RM 'Indigo' Identity Film - Pantip

 

直接的な制作背景というか、事前に配信されていた解説やコラボ相手の方々に関する情報にはほぼ触れずに、タイトル曲だけを聞いた感想なので、激浅ですが、一応記録に残します。

 

背景知識不足の試聴になってしまったのは、単純に忙しくて最近BTSを全然追えていないというだけなのですが、できることなら、彼らのこともナムジュンのことも全く知らない状態でこのアルバムを聴いてみたかったとも思ったわけで。それはもはや不可能にしても、それに最も近い状態でこの作品に触れることができるのは、結果的には良いのかもしれないと思っていました。

 

いずれにしても、中身に入る前に、アルバムタイトルと上の記述から思い浮かぶテーマが「経年変化」だった方は多かったのではないでしょうか。上記では「太陽光で色褪せたジーンズのようなレコード」と言葉が添えてありますが、要するに、インディゴジーンズの色が徐々に変化していくように、このアルバムも、聴く人の成長に合わせて変化していくはずだという願いも感じられますよね。

 

それに加えて、制作者が東アジア圏出身だという最低限の背景を踏まえれば、彼自身の「青」春が今後どのような経年変化を遂げていくのかに思いを馳せながら作られた「今」の記録なのかな、という印象も受けます。

 

あと興味深い点があるとすれば、「independent phase」の記録だと言いながら、コラボ楽曲が大半を占めているということかもしれません。制作者は、他人との対話と共同作業を通して自分を理解しアイデンティティーを見つけていくタイプの人間なのか。。。あるいは、自立したから自由なコラボが可能になったということなのか。。。

 

はたまた、「自立」の意味をさらに追求するとすれば、こんな話も思い出すわけで。つまり、母親のみに頼っている子供が、徐々に頼る対象を増やしていくことを「自立」と呼ぶらしいのですが(出典:どこかの小児科医の方だったと思うのですが詳細を思い出せずすみません)、どんな人間も一人では生きていけないにしても、頼る相手がたくさんいれば、誰かが倒れても、自分自身は倒れずに立ったままでいられるということですよね。このINDIGOも、「誰にも頼らない自分だけの作品」ということではなく、「たくさんの人に頼ることで実現した自立のフェーズを描いた作品」なのであろう。。。

 

そんなことを考えながら聞いた「Wild Flower」。

 

 

結果、韓国語がわからない身分でナムジュンの楽曲について語ることへの限界を感じました。同時に、BTSとナムジュンは切り離したくても切り離せないのだという当たり前のことを今更ながら再確認しました。BTSはもちろんナムジュンなしには存在し得ないし、ナムジュン自身もBTSがない世界には戻れない。だから逆に、今までの文脈を把握していない人の目にこの楽曲、ひいてはアルバムがどう映るのか、それはそれで気になる一方で、文脈を少しばかり理解してしまっている身としては、この楽曲の至るところに今までのBTS楽曲の気配を感じずにはいられませんでした。パッと思いつくだけでも

 

- 自分の心臓の鼓動で眠れなかった夜→ Love Myself

- 窓の外にかかった哀れな三日月→ 4 o'clock、DNA、その他諸々

- あの飛んでいく風船を精一杯握って→ Blood Sweat and Tears

- このうんざりする仮面はいつ剥がされるのだろう→ Fake Love、ON、Singularity

- 自分の身の丈より大きくなった life→ これ、、思い出せそうで思い出せない笑 Baepsae?

