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これ、実は昨年の2月に書いたまま下書き保存になっていたものです。最近知ることになった、ある楽曲をきっかけに思い出したので公開します。追記する部分は全て小文字イタリックにします。

 

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Look at the stars Look how they shine for you

And everything you do

Yeah, they were all yellow

星を見てごらん

君のために輝いている

君の全てのために

すべては黄色

 

I came along I wrote a song for you And all the things you do

And it was called Yellow

僕がやってきて

君のために歌を書いた

君の全てのために

黄色という歌

 

 

かつて漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したということを、私はとある韓国人の青年を通して知りました。

 

これをテテに教えた日本語の先生も粋だと思うのだけれど、そもそも「愛してる」ってどういう意味だろうと幼いテテ少年が思っていたところに、こんなピッタリな表現が現れて、彼も目から鱗だったのだろうと思います。

 

中学生の頃だったか、綿矢りさの「蹴りたい背中」を読んで、愛情には「背中を蹴りたくなる類の愛情」もあるのか、ふむ。と納得するような、しないような不思議な気持ちになったことをぼんやりと覚えていますが、その頃の私よりはいくらか年上だったかもしれないテテ少年も、それまでの成長過程でいろんな感情との出会いがあり、ようやく漱石の言葉と巡りあったのだろうと推察します。

 

今日はやけに月が綺麗に見えるなぁ、この気持ちは何だろう、これが世に言う恋なのかなぁ、でも愛とか恋なんていう言葉では僕のこの気持ちは捉えきれないんだよなぁ。そうか、「月が綺麗ですね」ってそのまま言えばいいのか!という具合に。

 

ナムジュンや、もしかするとユンギもそうかもしれませんが、彼らが言葉に絶大な信頼を寄せるのとは対照的に、テテは言葉には限界があることを知っているように思います。自分が抱く感情だけでなく、湧いてくる考えや、築く人間関係についても、この世に存在する言葉では言い表せないものがたくさんあると気づく中で、彼なりに既存の言葉を少し変えてみたり、自己流の意味を加えてみたりして。「瞬き一つで世界を震撼させる表情王子」と呼ばれるようになったのも、あるいは言葉に頼らない表現法を求めるようになったおかげなのかもしれませんね。

 

言葉にしてこそ思考は存在すると私なんかは思いがちですが、考えてみれば、言葉にならなくても確実にそこにあるものってありますよね。我思う故に我あり、ではないですが、言葉という形にできなくても思いは確かにそこにあって、それがなかったことにはならないし、ピッタリくる言葉が後に現れることもある。

 

「紫するよ」って日本語で言うと何だかイマイチな響きですが、「ボラへ」という言葉も、それが包含する色合いや響きの中に、その言葉を初めて当てはめた時のテテの温かい気持ちや、コンサート会場の熱気や、彼とファンが抱いていた夢などいろんなものを凝縮させた唯一無二の表現であり、それはそんな記憶を共有する者たちだけが理解できるという意味でもとても特別な合言葉。

 

きっとテテのことだから他にもたくさんのそういった表現を蓄えているのだと思います。その中には、たった一人の大切な人のためだけの言葉もあることでしょう。

 

(でも下記の歌詞に出てくる「黄色い線」を大切にしながら言葉を紡いでいるのだと私は想像しています。いや本当に信じられないような黄色い線ですが、いろんな事情を考えたら大切な線ではある気がする。。。その線を越えることが許される日は来るのか)

 

I swam across I jumped across for you Oh, what a thing to do 'Cause you were all yellow

海を渡り

崖から崖へ

信じられないこともした

君が黄色だったから

 

I drew a line I drew a line for you Oh, what a thing to do And it was all yellow

線も引いた

君のために書いた(僕との間の)境界線

信じられないような

黄色い線

 

And your skin, oh yeah, your skin and bones Turn into something beautiful And you know, for you, I'd bleed myself dry For you, I'd bleed myself dry

君の肌と、肌と骨

美しい何かになっていくんだ

そんな君のためなら僕は血を流すこともできる

君のためなら干からびるまで

 

Chris MartinはYellowの制作過程で「すべては黄色」という歌詞にたどり着いた経緯について、2011年には、偶然レコーディング中に出てきた言葉だと語っていますが、さらに遡ると2005年には次のように語っています。「星を見てごらん/ 君のためにこんなにも輝いている/ 君の全てのために」まで出来上がっていた歌詞の後のメロディーを埋める言葉が見つからず、ふとホテルの部屋を見渡してそばに見つけたイエローページから引っ張った、ランダムな単語が「イエロー」だったと。Yellow Lyrics Genius

