お立ち寄りいただきありがとうございます♡

 

前回の投稿、意外にも多くのコメントメッセージをいただきとても嬉しかったのですが何だか少し恐縮しています。ありがとうございました。お返事、これからです。コンサートは私も不完全燃焼でしたが、不完全燃焼なりに感じたことを書きます(2割視聴した感想なのでトンチンカンなこと言ってる可能性あり!)

 

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海だと思ったここは砂漠で

小さな事務所のアイドルが2番目の名前だった

放送でカットされることは数えきれない

誰かの代わりが俺たちの夢

ある人たちは小さい事務所からまともに売れるわけないって

俺も分かってる

一つの部屋に7人で寝ていた頃も

眠る前は明日は違うはずだと信じた

砂漠の蜃気楼 形は見えてもつかむことはできなくて

終わりのない砂漠で生き残れるように祈る

これが現実じゃないことを願った

ついに蜃気楼をつかみ現実になった

恐れていた砂漠は俺たちの血汗涙で満たされ海になった

でも幸せの合間に恐ろしくなるのはなぜだろう

元はこれが砂漠だということを俺たちはよく知っている

希望のある所にはつねに試練があるものだから

(Sea 2017より)

 

子供に傷つく経験はさせたくないなんていう人もいるけれど。私もいつか母親になるような幸運が訪れたらその子にだけはどうか苦しみを与えないでほしいと願うのかもしれないけれど。

 

遠くから微かに波の音が聞こえてくる砂漠の真ん中、あるいは微かに希望の香りがする絶望の中。そんな場所に幸せは隠れているものだと私は思っています。 

 

バンタンにしても、夢と大きな幸せを求めて砂漠を渡り、走っている最中は辛いこともたくさんあったけれど、振り返ってみたらその道こそが幸せだったわけですよね。だから彼らは今になって「一番楽しかった場所」と聞かれてすぐに思い浮かんだのが最初の寄宿舎だったのでしょう。

 

私はナムジュンのIG投稿を見るまで、恥ずかしながら茨木のり子氏を知らなかったのですが、「自分の感受性くらい」を読んで真っ先に思い出したのが、Kurt Vonnegutの言葉でした。

 

Be soft.

Do not let the world make you hard.

Do not let pain make you hate.

Do not let the bitterness steal your sweetness.

Take pride that even though the rest of the world may disagree, you still believe it to be a beautiful place.

柔らかい人間であれ。

世間の荒波なんかのせいで堅い人間になるな。

痛みを知っても憎むことはするな。

苦い経験に自分の優しさを奪われるな。

世界中が反論しても、世界が美しい場所であると信じていることにプライドを持つのだ。

 

茨木もVonnegutも同じ時代を生き、1940年代にはそれぞれ、敗戦国と勝戦国という生きる国の立場の違いこそあれ、同じ戦争を経験し、戦時中の体験を言葉にした代表作があるという意味でも共通しています。

 

戦時下の悍ましい光景を目にしながらも心だけは奪われまいとし、平穏な生活に戻ってからも、なおその記憶を大切にしていた彼らの言葉に励まされるのはナムジュンだけではないと思うけれど、彼が特に今、茨木の詩を大切に思うのは、これから何があっても、アーティストで居続けたいという誓いを胸に抱いているからなのかなと思いました。アーティストというのは結局そういうことのような気がするから。

 

要するに、我々が生きている世界というのはそもそも絶望がベースにあって、そんなありのままの世界を受け入れるところから始まるわけで。醜い部分にも蓋をせずに表現すること、あるいはそんな世界だからこそ発見できる美しさを切り取って記録することがアーティストと呼ばれる人たちの生業なのでしょう。

 

アイドルはもしかすると、ファンが美しいものだけに触れることができるおとぎの国を生きる存在なのかもしれないけれど、きっと永遠におとぎの国で暮らすことはできない。

 

要するに、彼らを今の地位にまで押し上げたファンの期待もまた彼らの足枷になってはいないかと、ナムジュンが言うところの「人間としての成長の機会を奪うKPOPアイドルの生活」に彼らを押し込めてしまっているのではないかと、複雑な感情を抱くのは事実で。

