

 

っていうどうでもいい独り言でした。

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