お立ち寄りいただきありがとうございます♡

 

前回の投稿に対するたくさんのお手紙、本当にありがとうございました。今回は特に勇気を振り絞ってお手紙をくださったという方も多く、お忙しい生活の一部を何とかこのブログに割いてとても大切に読んでくださっている方々の存在を改めて知って泣きそうになりました。今後の方針についてはまた改めて記事を書きますね。

 

兵役についても皆さんのお考えや姿勢についてお話ししてくださって、ありがとうございました(他人事オーラなんて言葉を使ってしまったせいで、ご自分が批判の対象になっているとお感じになった方がいらっしゃったらこの場でお詫びさせてください)。私はBTSだけでなく皆さんからも学ぶことが本当に多いです。シェアしていただいた関連動画なども少しずつ見たいと思っています。

 

***

 

You and me

終わらないhistory

僕の宇宙になってくれた

僕たちの物語

目的地もなく漂う あの小惑星のように

僕もただ流されていたんだ

暗闇の中で見つけた 僕の全てのdream

新たに始まるstory

 

現代版竹取物語、良かったですね。1000年の時を経て、老いを知らない姫は老いを知らない青年になり、翁は少女に置き換わり、舞台は日本の竹林からLA?のおしゃれ住宅街へ。この解釈だと、求婚する公達はもちろん多国籍ARMYなわけですが(ファンの「結婚して」に対するジンのいつかの塩対応が思い出されますw)、最後、姫が月の都の者に連れ去られるのではなく、自分の中の愛の存在に気づき、自分の意思で地球に残るという展開も現代版ならでは(兵役も「連れ去られる」わけではなく、彼ら自身がその責務を誇りに思い、それを終えた暁に再出発することを楽しみにしているのだろうと感じました)。短歌の代わりにクロスワードパズルが登場するエピローグも胸熱でしたね(ASTRONAUTに交わるARMYと、最後に書き込まれるFAMILYに号泣していたら、何と黒い部分が点字でFOR ARMYになっているのだとか!)

 

このブログでは未だに存在感が控えめなジンですが、私は「左第10肋骨の7」の記事のあたりから猛烈にキムソクジンという人間に興味を抱き始めました。

 

今回のMVでも月から来た「宇宙人」という設定ではなく、あくまで「宇宙飛行士」という設定なのが面白いと思ったのですが、ジンは確かに宇宙人感がないというか、他の星から来たとしても「姫」とか「星の王子様」みたいに、あくまで人間の枠を出ない感じですよね。

 

誤解を恐れずに言うと、彼はその普通さゆえにBTSでは特異な存在のような気がします。個性がないことが個性であり、主張がないことが主張であり、何も考えないように考えることができる人。強烈な個性が集まるBTSの中で、唯一、凡人らしい感性と視点を持ち合わせる彼のおかげでBTSの親しみやすさが維持されているように言われることが多いですが、一般人としては「普通」だったかもしれない彼が、運命に手繰り寄せられるようにBTSという居場所を見つけたことで、その普通さが個性になったというのがとても興味深い。

 

そしてジンのインタビュー内容などに触れながら、徐々に気づいたのは、第1に、その凡人らしささえもジンがあえて選んできたものだったということと、第2に、BTSのメンバーとして生きるうちに、「キム・ソクジン」が「ジン」になって行ったのだろうということでした。

 

例えば、いつも引き合いに出すようですが、テテはいろんなペルソナを持ちながらも、ベースにキムテヒョンがあり、できることならVをキムテヒョンに寄せていきたいタイプだと思います。もしかすると、多くのセレブリティーがそうなのではないかと思います。結局のところ、どんな人間も自分の「本当の姿」を理解してほしいという人間の性から解放されることはないでしょうから。

 

でも、ジンはそこが特殊で、ジンをキムソクジンに寄せていくのではなく、キムソクジンをジンに寄せていく生き方を選んだ結果、ここ数年でこの2つのペルソナがピッタリ重なって来たんだと思います。その結果、ひょっとしたら例えばナムジュンとかが今でも抱えているかもしれないような人格の乖離に悩まされることなく、誰に対しても嘘をつくことなく、非常に楽に生きられるようになった。

