お立ち寄りいただきありがとうございます♡

皆さん、お忙しい中、前回のTMIへの温かいコメント、メッセージ、本当にありがとうございます。挫けそうになった時には必ず読み返します!ここから記事は少し休憩してお返事に専念しますので、少しずつ大切に返信させてください。

 

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とりあえず、前々回までのジョングク関連の記事に対していただいたメッセージを改めて拝見していると、いろんな複雑な感情を抱かれた方がいらっしゃったような印象なので、いただいたメッセージの一つをシェアさせていただくことで、一通りのお返事とさせてください。

 

ラベンダーさん(匿名)、いつもながらとても興味深いメッセージをありがとう。本来はコメントのつもりだったということなので、内容を一部公開させてもらうね。


*ラブマイセルフについて

『私がライブを見て一番印象的だったのはナムの意見に対してだったかな、「ダメな自分でも自信がもてるようになった」って部分。心に響いた。

私はラブマイセルフを知ってから様々なことが腑に落ちやすくなったというのかな、仕事で人の話を沢山聞くのだけど、他人や自分が困難な時には「ラブマイセルフの欠如」がほとんどで。

私自身ずっと「何かの役に立たなくては、世の中に自分がいて良かったと思われるよう頑張らなきゃ」と思ってきた節があり、裏を返せば「なんの役にも立たない自分は意味がない」なわけで。
でもある時急に、あー違うと気づいた瞬間があったんだ。
グクは私よりもうんと若く、世界中にその魅力が知られる人だけど、それでも恐らくどこか自信がなく、初期?グク批判があった時には「こんな僕ではダメですか?」と、「アミのため〜」「アミはどんなのが好き?」って、グクの存在がアミありきだったのかもしれない。
時々自分のやりたいようにやると批判もあって、その都度泣いて謝って。人を信じて裏切られることも多くて。

ずっと自分という存在が不確かだったように思う。
だからもう自分は一旦おいて、バンタンのセンター・ジョングクとして目の前のことに集中してきたけど、グル活休止とともに放置してきた自分が浮かび上がってきたのかなと。
とはいえ全く抑えてたわけでもないから、本来の「グク」の色は強いのかもしれない。順応性があるからできたことでもあるのかも。

だからそんな自分からの卒業というか共依存の分離というか、人間の自立の一場面を見ている気持ちだった。
アミにダメだと思われても、そんな自分でも価値はあるというか、そのことに気づけたのかなと。
一つ一つを丁寧に考えて自分なりの答えを見つけて、立ち位置を模索、確立しているのかな。

どんなことが好きで嫌で、どんな音楽がやりたくて、どんなものが見せたくて…という一連の課題に向き合ってる最中なんだろうね。
深い所にあるまだミジンコサイズのエネルギーがいつか形になるといいよね。それが思ったのと違くても別にいいじゃん。
残念ながらある人には響かなくても、世界中の誰か一人の心に何か変化あれば素敵なことだしね。

口うるさいアミ、過干渉のアミ、執着するアミ、攻撃するアミ、何でも許すアミ、見守るアミ…その全ての顔色伺いはやめて、そのままの自分で、互いに幸せを願い合う関係、いい距離保って生きていこうねって、そんな風にも感じたなー

「 皆さんが応援してくださるのはとてもありがたいけど、本人の人生が1番にならないといけない」これ、まんま自分への言葉でもあるよね?人への言葉って大抵心底にある自分への言葉だったりするし。』

 

→ 総じて同意。

 

ただ、彼はまだここまで吹っ切れていないように私は感じます。というのも、「なんで皆さんは僕のことを愛してくださるんですか?」という命題に彼はまだ悩まされている。それを彼なりにじっくり考えた上で、後日、別のライブで改めてその発言に触れて、「皆さんが愛してくださるのには何か理由があるはずで<中略>だから僕は自分に自信を持っていいんだと思うことにしました」というような発言をしている。

 

これは人間の永遠のテーマというか、このブログでもコメントやメッセージで多くの方が触れてくださるテーマで(お一人お一人へのお返事が滞っていて申し訳ありません!)、「社会貢献をしない自分に、ラブマイセルフする資格があるのか問題」そのものだと思うんだけど、グクは上記の発言を見る限りでは「(自分が思うところの)ダメな自分」でもこれだけ多くのファンに愛されているからには、何らかの取り柄があるはずで、だから自分は自信を持つべき、という論理展開を繰り広げているよね。

 

BTSのあの歌に出てくる"you gave me the reason to love myself"だっけ?「自分を愛する理由をキミがくれた」現象から抜け出せていないように私には感じられる。

 

要するに、ジミンが言うところのSet Me Freeという感じではなさそう。

 

メンバー同士を比較するのも、多分嫌がるファンはいらっしゃると思うけれど、話が分かりやすくなるので、遠慮なく比較します。ジミンが同曲のMVで体に刻んでるリルケの詩(英訳)を引用すると、

 

I live my life in widening circles

that reach out across the world.

I may not complete this last one

but I will give myself to it.

I circle around God, around the primordial

tower.

I've been circling for thousands of years

and I still don't know: am I a falcon,

a storm, or a great song?

