Imagine there's no countries It isn't hard to do Nothing to kill or die for And no religion, too

国境が存在しない世界を想像してみて

難しいことじゃないはず

何かのために殺したり、死んだりもなく

宗教も存在しない、そんな世界を

 

Imagine all the people Livin' life in peace

世界中の人々のことを想像してみてよ

平和な世界を生きている人たちのことを

 

You may say I'm a dreamer But I'm not the only one I hope someday you'll join us And the world will be as one

君は僕のことを夢見がちだというかもしれないけれど

こんなことを考えているのは僕だけじゃない

君も僕たちの仲間になってくれればうれしい

そうしたらいつの日か世界は一つになれるから

 

(Imagine, John Lennon, 1971)

 

 

 

同性同士の性的接触が違法とされ、7年の懲役刑に処せられる可能性もあるカタール。10年前に同国でのワールドカップ開催が決まってから、6000人の移民労働者の命が奪われ、人権侵害の上に開催されることになったと言われる今回のワールドカップ。

 

それを支持するパフォーマンスが批判を浴びるこの展開は誰の目にも明らかでしたよね。BTSが今まで国連やホワイトハウスで主張してきたメッセージを思えばなおさら。

 

個人的には体調やら仕事の忙しさやらで本件に関して深い思考ができない状態なので、記事を書くべきか迷っていましたが、このブログの理念?からして、ここで沈黙するとしたらそれはグクの沈黙と同じであり、私自身にとってストレスになるので、後で追記するつもりで軽くメモします。

 

まずFIFAでのパフォーマンスのことを聞いて真っ先に思ったのは、グクあるいはBTSがどうっていうより、HYBEにも韓国政府エンタメ担当?にもブレインがいないのかってことですよね。韓国カタール間の経済関係を考えて、どうしてもKpopアーティストを送り込む必要がある催しであったことは理解するとして、それでも国連・ホワイトハウス担当アーティストにカタール担当を兼任させたら、その矛盾がKpopのレピュテーションを下げ、ひいては韓国自体にツケが回ってくると考えるのが自然では。。。?

 

今までせっかくBTSが築き上げてきたメッセージとそれに付随するブランド価値を少しでも理解していれば、Left and RightでLGBTQを支持させた後に、カタールでパフォーマンスさせることが、「JK of BTSのメッセージ」を文字通りleft and rightに揺さぶり、グクをアーティストとして迷走させ、結果、BTS自体の価値を下げることは容易に想像できたはずで。

 

ジンが言うところの「従業員」から声を奪うなら、奪うなりに守って育てる戦略がなければならないと思うし(一部のメンバーが国際情勢に無頓着なら、英語教育担当を設置するのと同じように、BTS規模のアーティストには政治教育担当がいても良い気がします)、スポンサー事情などのせいで本人の信条に反する舞台を押し付けるようなことは本来なら許されないのではないかと思います。

 

つまり、ユンギが言うところの単なる「スピーカー」としての役割を担うにしても、それを何年も続けるなら、実質を求められるのは至極当然なことで、メッセージがこんなに左右にぶれるようでは、それこそ裏切られたと感じるファンがいてもおかしくないし、ここまで来ると「彼らの音楽は好きだけれど、哲学・理念がないからそもそもファンにはなれない」と考える人もいるでしょう。

 

私自身は韓国でどんな人権教育がなされるのか(あるいはなされないのか)全く知りませんが、「イエローなアイドルがホワイトハウスに呼ばれるとき」というようなタイトルの記事を書いた時に、たとえば何世代にも渡って米国に住んでいながらアジア人だというだけで銃を向けられるような恐怖とは無縁な、韓国育ちかつ韓国在住の彼らが「アジアンヘイト」について語ることへの少しばかりの違和感について記したように思います。

 

でも、やっぱりクリスが言う通り、英語を話す欧米人のグループではなく、韓国語を話す韓国育ちの彼らが、価値観を異にする世界中のファンに支持されたということに意味があると思うし、そこに多くの人間が希望を見出しているわけで、その根本には、表向きだけでもいいから一貫した哲学を求めたいと、個人的には思います。

 

グクのことは好きだけど、彼の表向きの理念の欠如?を支持するかどうかはまた別な話なわけで。兵役を控える彼の立場を考えればそれを責めることもお門違いなのはわかっているんだけれど。

 

そもそも彼はBTSのなかでは哲学/ポリシー/理念担当ではなかったと思うし、もちろん彼のことを馬鹿にしているわけではないことは明記した上で、たとえばナムジュンが人権侵害国への支持を表明するのと、今回のグクの件はまた印象が違うと個人的には思います。

 

そしてむしろ、カタール入りしてからもLGBTQ支持ブランドの製品を身につけるのは命懸けの訴えだと感じる贔屓目のファンもいるかもしれません。でも私自身はそんな生半可なメッセージで何が相殺されるわけでもなかろうと思うし、今回のグクとは対照的に自分のポリシーを明らかにしたDua Lipaの発言に共感せざるを得ません。

 

“There is currently a lot of speculation that I will be performing at the opening ceremony of the world cup in Qatar. I will not be performing and nor have I ever been involved in any negotiation to perform. I will be cheering England on from afar and I look forward to visiting Qatar when it has fulfilled all the human rights pledges it made when it won the right to host the World Cup.”