 

「場合によってはプレイボーイという楽曲になっていたかもしれません。」と続けた彼。そんな風に言われてしまうと、「イエロー」はテテの「ボラへ」とはある意味では正反対の経緯で充てがわれた言葉のようにも思えますが、そのランダムさと空っぽさ故に、楽曲を聞く側がそれぞれにいろんな意味を付与することができるわけですね。

 

YouTubeでYellowのコメント欄を見ると素敵な思い出で埋め尽くされています。亡くなってしまった義父とのこと、大好きだった彼を一度だけでいいから「お父さん」と呼べばよかったという後悔と共に溢れる想い。あるいは帝王切開中にこの楽曲が流れてきて、サビに重なった産声を耳にした時の感動。はたまた、がんで亡くなった恋人が、LGBTQへの偏見なんか跳ね除けて絶対に幸せになるのよと言ってくれた温かい記憶。

 

私自身はこの楽曲に紐づけるような大きな出来事は特にないのですが、今日この楽曲を久しぶりに聴いて、ある夜エドから久しぶりにラインが来た時のことをふと思い出しました。コロナ禍でICUが満杯になり、これ以上重症患者さんを受け入れることができなくなった時、救急車を連日断り続けなければならなくなり、ただただかかりつけの軽症患者さんの対応をするためだけに通勤してやる気を失っていた私の現状を特に知りもしなかったはずの彼が、夜遅くになって「西の空を見て」と一言。

 

日頃、空を見る習慣もあまりなければ、西がどっちかもわからないほど方向音痴な私ですが、ベランダに出た途端、都会の明るい夜でもはっきりとわかるぐらいに輝いている星が一つ遠くに見えたのです。それだけしっかり見えたということは、その星はそもそも黄色(五等星)ではなく白かった(三等星以上だった?)に違いないのだけれど、その星を見つけて、ただそれだけのことをとても嬉しく思ったことを、さっき思い出しました。

 

その数ヶ月後には大切な面接があり、職場も変わり、そのうち父の手術もあり、その数ヶ月後には母も入院し、何となく記憶がぼんやりしている中で、すっかり忘れていたはずの小さな幸せを思い出させてくれた「Yellow」。

 

Dandelion Meaning, significance, benefits and medicinal uses

 

「月が綺麗ですね」

 

この表現を口にするたびに、テテにもまざまざと蘇る心情があるんだろうと思います。時にはその気持ちを思い出すためにこの言葉を声に出すこともあるかもしれないし、その時にはきっとこれが日本語か英語か韓国語かなんていうのは些細なことで、この響きが再現してくれるあの時の気持ちをテテはきっと今でも大切にしているに違いないと思うわけです。

 

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私は Back Numberの楽曲をあまり知らないのですが、最近、偶然にも「黄色」という楽曲に出会いました。最初に耳にした時は、ただブリッジのメロディーとその後の展開が印象的な楽曲で、のちにMVを見たのですが、LGBTを題材にしていることに正直、驚きました。溢れる気持ちに「硝子の蓋を閉めなければならない」様子を、黄色信号に喩えるタイトルが秀逸ですよね。リリースは2年前。

 

 

翻って今、実は夜勤真っ只中で、一般病棟の研修医室ではバックグラウンドに「グレイズアナトミー」が流れているのですが、さすが米国。10年以上前に放映されたエピソードで、レズビアンカップルが描かれています。しかも男性同僚医師に精子提供してもらって女性医師カップルが子供を授かるという展開。精子ドナーになったその同僚と恋仲の研修医は、その事実を知って彼と別れる決断をする、というなんとも入り組んだ話なのですが、実は全然他人事に思えなくて。

 

ここからは非常に個人的なことを書きます。まぁ、多様性について語ってきたつもりのこのブログには、一応、記しておくべきかなぁと思う話でもあるから書くのですが。。。

 

というのも、Too Sad To Danceの記事で触れた人物との関係を私は、とある会話をきっかけに大きく拗らせてしまったのです。(せっかくなので?エドまで登場したこのタイミングで、過去の男に関しては精算の意味も込めて全て書いてしまおうと思います!ってこのブログ、もはやジャンルがブレにブレてきてるので、ご興味がある方だけ読み進めてください笑)

 

あの記事を書いてから間もなく、車中で突然、別の病院(他州)への再就職を控えていることを彼に切り出されました。その時「このことは誰にも話していない」と繰り返す彼に、私は「どうしてそんな大切なことを私に教えてくれるのか」と疑問をぶつけたわけです。すると、彼は「いずれ言わなければならないことだから」と返答しました。腑に落ちない表情の私に、「他に言っとかないといけないこともあるんだけど」と明らかに気まずそうな彼。長い沈黙に耐えきれなくなり、「え?なに?」と聞くと、実は母国に婚約者がいるとのこと。