 

その証拠に彼はこんなことを言っていますね(PROOF collector's editionより。有料コンテンツの内容ですが一部シェアさせてください!)。

 

2~3年前まではBTSのジンとキム・ソクジンは確かに別人でした。 ところが30歳頃からは、どうしても活動期間が長いせいか、ジンとキム・ソクジンが融和しました。 それで個人のキム・ソクジンがかなり長い間ぼやけてましたが、ジンと合わさって再び鮮明になったようです。

 

(BTSとして活動していてよそよそしく感じられることは)一つもありません。BTSはただの私の人生ですから。 むしろBTSを辞めたら、それが一番不慣れに感じられると思います。

 

好きな色についても同じアプローチ。

 

ピンクは以前は負担になる色だと思ったこともありました。 ところが衣装やミュージックビデオなどで僕がピンクとよく似合う姿をファンの方々が気に入ってくださって、僕も好きになりました。 ファンの方々が気に入ってくれて、個人的にもだんだん好きになった色です。

 

しかし一方ではこんなことも言っていて。

 

「月」は遠くから見るととても美しいですが、天体望遠鏡のようなもので見ると傷ついた月の裏面が見えるじゃないですか。 僕も人々に月の表のようにきれいな姿だけを見せたいです。 その裏は隠したいです。 

 

それでもなお、「キムソクジンとジンが融和した」と感じることができている理由はただ一つで、彼は、きれいな姿を見せるために、そうじゃない自分を文字通り隠すという手法をとるのではなく、そもそもきれいじゃない自分にならないことを決め、BTSとして生きる間に、ある程度、それを実現できてしまったのだと思います。

 

基本的に成人した人間は変わらないと信じている私でしたが、ジンを見ていると、人は自分が選んだ自分に変わっていけるのだということを心の底から信じることができる気がします。

 

彼だってもちろん人間だから、自己嫌悪に陥ることは皆無ではないだろうし、月のクレーターのような傷もところどころに刻んでいるのだろうけれど、そのような部分は「考えないようにする」のがもはや彼の得意技ですから、月のクレーターはあってないようなものなわけですね。

 

そしてこの「考えないようにする」習慣、エドのそれにとてもよく似ているように思います。彼もまた、永遠の高校生感が否めない上に、「僕はどう変わればいいの?」と変化を厭わない姿勢が私にとっては印象的だと一度お話ししたように思いますが、ジンの発言に触れれば触れるほど、エドのことを解説してもらっているような感覚になります。

 

たとえばこれ。

 

僕が本当に無駄な話をした時、誰かがその話を受け入れてくれる状況で僕が一番僕らしいと感じます。

 

なるほど。だからエドはいつも私にどうでもいいような日常の報告をしてくるのか。

 

僕は「夢を語ることができる人」だと思います。 夢を語れる人は、つまらない話を続けることができるんですよ。 そんな話だけで、この世の果てまで行くこともできます。現実の悩みを分かち合うためには真剣な話をしなければならず、雰囲気が重くなります。それで僕はそのような対話はあまりしない方です。

 

だからエドは現実を見ていないようなどうでもいい話ばかりするのか。。。(ん?どうでもいいって私2回言いましたね笑)

 

 それぞれ僕のことは僕がやって、君のものは自分でやろうというタイプなので、誰かを気遣うこともなく、面倒を見るのも少し居心地が悪いです。 何でも一人でやった方が楽だと思います。 自分で自分の面倒を見るのが一番楽なタイプです。

 

エドと一緒にいると寄り掛からせてもらえない感じがする時があるのはそういうことなんだよね。(近所の奇声の件参照。継続案件です笑)

 

過去の「僕」は何でもに否定的に考えました。 不幸なことだけを考えるのに忙しかったんです。 現在の「僕」はそんな考えなしに生きています。 あまり良くないことが起きても、「そういうこともあるよな」と軽く感じます。 ただ皮肉なのは、幸せであっても幸せが長くは続かないことです。 良いことがあってもすごくうれしいというよりは、やはり大したことないように済ませます。 次に幸せな瞬間がまた来ると思いますから。 性格自体が変わりました。