「カタールでのWCのオープニングセレモニーで私がパフォーマンスするというような推測があとを立たないようですが、私は如何なるパフォーマンスをする予定もありません。私は母国イギリスを応援しつつ、将来カタールを訪れる日を楽しみにすることにします。つまり同国がWCの開催国に決まった際に、かつて約束したことを今後、全て実現し、人権が守られる国になった日にこそ私はカタールを訪れたいと思っているということです」

 

もちろん彼女とグクとでは、人種も、立場も、受けた教育も、出身国も、全く違うアーティストではあるけれど。

 

今はただ、グクが言うところの「Dreamer」が、ジョンレノンが書いたImagineのdreamerを支持していることを願い、世界中が注目する開会式でそのメッセージが明確に表現されることを期待するばかりです。

 

最後までお付き合いくださってありがとうございました♡

 

追記1

すでにたくさんのコメント、メッセージ、本当にありがとうございます。私のトゲトゲしい記事の内容に反して皆様のお手紙が優しくて、めちゃくちゃ癒されています。全てに今すぐお返事したい思いですが、とりあえず改めて考えさせられた点を↓

 

スポーツは如何なる政治信条とも切り離して考えるべきだし、選手の中にはLGBTQはじめ、カタールでまさに人権侵害の対象になるような人もいるはずで、でもそんな彼らはプロとして、開催国の政治信条なんかを理由に試合をボイコットするわけにはいかないだろうという点、本当にその通りだと思います。だからグクに関しても同様だというご意見も、もちろん理解できないわけではありません。

 

しかしこればっかりは、BTSの何が好きで、そもそもアーティストという人種をどう考えるかですよね。確かにグクもBTSも政治家や人権活動家ではないけれど、私自身はやはり、表現者たる者、思想・信条をパフォーマンスに込めるのは当然のことだと思っているし、今までのBTSのメッセージ無くして彼らを好きになることはまずなかっただろうと思います。

 

だから、「歌のことだけを考えるグク」を応援したい方のお気持ちにも強く共感しつつ、でもその歌でそもそも何を伝えたいのか追求するなら、彼がどこでどういう文脈で歌うかも気になるし、やはりスポーツ選手と表現者というのは別モノだと考えざるをえないです。スポーツと政治信条を切り離すことはできても、表現者とその政治信条とを切り離して考えるわけにはいかない。。。でも「全ての思想を排除して、ナムジュンが言うところの純粋な聴覚体験を提供すること」こそがグクの哲学なら、それも支持したい、、、と複雑な心境をぬぐいきれない私です。

 

追記2

開会式まで1時間を切った今、ようやくDreamersの音源を聞き、上記記事を書いた時に私が見逃していたDreamersの「s」に全てが詰まっていたことに気づきました。だって、この歌、見ようによっては本当にImagineのオマージュですよね。そしてそうだとすると、1971年にたった1人だったdreamerが50年の時を経てdreamer"s"になっている。。。だからなのか、1971年のジョンレノンと比較して2022年のJK of BTSはだいぶ強気な様子が伺えます:

 

僕は夢見がちかもしれないけれど、こんな夢を抱いているのは僕だけじゃないから、君も僕たちの仲間になってほしい、と歌っていたレノンに対して、JKは、世界を変えるのは夢見がちな俺たち以外にいないんだよ、お前も俺らと世界を変えたいなら連いて来な、と歌っている。

 

Dua Lipaのような主張でカタールのトップを追い込まなければ、実質的な変革は引き起こせないのかもしれないけれど、でも、そうやって距離を置かれてしまった国家で実際に今生活し、人権侵害の対象となっている人々の身になって考えてみれば、DuaLipaアプローチには孤立感を強めただろうし、外からの強い圧力に感謝する一方で、取り残された感も否めない心境を抱いていたに違いなく。

 

だからこそ、そこに現れた世界中のサッカー選手やJKにある種の救いや希望を見出したカタール人もいたことと思います。

 

自分たちは世界に見捨てられたわけではない。ようやく世界が振り向いてくれている。そう感じている人々は、カタール以外にもいるかもしれないし、世界中が固唾を飲んで見守る舞台で正々堂々と全身でImagineの世界を表現してくれるJKの姿に、彼らは胸を熱くすることでしょう。

 

ジョングクさん、世界を変えてくれるかもしれません。

 

Look who we are, we are the dreamers

We make it happen, cause we believe it

Look who we are, we are the dreamers

We make it happen, cause we see it

僕たちを見て 夢見がちな僕たちを

僕たちこそが奇跡を起こすんだ 奇跡を信じているから

僕たちを見て 夢見がちな僕たちを

僕たちが世界を変えるんだ 僕たちには未来が見えているから

 

Here's to the ones that keep the passion

Respect, oh yeah

Here's to the ones that can imagine

Respect, oh yeah

情熱を捨てない奴らに乾杯

リスペクトを

想像力を捨てない奴らに乾杯

リスペクトを

 

Gather around now look at me

Respect the love, the only way

If you wanna come, come with me

The door is open now every day

僕の周りに集まって僕を見て

愛にリスペクトを それこそが答えだから

君も来たいなら僕について来な

いつだってそこのドアは開いてるから

 

This one plus two, rendezvous all at my day

This what we do, how we do

1人が2人になって、待ち合わせ場所で人がどんどん増えていく

これが僕たちのやり口 こうやって世界は変えていくんだよ

 

Look who we are, we are the dreamers

We make it happen, cause we believe it

Look who we are, we are the dreamers

We make it happen, cause we see it

僕たちを見て 夢見がちな僕たちを

僕たちこそが奇跡を起こすんだ 奇跡を信じているから

僕たちを見て 夢見がちな僕たちを

僕たちが世界を変えるんだ 僕たちには未来が見えているから

 

(Dreamers, Jungkook of BTS, 2022)