 

やっぱり、と思う冷静な自分と、遊ばれた、と激しく傷つく自分がマックシェイクのように渦を巻きました。その混乱の中で私は信じられないようなことを口にしてしまったのです。精子ドナーになってほしいと。私はこんな性格だし、配偶者が得られない可能性が高いから、精子バンクの利用も考えたけれど、バンク経由で生まれた子供が一般に抱えるアイデンティティクライシスについて読むと、やはり知り合いから精子をもらいたい。何処の馬の骨かもわからない赤の他人ではなく、母の大切な友人から遺伝子を引き継いだと知ることができれば、子供もなんとか納得してくれるだろうと、私はつらつらと述べました。返答は急いでいない、自分はこれから受けなければならない試験もあるし、試験が終わったらまた連絡するからそれまでにゆっくり考えてみてほしいと言いました。

 

その数日後、彼から他人行儀なメールが届きました。精子ドナーとして選んでもらえたことが男性としてどんなに光栄であったか、しかし自分の価値観を鑑みると、同じ屋根の下で暮らす前提のない女性との間に子供は作れない、しかし君への友人としての情や尊敬の気持ちは不動のものだから、今後も変わらない関係を望んでいるということがつらつらと述べられていました。

 

私は、その他人行儀なほどに丁寧なメールにさらに傷付けられました。渡米前に「らじこには時代の最先端を行ってほしい」と先輩に言われた時のことをふと思い出しました。「女が結婚しなければ幸せになれない時代は終わった」とその先輩は、夜勤中の空き時間に口にしました。「男なんか所詮ATMだからな。好きでもない男と結婚するぐらいだったら、らじこは適当な奴に精子を提供してもらえばいいよ」と。彼自身は、結婚して第一子が生まれたばかりでした。ピルを内服していると言い張った看護師との授かり婚に、それなりに納得した様子だった彼。

 

夜勤中のこんなやりとりを参考に生きるほど馬鹿な人間ではなかったはずの私ですが、上記メールの文面に、2度、3度と目を通すうちに、私も嘘ぐらいつけばよかったのだろうか、と考えました。彼があれだけ寝たがった時に、ピルを内服しているフリでもして子作りの一つでもすればよかったのか。私が知らないところで、世の中はそんな風に回っているのか。

 

はたまた彼が急にこんな他人行儀になったのは、面倒な女だと私のことを思った以上に、「単なる精子バンク」として見られていたことを、本当は屈辱的に感じたからなのではないかとも思いました。要するに、彼の視点からすれば、私は「身体はいっこうに許さない一方で精子だけは求めてくる女」なわけで、セックスもさせねえ奴に精子なんかくれてやるわけがねえだろ、ということなのか。でもそれを言うなら、こちらとしては、精子も提供できねえ男がセックスを求めてくるなんて一万年早いんだよ、ということなわけで。

 

平行線を辿るこの議論、私の脳内で炸裂しただけの独り相撲なわけですが、彼との関係の全てが独り相撲に思えてきた私は、良いタイミングで?電話をかけてきた父に、悔しさの全てをぶちまけました。父は「冷静になりなさい」と叱った上で、「セックスはらじこのことを大切にしてくれる人としなさい」と一言。そんなこと言ってたら本当に精子バンク頼りになると私は嘲笑し、自分も男の一人ぐらい騙せるようになるべきなんだと吐き捨てました。ミカミ(『マチネの終わりに』参照)のことをあれだけ軽蔑していたはずなのに。

 

父はため息をつくでもなく「自分の信念や生き方を曲げたらその後の人生がガタガタになってしまうよ」と忠告してきました。「そんなことをらじこに考えさせるような男は好きになる価値もない男だから早く忘れなさい」と。

 

私は奥歯を噛み締め、睡眠を削られ、死にたくなるほどの悔しさへの執着を捨てるまでに、2週間で5キロの体重を失いました。回診中に涙を流すという失態までおかし、それでも私は何とか働き続け、来る国家試験を受け、忙しさに助けられてなんとか彼を忘れました。院内の廊下で彼とすれ違い、目を逸らさずにいられた時に、彼が心から消えていくのを自覚しました。

 

今の彼からメッセージが届いたのはそれから数日後のことでした。そよ風に乗って飛んでくるタンポポの綿のような、そんなメッセージでした。

 

 

最後までお付き合いくださってありがとうございました♡