 

ナムジュンが言うところのINDIGOが、このブログの最初の投稿で記したBTSにおける赤と青の意味を踏襲したものだとは思いませんが、青が紫の一部であることはやはり無視できないし、青に纏わる作品で思い出してしまうのはホソクのBlue Sideですよね。あれもまた青春と炎について語った楽曲ですが、奇しくも同じ94年生まれの2人が同じようなテーマで語ることになろうとは。。。ついでに比較することが許されるならば、ホソクのJack In The Boxが自身の真実をフィクションの世界に投じようとするのに対して、INDIGOが強いノンフィクション臭を放っているのも興味深いですね。

 

 

で、話を戻しますが、下記歌詞の「燃える花火から野花へ」。英訳は「Burning fireworks to flowerworks」となっており、タイトルをWild Flowerと訳しながらも、曲中ではあえてflowerworksという造語?を使用しているところに、「花火」に続く、ナムジュンの今後の「作品」のアイデンティティーが強調されているように感じます。

 

一部では日本語タイトルが「野花遊び」とされているところも見ると、「燃える花火から野花へ」は「火遊びから野花遊びへ」とも解釈しなおせるわけで、FIREでのBTSの火遊びを思い出しつつ思うのは、「地に足が着かない」ままの火遊びを経て、ついに元来の詩人キムナムジュンに戻っていくということなんだなということ。そしてそんな原点回帰を目指すアルバムが来るというのは誰の目にも明らかだったというか、あの会食も含め、ここ数年のインタビュー等での発言は全て彼なりのいつものスポだったのだということ。

 

ふと立ち止まってみたら輝かしい素足

もともと僕のものは何もなかったんだ

And don’t tell me like you gotta be someone

(別の誰かにならなきゃなんて言わないでくれ)

僕は絶対彼らのようにはなれないのだから

(Light a flower)

そう、僕の始まりは詩

今まで僕を守ってきた唯一の力と dream

燃える花火から野花へ

少年から永遠へ

僕はこの荒れ果てた野原に残ろう

ああ、いつかは僕 戻っていこう

 

あの空に散りたい

Light a flower, flowerwork

Flower flowerwork

あの空に眩しく

Light a flower, flowerwork

Flower flowerwork

 

Flower field, that’s where I’m at

(花畑、それが僕の今いる場所)

Open land, that’s where I’m at

(空き地、それが僕の今いる場所)

No name, that’s what I have

(名もなき名前、それが僕の全て)

No shame, I’m on my grave

(恥はない、自分の墓の上で)

両足が地につかないとき

あなたの心があなたを見下すとき

夢が僕を飲み込もうとするとき

僕が僕でないとき

そのすべてのとき

 

でもMVからまず感じるのは、花火も雲の上から見ると、随分と印象が違うということですよね。地上から打ち上げる花火にはもちろん誰もが気づく刹那の美しさがあるけれど、一旦、上空に達して爆音からも少し遠ざかってみると、違う景色も見えてくるわけで。多くの人に気づかれずとも、野花のようにさりげなく寄り添える穏やかな存在でありたいという、自分が本来求めていた生き方を思い出したということなのでしょう。

 

 

Dynamiteがビルボード1位を取ると同時にアイデンティティークライシスに入っていったナムジュンは、当時、自分達の真心がタンポポの種のように飛んでいって誰かの心に花を咲かせることを願っているというようなことを言っていたように思いますが、ワンアンドオンリーになりたい、とか、時間の裁きに耐えうる作品を、なんていう発言が目立つようになった今も、やはり根本は全く変わっていないんだなと思いました。

 

少しずつでもいいから、誰かの心に小さな種を蒔いて、その人が必要とするときに、ふと咲く歌になること。

 

それは人生の季節ごとに色も形も少しずつ変化していく花かもしれないけれど、辛い時には必ず寄り添ってくれる花であることをナムジュンはずっと願っている。

 

ワンアンドオンリーになるって結局そういうことだというのが、30代を目前に控えた彼の暫定的な答えだったのでしょう。

 

このINDIGOが、結果的に経年変化を楽しめるほどに私自身の心に根を張ることができるのか、そして、これ以上ないほどに濃厚なインディゴ色に染まったナムジュンの青春が今後どんな経年変化を遂げていくのか、楽しみで仕方ありません。

 

他の楽曲については、それぞれが私の中で花を咲かせたタイミングで記したいと思います。

 

最後までお付き合いくださってありがとうございました♡

*引用した訳詞は英語部分以外公式です*