 

要するに、自分が何者か分からなくてもそれはさして問題ではない、自分は懸命に生きるのみだ、という結論が見えるよね。

 

ラブマイセルフできるかどうかをもはや議論の中心にしないという意味での「自由」を彼は手に入れた。

 

一方、グクはむしろ「自分は何者だろう。僕は何で愛されているのだろう。僕は何をもって自分を愛するべきなんだろう」という命題と今まさに向き合っている最中のように見えるね。(ずいぶん前から向き合っているようにも見えるけど。)

 

彼の出口はジミンとは違うかもしれない。同じかもしれない。

 

個人的には、それが分からないからBTSは面白い。

 

*「飾らない正直なwライブ」の意義

『今自分に湧き上がる感情をまるっと見せてる姿も、私は嬉しく思うというか。
打算的だったり、嘘っぽい方があまり好きではないから。そもそも一番楽しい時や忙しい時にwラに来るわけないし、グクがもっと大人になって、バンタン全員であのwラ見てゲラゲラ笑ってたらそれでよいし。
その時にジョングクが色々思うもそれでよいし。』


→ うん、これも面白い意見だね。

 

私はこれを読んで「プロ意識」という言葉を思い出したよ。グクにプロ意識がないと言ってるわけではなくて。

 

例えば、医療者だったら患者さんは彼のプライベートについて必ずしも知りたくはないよね。「最近妻と大げんかをしたせいでむしゃくしゃしてずっと医局で寝泊まりしてて、挙句の果てに研修医に手を出したその数時間後に何食わぬ顔で回診してる」なんて朝もあるけれど、それは絶対に患者さんには伝わってはいけない事情なわけで。

 

例えば、ホソクは「J-Hope像」を上記の医療者みたいな感覚で維持してるのかな、というのが私の勝手なイメージです。それが彼にとっての「プロ」だから。一方で、テテはもっと自分の内側もシェアすることに「プロ意識」を見出していそうだね。でも彼のそんな傾向を「プロ」と私が感じるのは、彼が最近、自分をよくコントロールできているように(これも勝手に)感じるからで。でも彼も1年ぐらい前はインスタで投稿しては削除してを繰り返しまくって、その意味深な投稿内容にもずいぶんハラハラした。

 

ここ最近のグクのライブに私がプロ意識を感じなかったのは、自己コントロールの欠如を感じたからです。自己をコントロールすることは、打算的になることではないし、嘘っぽい演出でもない。正直な自分を見せたい範囲で見せられる状態なのかなと私は思ってます。

 

翻って、ここ最近の「ジョングク」は、彼自身が本当にファンに見せたいと思っている姿だったのかな。というのが、私の率直な疑問。

 

*25歳という年頃について

『グクの年代って一番色々やっちゃう時だし、学生終わって働き出して一息ついてふと迷う頃じゃないですかね?少し分かったこともあるけど多くが不完全で、それでもより良い自分になりたくて、何をどう頑張ればいいのか分からなくて、感情のコントロール失敗して、もがいて、きつくて、寂しくて、誰かの優しさに泣くほど感動して…。』

 

→ そうだね。上に記した、まさに自制ができない状態だね。フツウはそれを全世界と共有してしまうという現象にはならないわけだけれど、グクはその立場上、彼がそれを本当の意味で望んでいるか否かに拘らず、そうなってしまっている。

 

一方で、25歳って実はそんなに自制が難しい年頃ではない気もする。一端の社会人としての態度を求められる業界はいくらでもあるよね。

 

BTSメンバー間で比較しても、25歳の時のホソクを私はリアタイで知らないわけだけれど、彼はグクとはまた違うアプローチだったんじゃないかな。ユンギ、ナムジュンも然り。彼らは自分の中の混沌を言語化することに長けているから、心情を整理しやすかったというのもあったかもしれないね。

 

ジンも割とホソクに近いアプローチというか、以前書いた気もするけれど、彼は自己コントロールの元に「理想のジン像」を演じているうちに、キムソクジン自身が「ジン」になっちゃった感じなのかなと私は勝手に想像してます。

 

*BTSから学ぶこと

『バンタンだけじゃないけど、どんなに多く大きな物を掴んでもずっと掴み続けることは困難で、形あるものを追う労力と時間と味わう幸せの比率を考えても妥当とも言えず。いつからか自分の中を満たすことの大切さに気づき始めるよね。
誰かとか何かのためじゃなく、自分のためにチャレンジしたり苦労したり幸せ感じたり。
成功とかの大きなことではなく、日常の小さなことに意味があったりね。

ソロ活で個々を追いきれないことが多いけど、青年期というか大人になる過程を見させてもらって学ぶことが多いよ。私にとってはジョングクの一連もその一つ。
これも新しいコミュニケーションというか、近づくこともない人と、お互いが本当かどうかも分からないけど、正直で温かく刺戟的で大切な関係を画面越しに感じ合う。そのことで自分が心に感じるその何かだけは本当で。
また一つ自分の枠組みが外れたような、こういうこともあるんだなーという体験のwラだったよ。』


→ 総じて同じ感想。

 

私はどちらかといえば、最近のジョングクには懐かしさを感じるというか、彼から何かを学ぶというより、彼の姿を見ることで、自分が確かに人間として成長したことを再確認させてもらってるような感じだけど、これもまた傲慢な解釈なんだろうね。

 

彼がこれからの活動次第で、こんな私をギャフンと言わせてくれることを心から期待しています。

 

(彼が期待しないでと言っても期待します。ファンなので。この度彼に失望したってわけじゃないけど、ファンって結局、何回失望させられたとしても期待し続ける存在のことだよね笑 その意味で人間は生きている限りにおいて、自分にとっての最大のファンであり続けるべきなんだろうけれど)
 

 

最後に改めてラベンダーさんへ

コメント/メッセージありがとう。ラベンダーさんのような思いの方もたくさんいらっしゃると思うので、シェアさせてもらったよ!たぶん私が書いたことより、ラベンダーさんの言葉を読んで気持ちが楽になる人も多いと思うからね。あとコメント、2部作かもしれないとのことなので、後半もお待ちしてます♡

 

 

最後までお付き合いくださってありがとうございました♡