 

あの頃の砂漠にはもう戻れなくても、すでにそれぞれの砂漠で再出発することを意思表明している彼ら。30代を手前に、砂漠の住人としての洗礼をようやく終え、自分と世界を愛せるようになるための旅路の途中にある自らの足取りを、今改めて確認しているところなのではないかと思います。

 

BTSとして表現の自由を手に入れることはもうできないのか、7人の絆だけをガソリンにどこまで走れるのか、自由な表現者としての自分と求められるBTSをどうやって両立させればいいのか。そこにはやはりこの数ヶ月だけでもいろんな試練や葛藤があったのだろうと思うし、今後さらに絶望することもあるかもしれませんね。

 

でもそんなそれぞれの砂漠の、もしかすると身も焦げるような厳しさを、あるいはその中で一瞬捉えたオアシスの美しさを、メロディーにして、歌詞にして、パフォーマンスにして届けたいと彼らは今、思っているのではないかと思うし、色々な事情があった釜山も、何とかそんな表現の一端にしようと心を砕いて頑張った過程があったのだと思います。

 

だからナムジュンは自分に言い聞かせている。「自分の感受性くらい自分で守れよ」と。

 

自分の意思ではどうにもならないことがたくさんあって、声を奪われることばかりだけれど、それでも奪われない何かを彼は今見つけようとしているのでしょう。

 

もうしばらくおさらばだと思っていたはずの、KPOPアイドルの象徴とでもいうべき新しいコレオに息を切らせながら「走れ、美しい者よ、走れ」と歌った彼の鬼気迫る表情が印象的だった今回のステージ。

 

アジア人でも、黄色人種でも、韓国人でも、男でも、アイドル出身でも、7人でも1人でも、もう関係ない。

 

言い訳はもうしない。

 

ファンがあんなに心配し、心を揉み、時に憐れんだ釜山から、そんな声が聞こえてくるような気がしたのは私だけでしょうか。

 

本当の意味での第2章が始まろうとしているのかな。

 

私の亡き祖父も戦争経験者なのですが、戦後は隣に住んでいた朝鮮人一家によく畑で採れた野菜を届けていたと聞いたことを今、急に思い出しました。当時は差別意識がまだまだ強く、何となく隠れるようにお裾分けしていたと言っていたように思います。終戦から77年経った今、そんな祖父の命日に、会ったこともない韓国人の青年が紹介してくれた日本人の詩をきっかけに、アメリカの地で、こんな文章を書いているなんて、祖父が知ったらどう思うだろう、なんてふと考えたりして。

 

今日は偶然にも勤務先ではこの1年の間にお亡くなりになった患者さんとその家族を囲む会があり、コンサート後に出席してきました。参列者全員に配られた勿忘草の種が入った袋には、こんな言葉が。「死でさえ我々が愛する者を奪うことはできないのだ。彼らは私たちの行動や想いや決心の全てに息吹いている。」

 

壇上に上がった医師が朗読したMaya Angelouの詩の一部を、最後にシェアしたいと思います(When Great Trees Fallより)。

 

And when great souls die,

after a period peace blooms,

slowly and always

irregularly. Spaces fill

with a kind of

soothing electric vibration.

Our senses, restored, never

to be the same, whisper to us.

They existed. They existed.

We can be. Be and be

better. For they existed.

そして偉大なる魂が死ぬと、

しばらくして安穏が花開く

少しずつ、そしていつも

不規則に。空間は

なだめるような、鮮やかな命の気配で

満たされる。

我々の感受性は再生され

それは二度と元には戻らないまま

我々に静かに耳打ちする

彼らはそこにいた。確かにそこにいた。

我々は生きられる。生きて

よりよく生きることができる。

彼らはここにいたのだから。

 

Drei Tage in der bezaubernden Hafenstadt Busan

 

私自身もまた、砂漠の住人の一人として、言い訳をせずに頑張りたいと思う今日この頃です。

 

最後までお付き合いくださってありがとうございました♡

釜山まで行かれた方は無事にご帰宅されますよう。