お立ち寄りいただきありがとうございます。

 

うーん。

 

とりあえず「こういうのを待っていた」という結論から始めるとして。

 

言いたいことがありすぎて、もうどう書けばいいかちょっとわかんないです。

 

ただこの「奚琴」、内容的には「大吹打」より「Strange ft. RM」を思い出しました。なぜならユンギはこの頃から資本主義への批判的な考え方をチラつかせていますね。「資本主義」とハッキリとは言っていないけれど、「もっともっと」という大量消費に疑問を呈している(同題過去記事参照)。

 

 

今回のMV冒頭、大衆食堂あるいはファストフード店の「消費者」から箸を取り上げるのは、その前触れなのかな。「適当に食ってんじゃねえよ」という意味の。

 

この歌は奚琴

乗ってみな 今すぐ

ざわめくリズム もしかすると

これもまたもう一つの解禁

 

いずれにしても、この「解禁」、MVの公式英訳では「ヘグム」と発音表記されていて、訳されていないのはなぜ?と思ったのですが。(和訳と英訳でちょくちょくニュアンスが違うので、以下、英訳の方がしっくり来ると思ったところは英訳→和訳になっています。)

 

そもそも何の「解禁」なのか。

 

解釈は自由

戯言はアウト

表現の自由

もしかすると誰かの死の事由

それもまた自由だろうか

お前のジャッジと推測には確固たる信念があるか

お前の自由と他人の自由は同じ価値なのか

そうなら躊躇わずに乗ってみな

禁じられたことからの解放

自分の好みすらわからない

この時代を生きる不幸な人たちへの

この歌は 禁じられたものを解くだけさ

 

後の展開を見ると大量消費への異論を唱えることを「解禁」しよう、という意味っぽいけれど、とりあえずその大量消費の中には「表現」のそれも含まれているようですね。

 

「表現の自由」を盾に他人の気持ちを考えもせずにSNS上で吐き散らされる言葉。それが本当に「信念」なんて大それたものを反映してるなら文句は言わないし、自分だけじゃなくて他者にも同じ「自由=人権」があることを理解して発している言葉ならば、「解禁」しちまえよ。

 

だけどどうか自由とわがままの違いぐらいは見分けてくれ

 

だってお前が「自由」って呼んでるのは、単なる「わがまま」だろ。なに図々しく解禁してんだよ。

 

ということなのでしょう。しかし、この後この「解禁」の対象が本題に移っていきますね。

 

溢れる情報は想像の自由を禁じ 思想の同調を求める

頭脳を悩ますノイズは目隠しとなり

今では思考の自由すら侵す

あらゆる論争は判断の混乱を引き起こし

またひっきりなしに作られる

 

ちなみに内容そのものには関係ないですが、この第2ヴァースのフロウ、個人的にすごく好きです。大吹打の後半で目隠しをされているあたりのフロウと似ていますよね。実際、今回も「目隠し」という歌詞が登場していますが。

 

果たして俺たちを禁じたのは何だろうか

ひょっとすると俺たち自身なのではないか

資本の奴隷 金の奴隷

憎悪と偏見 嫌悪の奴隷

YouTubeの奴隷 ハッタリの奴隷

利己心と貪欲が横行する

目をつぶれば楽さ 何もかもが想定内

損得によって露骨に分かれる見解

妬み嫉みにみんな目が眩んでる

互いに足枷になってることに気づかないまま

情報の津波に流されないで

 

この辺りでいよいよマルキシストっぽくなってきます。「脱成長」の匂いがプンプンする。資本主義ゲームに参加すればみんなハッピーになるはず、という前提に意義を唱えている。資本主義を動かすための広告やらフィードのせいで常に飢えた気分にさせられている「俺らの現状」からの「解放」を主張したい。

 

「競争」とか「格差」とか「環境問題」とかそういうキーワードこそ出てこないものの、根本にある思想は、カネを評価基準にする「幸せ」を捨てて、大量消費をやめれば、強制労働からも解放されて、カネでは評価できない豊かな時間が過ごせるようになるはずだってことなのでしょう。