 

なるほど。だからエドは良くも悪くもいつでも平坦な感じがするのか。

 

休みの日には寝る前に「ああ、今日もとても安らかに暮らした」と思います。 そうしたらすごく嬉しいです。 今日の僕に本当の休息を与えたという話ですから。 人によって完全な休息の基準が違うじゃないですか。 何に満足するかによって違います。 僕にとって完全な休息は、僕の時間を無駄に過ごして穏やかに過ごすことです。 その時、嬉しさを感じます。

 

そうね。だからエドは1日の大半をゲームに費やしてこそ安らかな気持ちで眠れるんだね。(私には信じられない現象だけど笑)

 

没頭していると言えることはありません。 その代わり、軽く「タッチ」してみるものは多いです。 テニスもタッチしてみたし、ピアノもたまにタッチしているし、自転車で出勤するのも少しタッチしたし、曲作りも少しずつタッチしました。僕はただ頭の中に何かが浮かんでやってみたいと思ったら、そのまま行動に移すんです。<中略>例えばボクシングがしたいなら、ジムに出かけて直接スパーリングはしませんが、家で軽く拳を振ってみます。 思い出したらすぐに「タッチ」してみて、そこに深くはまりません。 それで、自らにも何かを証明しようという気持ちはありません。

 

なるほど。深い。私がエドについて若いのに欲が足りないと感じるのは「タッチ」が多いからなのかな。没頭しないスタイルなんだね。全てが平坦というか。。。だから自分は大学院向きじゃないって理解している節もあるのかな。君はいろんな知識に「タッチ」するのが好きなんだよね。

 

「これは絶対にやってはいけない」ということが明らかな時があります。 例えば、「これを食べたら太ると思う」そんな気がする時です。でも食べるしかないですね。 解決策が何か別にあるんですか。 食べたいものを食べて、やりたいことをしながら生きるんです。

 

君がいつだってしたいことに忠実でストレスフリーに見えるのはそういうことなんだね。

 

僕は何事にもいたずら好きで、まじめなことがあまり好きではなく、つまらないことをよく言う人。 僕は考えを深くして悩みながら生きる人よりは、僕個人が幸せになれる方向で生きていく人だと思います。

 

うん、そうだよね。私が色々語るのを、重いなって思いながら、それでも付き合ってくれてるんだよね。

 

(過去の自分にどんな手紙を送るかと聞かれて)過去の自分でも自分でうまくやっているので、別に送らなければならないとは思いません。 それでも送るなら「現在を楽しめ、状況を楽しめ」と書くと思います。

 

君が人生に特に後悔はないんじゃないかって感じるのはそういうことなんだね。

 

揺らがない信念:「軽く生きよう。 それでこそ今が幸せだ」

 

そうだよね。数年後にまさか付き合うことになるなんて全く思っていなかった時から、それが君のモットーなんだなって、ずっと感じてたよ。

 

(自分にとって意味のある場所を聞かれて)土曜日に、両親に内緒でゲームをする時に日差しが入ってきましたが、日差しを浴びながらゲームをする時が一番楽しかったです。

 

すごくドライに見えて、たまにそうやって昔の記憶に温度をつけて話してくれるの結構好きだな。。。

 

といった感じで、途中から「君」はすっかりエドになってしまいましたが、思えば、BTSを知ったばかりの頃の私は7人の中でもジンのことはそれこそ「物足りない」と思っていたように思います。最近エドに物足りなさを訴えた時のように。強烈な個性を放つメンバーの中で、何人からも好かれるクセのない性格とクセのないハンサムフェイスにクセのないダンスとクセのない歌声。

 

でもそこに隠された本当の魅力は「今」をありのままに受け入れるしなやかな心。

 

