Forever Love Forever Dream
このままそばにいて
夜明けに震える心を抱きしめて

Ah Will you stay with me
風が過ぎ去るまで
もう誰よりもそばに

Forever Love Forever Dream
これ以上 歩けない
Oh Tell me why Oh Tell me true
教えて 生きる意味を

Forever Love Forever Dream
溢れる涙の中
輝く季節が 永遠に変わるまで
Forever Love

 

***

 

X JAPANがメジャーデビューした頃に生まれた私は、彼らの全盛期には、父の仕事の都合で地球儀の上を転々としていました。世界的な評価も高い彼らですが、当時はYouTubeもない時代。昨日の「プロフェッショナル」を見るまで、私はYOSHIKIのことも、X JAPANのことも何も知りませんでした。彼らの楽曲にしても、誰かがカラオケで熱唱しているのを耳にしたり、テレビから流れてくるものを片手間に聞いたりしたことがあるという程度で、FOREVER LOVEのYOSHIKIのピアノを耳にしては、何だか自己陶酔型リチャードクレイダーマンみたいだと思ったりして、正直、その魅力が何なのかいつも不思議に思っていました。

 

でもこの度、私が関心を示そうともしてこなかったその音楽に、果てしない喪失と再生の物語が隠れていたことを知り、大きく印象が変わりました。番組は3つの死に触れます:幼少期に限りない愛情を注いでくれた父の自死、唯一心を許せる相手だったバンドメンバーの自死、そしてその2つを乗り越えられるよう寄り添ってくれた母に訪れた死。

 

印象的だったのは、YOSHIKIがこれらの喪失から立ち直れていないことを告白しながらも、彼の視線がいつも未来に向かっていることでした。番組の最後の最後でも彼は、自分の孤独について語りながら、「いつかは孤独じゃなくなるのかな」と独り言のように呟きます。それが僅かな希望なのかどうかは、私には分からなかったのですが、彼は、自分が愛する人間に置き去りにされるたびに、混乱し、打ちのめされ、でもその結果どういうわけか、ますます謙虚になり、生きることに真摯に向き合う以外の「チョイスがない」ことに気づいて、これまで懸命に生きてきた様子が、3年の密着取材から伝わってきます。

 

毎日何時間も続くピアノの練習、明け方まで終わらないリハーサル、忙しいスケジュールの合間に「ハヤシヨシキ」として行うボランティア活動。「売名と言われても偽善と言われても構わない。自分の行動で少しでも助かる誰かがいるのであれば、それで生きている意味を感じる」というのは一見、ありふれた言葉のようにも感じるけれど。

 

喪失の経験は、多くの場合、人間不信や自分が生きる世界への不信感・無力感につながるし、一生懸命生きることの価値までをも疑う人間の心理というのは、いろんな芸術のテーマになってきたように思いますが、YOSHIKIの生き方・価値観の根本には、「それでも信じる」という究極のポジティビティがあるように感じました。

 

あるいはもしかすると、そんな大袈裟なものではないのかもしれないし、ドキュメンタリーを見た私の上部だけの理解に違いないのだけれど、それはBTSとも共通する価値観で。YOSHIKIの話をしながらここでBTSという別のアーティストについて触れるなんて、YOSHIKIのファンの方には本当に申し訳ないと思うのだけれど、アジア人として米国の音楽市場に挑戦状を叩きつけたことや、その挑戦に伴って耐えなければならなかった孤独があったという意味での共通点はきっと確かにあって。

 

音楽ジャンルも国籍も時代も違うと言ってしまえばそれまでだけれど、彼らの物語にはある程度の普遍性があると思います。だから両者には根強いファンがいるし、そのストーリーの真実性もまた、こうして人の心を掴んできたのだと思います。

 

例えば、お母様が亡くなられた際に、その死を悲しむ言葉をSNSに投稿したことに関して、YOSHIKIはそれを自分の孤独の証であるように話します。「だって、孤独じゃなかったら、あんなことSNSに書かないでしょ」

 

翻って、BTSメンバーがこれまで習慣にしてきたSNS発信。もちろんこれは、彼らをビッグした何よりもの商法という側面だけでなく、彼らがファンと繋がるために楽しんできた行為でもあり、そこに影を落とすようなことを書くことを嫌がるARMYはいるかもしれないけれど、不特定多数を対象にした発信で満たされる心には、YOSHIKIが認めた通り、何らかの孤独が潜んでいるのかもしれません。

 

だって、そばに寄り添ってくれる人がいるなら、その人に話せばいいだけのことで、全世界に話を聞いてもらう必要なんてきっとない。テテのお祖母様が亡くなられた時に、彼がコンサート会場に集まったARMYに「僕のおばあちゃんのことを覚えておいてください」と言っていたのが私には非常に印象的だったのですが、私だったら、祖母との記憶を共有する人以外に、あんなこと求めない。

 

もちろん、あのステージでは一緒に涙を流してくれる他のメンバーの姿もあって、それがまたファンの胸を打ち、テテの喪失の経験が温かい記憶に置き換わった素敵なステージとして、ファンの間では認識されているように思うし、テテの悲しみとYOSHIKIの悲しみをパラレルで見てしまうのはきっと私だけで。

 

そもそも、世界への挑戦の中でお互いへの厳しさを増し空中分解してしまったX JAPANとは反対に、挑戦の中でお互いを認め合って絆を深めた7人。それを同じ土壌で語ろうとすること自体、無理があるのかもしれないけれど、ここで私が思い出すのはやはりあの会食です。

 

あの時、私は確かに、強い絆で結ばれ、いまだにそれに縋りつこうとしながらも、とりあえず自立の道を選んだように見えた彼らが、ずっとそれぞれに抱えてきたであろう孤独を見た気がしました。そしてそれはきっと、他にも感じたARMYがたくさんいたのだと思います。だからこそ、彼らの友情タトゥーがあんなにも胸熱だったわけで。アーティストの孤独との付き合い方というのは、それがそのままファンに訴えるメッセージになるように思います。YOSHIKIの哲学は「それでも一生懸命生きる」。BTSの哲学は「それでも相手を信じる」。

 

違うようでいて、とても似ていますよね。

 

番組の終盤、YOSHIKIはお母様の四十九日のために帰省した時の話をします。レコーディング中の一コマですが、その日参加していたボーカリストHYDEの影響もあったのか、YOSHIKIはいつもより饒舌な印象で、法事が偶然にも夕方5時からだったというところから話は始まります。そして法事の開始と同時に、どこからともなくFOREVER LOVEが流れてきて、驚くと共に感極まったのだけれど、蓋を開けてみたら、自分の故郷では5時を知らせるメロディーとして、時間になると町中のスピーカーがFOREVER LOVEを奏でることになっていたようで、それを知った時に、自分はロックスターになるという高校時代の夢を叶えたんだという実感が湧いてきたと話します。

 

世界に認められようと活動する中で、母との時間を失い、その時間は、今後自分が何を成し遂げようとも取り戻すことができない時間であると、声を詰まらせながら語っていた彼。BTSも、それぞれに失ったものはあるでしょう。私自身も、失ったものはあったと思うし、いわゆるSNSは利用しませんが、こんなブログをシコシコ書かずにはいられないというのは、まさに孤独の証だと思います。

 

でもだからこそ、同じような孤独を抱えるアーティストの作品に心を揺さぶられるわけで、そんな胸熱体験もまた、人生を彩ってくれる大切な体験ですよね。

 

最後までお付き合いくださってありがとうございました♡