お立ち寄りいただきありがとうございます♡

 

メッセージ、コメント、ありがとうございます。過去記事への感想もとても感激しながら読ませていただいています。

 

でもこういう感謝の言葉って、逆のメッセージにもなってしまうかもしれないので、念のために書くのですが、フォローを外したいと思う方はいつ外していただいても私は気にするどころか気づかないと思うので、心配されないでください!

 

もともと変なブログではありますが、最近特に変化が著しいので、こういうのなら読みたくないっていう方がいらっしゃるのは当然だと思っています。かと言って、私自身は書きたいこと・感じることはコントロールできないので。

 

しかも最近はメモみたいになってきていますが。

 

今回書きたいのはグクのアプリ削除の件について。

 

事実は彼がインスタを辞めたということそれだけです。

 

以下は私個人の感想です。私は精神科医でも心理士でもないので、何の専門知識もない人間の独り言です。

 

しかも前提として、まず最近、メンバーのことを理解してきていたと思っていた自分の勘違いに気付かされている気がします。それはこの1ヶ月、彼らから距離を置いてわかったことで。いや、距離を置いたからわからなくなったという方が正しいのかもしれませんが、例えば、実生活の友人だったら数ヶ月会話がなくても、相手のことを「わからなくなった」とは思わないですよね。

 

でもこの1ヶ月、BTSメンバーのことを極力表面的に見ていたら、自分がわかっていた気になっていただけだなって思うことがたくさんありました。

 

例えばジミンのこと。私はあれだけしつこいほどに彼の精神状態を心配していましたが、そうこうしているうちにあっという間に安定しましたね。いや、安定した「ように見える」と言うべきかもしれませんが、私はお陰でジミンとの本来の距離を取り戻しました。要するに、彼の内心には踏み込まず、パフォーマンスだけを楽しませてもらうファンに戻りつつあるということです。

 

ホソクの兵役の件は正直、驚きませんでした。ソロ活動も飛び抜けて開始が早かったし、会食後の彼の活動には、どんな時も覚悟がみなぎっているように見えた。あぁ彼は明日死んでも後悔しないだろうな、というのは彼を見ているとよく思うことですが、その雰囲気がここ半年すごく強くなった気がして、その先に当然のごとく待っていた兵役。ファンをびっくりさせないという意味で、彼は本当にプロフェッショナリズムが冴え渡っているんだと思いました。内心の動揺を全く表に出さずにやるべきことを淡々とやっていく強さがある。

 

遡ってナムジュンのインスタ一部削除。正直、実生活が忙しすぎてスルーっぽい側面もありましたが、まぁそんなこともあるだろうな、何か新しい活動の前兆かな、ぐらいにしか思いませんでした。いずれにしても、彼は会食以降、何となく吹っ切れた印象があります。そのせいか、個人的に以前ほど強い興味関心を寄せなくなりました。(要するに、私にとっては悩みの渦中にあるように見える人が興味深いということです。)ただそのうち興味の波は戻ってくると思っています。

 

ユンギに関しては継続的に同程度の関心を抱き続けている私です。彼が司会を務めるあの番組は、視聴できていない回もありますが、基本的に彼は聞き上手ですね。ナムジュンがいろんなことを自分の経験に結びつけようとするのに対して、ユンギはいろんな人のいろんな話に汎用性を持たせるアプローチが染み付いているように見えます。もちろん司会者として自分の話ばかりする立場じゃないというのもあるでしょうが、あれがユンギにとってのいつも会話運びなのでしょう。BTSでの立ち位置もそれを反映している印象ですね。

 

で。結局、テテとグクって私にとっては上記4人に輪をかけてナゾなんですよね。だからこそ彼らについての投稿が一番多いのかもしれない笑

 

テテはいろんなファンの方に正直で素直で純粋でっていう形容詞で表現されることが多いかと思うんですが、私にとっては本当に捉えどころのない人で。上記の形容詞のいずれも違和感はないけれど、私はどちらかといえば「イケメンで頭脳派」っていうイメージですかね。ポヤポヤしているように見えるけど、頭脳派特有のポヤポヤ感というか。同僚にも後輩にも上司にもいるめちゃくちゃ頭が良いタイプの人間のポヤポヤ感なんですよ、私にとって。

 

ナムジュンも頭が良いと思うメンバーとしてテテの名前を挙げていた気がしますが、ナムジュン・私タイプ(一括りにして申し訳ない!世界中の人類を2種類に分けたら、ぐらいに思ってください!)の思考回路の人間にはテテタイプって憧れなんですよね。絶対に自分には舞い降りない斜め上からのアイディアがたまらなく羨ましい。だからそもそもテテのことは理解できなくてもともとって思ってるんですが。

 

わかりそうで全くわからないのがグク。すごく安定していて大人びて見える側面もある一方で、すごく子供っぽくて衝動的な部分が見え隠れする。最近はその衝動性がなくなってきたように感じていたのですが、今回のインスタの件。「衝動性」という言葉を思い浮かべたファンって私だけですかね。

 

重ねて言いますが、これは私の個人的な感想です。何の根拠もありません。グクの衝動性を象徴するエピソードを挙げよって言われても直ぐには思いつかないぐらいの私です。何となくそういうイメージが蓄積されてるとしか言いようがないというか。しかも、私は切り取られた彼の一部を見ているだけなので蓄積に偏りがあるわけですが。

 