 

要するに、資本主義は「自由」だという思い込みに警鐘を鳴らしている。

 

この大量消費を循環させるために奪われている自由が実はあるんだ、ということですよね。それは、24時間営業のコンビニの夜勤シフトに名を連ねている労働者かもしれないし、次々とコンテンツのリリースを求められるKpopアイドルかもしれないし、タイの国境で売り捌かれる命かもしれない。

 

でも

 

俺らは自由とわがままの違いぐらい見分けられるから

 

そう、夜中の3時にコンビニでおにぎりなんか買えなくても「自由」は奪われないし、そんな「わがまま」より大切な人権が存在する。命はもちろんだけど、「思考の自由」も奪われていることに、この辺りで気づかないとやべえことになるってお前らもわかってんだろ。

 

だから「大吹打」から転身してきた「体制側」の刑事の煙草の吸い殻でカネを燃やしちまおう、というMVになっていますね。

 

「一発稼いでプライベートジェット機で飛んで、ビルボードの記録を叩きのめして、パンPDを小躍りさせて、欲しかった服を全部手に入れ、次のゴールに支配され続けて虚しくなっていた俺」との決別を描いているのでしょう。

 

「上ばかり見ていたがこのまま足元だけを見て着地したかった俺」がついに着地したわけですね。

 

ただ、ここからが皮肉なわけで。「体制側」もそう簡単には引き下がらない。

 

溺死させられそうになったユンギは、それに抗して確かに銃で体制側のかつての自分を撃ち殺すわけですが、「大吹打」の時のように銃声が音楽を止めることはできない。「ざわめくリズム」は不敵な笑みを浮かべて濡れた髪を掻き上げるユンギの姿を照らす炎のように、むしろさらに活気付いていきます。

 

何ならMVの最後、ユンギは「体制側」のパトカーに乗って、「体制側」の黒いジャケットを手に、「大量消費」の象徴とも言える白雪糖麺の店に入って箸を握る。しかもその店が位置するのはどうやら、バンコク。皮肉にも、人身売買や児童売春を影に追いやって東南アジア第2位の経済成長を誇るタイの首都ですよ。

 

同国で続いている惨事についてごく最近触れたこのブログとしてはそれだけでも胸が痛いのに、ユンギは、こともあろうか、楽曲中であれだけ批判した大量消費に自ら身を投じて麺を啜ろうとするところで画面のコチラ側にいる我々と目を合わせる。

 

「何だよ、文句でもあんのか」と言わんばかりに。

 

「お前らは大量消費を望んで俺らを骨の髄までしゃぶるつもりなんだろ。そうしたいならそうしろよ。俺だってそっち側に行こうと思えば行けるんだ。それに俺はもう、どんだけしゃぶられたって痛くも痒くもねえんだよ。これが俺が選んだ世界なんだから」

 

と開き直った彼の声が聞こえてくるのは私だけでしょうか。

 

「これは僕が選んだ道だから」

 

これはムンビンも亡くなる前にファンに向けて語っていた言葉のようですね。

 

彼がこの楽曲のリリースまであと数日間待っていられたなら、どう思っただろう。

 

そう考えてしまうぐらい、内容もリリースのタイミングも、この悲劇を予感していたかのような「奚琴」。でもこんな偶然が平気で起きてしまうぐらいKpop業界は、それを生き抜こうとする若者にとって厳しい環境なのでしょう。どんな制度改革が必要なのか私にはわかりませんが、ユンギのこの自虐的とも言えるメッセージが、業界を少しでも変革へと導いてくれることを願ってやみません。

 

「悲劇」とは言いましたが、ムンビンの人生そのものは悲劇ではなかったはずだから。

 

彼のご冥福をお祈りすると共に、ご家族ご友人の悲しみがこれ以上深いものにならないことを心からお祈り申し上げます。

 

コメント、メッセージ、いつもながら返信できていなくてごめんなさい。少しずつ返信していきます。