僕の人生で今僕が経験している程スペクタクルな時間は二度とないと思います。 BTSとして莫大な栄光を享受できる状況は今ではないかと思います。 数年前も今だと思ったし、2年前も今だと思って、ずっと「今」ではあります。「今」がずっと維持されているようです。

 

この言葉の通り、彼は常に「今」に満足している。それこそyet to come精神で、いつも「より良い将来」に向かって走っている(つもりでノロノロ歩いている)私のような人間を視界の端で捉えながら、欲や執着に呑まれることなくマイペースに謙虚に生きている。執着を捨てることでいろんな変化を柔軟に受け入れ、運命をねじ伏せずとも自然に望む自分になっていけるということを彼は今までに経験してきたからなのでしょう。

 

あるいは例えば、地球の表面に確かな爪痕を残したいと願うナムジュンの隣に立っている時も、ジンはきっと、愛するメンバーのそんなマーキング願望を冷静に理解する一方で、自分自身は何も残さず去ることに何の疑問も持っていないのではないかと思います。だからこそ、いざという時に周りの人間を救うような言葉を紡ぐことができるのも彼の魅力。

 

あえて努力するわけではありませんが、僕がこのように生きていること自体が、僕の人生をより鮮明にさせているのはそうだと思います。 僕が真剣に、重く生きようとしたら僕の色が曇るんじゃないかと思います。

 

かつては年下のメンバーたちに追いつこうと誰も気づかないところで努力を重ね、その中で否定的になるまでに自分に執着したこともあった彼が、今、ブエノスアイレスに降り立ったその足取りは、どんな宇宙飛行士が月に降り立った時のそれより軽く優しかったのではないかと思います。重力さえ感じさせないそんな彼の目を通して見るブエノスアイレスの春は、早くも冬の気配に包まれたはずの私が住む地にも、ピアソラの切なくも情熱的な旋律を連れてきてくれました。

 

個人的には冬も春と同じぐらい好きです。最後に春の香りが漂ってくるあたりはまさにジンのフォトコンセプトにもマッチする雰囲気だと思いますね。

 

それが、紫色の絵の具を街中に落としたような情景を描いた曲だということをこの度初めて知った私としては、やはりその光景が美しいほど余計に、あの大きな責務がの目の前に迫っていることをどうしても意識してしまいました。でも何も言えずに悶々としていた状況からはやっと解放されたわけだし、体力的に辛くても、BTS生活の中で作る機会を奪われたと言っていた、同世代の友人を作るいい機会にもなるだろうと思ってみたり。いずれにしてもこんなジンの声にまた救われるわけで。

 

未来は、未来の僕が自分で何とかするでしょう。

 

大学に合格した時について「家族をはじめ、周りの人に初めて認められた瞬間」と表現したジン。「それまでは勉強ができない、ろくでもない学生だったが、天運がついてきてくれて」と言っていたけれど、今回、彼にとっての「人生第2章」の幕が下される直前にこのような形で紫色の奇跡が訪れたのは、欲のない素朴な彼だからだったのではないかと思わずにはいられません。

 

When I'm with you

There is no one else

I get heaven to myself

When I'm with you

There is no one else

I feel this way I've never felt

君といると

他に誰もいないみたい

天国は僕だけのもの

君といると

他に誰もいないみたい

初めてのこの感情

 

彼がブエノスアイレス入りしてから私の近辺でも春のような陽気が続き、本来なら落ちてしまっているはずの葉っぱが数日多めに命を得たようで、そんな紅葉が光を浴びて黄金に輝く中を早めの帰路につきながら、今日ばかりは、ジャカランダを吹き抜けるそよ風が海を渡って彼のシルバーボイスを耳元まで届けてくれているように感じました。

 

もう1時間もすれば始まるライブ。

 

今日こそは君のステージにしてほしい、と言ったクリスの言葉の通り、「自分史上最高にかっこいい自分」に会いにいくあの大きな背中が、今、目に浮かびます。

 

Jacarandáes florecidos en la ciudad de Buenos Aires (Jacaranda mimosifolia)  | Travel around the world, City, Wonders of the world

 

最後までお付き合いくださってありがとうございました♡