図々しく書き続けるなら、この衝動性って、彼の「満たされない感情」の表れのように私は感じていて。それがこのタイミングで現れたこと、実は驚きました。いや、彼が説明した通り深い意味は何もないんだと思いますよ。表面的には。彼が自覚しているレベルでも何もないのでしょう。

 

でも潜在化された焦燥感を私は最近の彼の発言や態度や容姿の端々に感じるということをメモしておきます。で、その理由は煮え切らないソロ生活なのではないかと思っています。だって、このソロ活動って全然ソロじゃないですよね。何をリリースするにしても、メンバーの共食い状態にならないように、タイミングを見計らって、きっと路線も調整して、かぶらないようにかぶらないようにやってますよね。「やりたいこと」がどれだけ実現できているのかわからない。

 

1ヶ月前までは逆のことを思ってました。ナムジュンにしてもホソクにしてもこんなに音楽性が違って、テテのクリスマスソングを聞いても、よくまぁこれだけ違う個性の人たちが七人でやってたなって思ったし、今もそれは思いますが、一方では、10年一緒にやってれば自ずとかぶる部分もあるはずで。でも体に染みついた「役割分担」はきっと完全にBTSから解放されない限りは抜けないから、「身の程をわきまえて」それぞれがソロ活動をしてるんだなっていうのが今の私の印象です。

 

ジミンのアルバムを聴いたらまた全く違う感想を抱くのかもしれない。ご存じの通り、私はああ言ってみたりこう言ってみたりが多いので適当に流していただきたいのですが。

 

グクの話に戻ると。彼、今結構時間がありそうですよね。

 

時間の余裕と酒と衝動性とバイク。嫌な組み合わせだなって思います、正直。極め付けは痛み刺激に快楽を求める傾向。こんなこと考えるのも職業病っていうか、私の方がどうかしてるし、彼のことなんてこれっぽちも理解していない一ファンの独り言なんですが、時間があるときは逆にお酒を飲まないでほしいなぁって思う。

 

正気ならもちろん何も起きないと思います。でも酒が入ると人間、一瞬にしてとんでもないことをしてしまうので。

 

ユンギがテヤンと話した時に、「小さな幸せを大切にしなければならないって話をよくします」って言ってましたよね。でも例えば我々小市民はそんな話しないですよね。そもそも小さな幸せしかない生活だから。小さな幸せ以外何を目的に生きるんだって話ですよ。でもそれを口にしないと忘れてしまうぐらいの人たちなんだなって、あの時ハッとしました。そりゃそうなんですよ。考えるまでもなく。金も名誉もあって。

 

でも彼らは彼らなりに満たされない気持ちがあるからあぁいうことをお互いにリマインドし合ってるんだなって思って何ともいえない気持ちになりました。

 

彼らとファンの関係が全て幻だとは思わないし、彼らは彼らなりに可能な限りで真実の姿を見せてくれているんだと思うけれど。

 

幸せそうに見える笑顔も、辛そうに見える影も、勝手に解釈しちゃいけないなって最近よく思います。(だからこの記事も戒めの対象です。)

 

グクは知ってるかな、バックナンバーのこの曲を。

 

 

誰の心に残る事も


目に焼き付く事もない今日も

雑音と足音の奥で


私はここだと叫んでいる


 

水平線が光る朝に


あなたの希望が崩れ落ちて


風に飛ばされる欠片に


誰かが綺麗と呟いてる


悲しい声で歌いながら


いつしか海に流れ着いて

光って


あなたはそれを見るでしょう



あなたはそれを見るでしょう

 

 

最後までお付き合いくださってありがとうございました♡

 

追記:

 

共感のコメントも、それ以外のコメントメッセージもありがとうございます。すぐに全てにお返事することはできないので、共通してご質問いただいている感じがする部分について、とあるメッセージへのお返事の一部を少しだけ編集して公開させていただきます。

 

要するに、最近の私の投稿に付随するモヤモヤ感についての解説です。(正直、私自身はあんまりモヤモヤしていないというか、むしろ吹っ切れた感じなんですが)

 

結局のとこ、ちょっと哲学的な域に入ってきちゃってると思う。若干プラトンの「イデア論」的な。と言いつつ、哲学は門外漢なんだけど。結局のところさ、芸能人とファンの関係ってすごく特殊じゃない?だって彼ら側から発信されるものをいくら見たって、双方向の普通の人間関係とは違う。後者の場合だって勘違いとか誤解はあるのに、前者の関係で勘違いがないと思う方がおかしいよなって。今は「インスタ抹消もグクらしい」みたいな表現も実はちょっと抵抗があったりして。その「らしさ」って我々が勝手に作ったイメージじゃん、みたいな。自分が言ってることも全然見当違いな感じもするけど、グクの笑顔や言葉を額面通りとって、「彼らしい」「潔い」って言い切ってしまうのも違う気がするってことなのかな。

要するに我々が見てるのは幻だから。我々それぞれのグク像であって、グク本人ではないから。それはグクのせいでもなく、ファンのせいでもなく、芸能人とファンという関係性ゆえの限界。

うん、そうだね。限界を感じてるんだと思う。もうこれ以上理解しようと思っても、勘違いの域を出ないところまできてるから、自分が思ったことは書くけど、それが全てだとは全然思わないし、でもそれとは違う意見についても、うーん、まぁそれがあなたのグク像なんですね、面白い!って思うぐらいの気持ちになってるってことなのかな。うまく説明できなくてごめんね。