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コメント、メッセージ、いいね、フォローも本当にありがとうございます♡

前回は特にいろんな共感のお言葉をいただき、とっても嬉しく思いました。一部コメント、メッセージと投稿が前後してしまいごめんなさい。どれも大切に読ませていただいています♡

 

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And I find it kind of funny I find it kind of sad The dreams in which I'm dying Are the best I've ever had I find it hard to tell you I find it hard to take When people run in circles it's a very, very Mad world, mad world

何だかおかしいよね

何だか寂しい気もする

死んでしまう夢が

最高の夢だなんて

君に伝えるのは難しいし

受け入れるのも難しい

人がぐるぐると走り始めるとき それはまさに

狂った世界だ 狂った世界

 

医者になって十日目ぐらいで私はいわゆる初めての針刺もどきを経験しました。若い男性が職場のキッチンで皿洗い中に割れた皿で手をざっくり切ってしまったとのことで、縫合が必要だったのですが、その時に彼の血液が付着した針を自分に刺してしまったのです。厳密に言えばしっかり刺したわけではなく、詳細は省略しますが、事故を報告した救急医には「まぁ大丈夫だろ、心配だったら患者さんに頼んでHIVの検査だけさせて貰えば」と言われました。私は待たせておいた患者さんの元に戻り、事情を説明して検査の了解を得たのですが、その時に「ちょうどよかったです。調べに行こうと思っていたんで」と言われ、採血を施行しながら目の前が真っ白になりそうになった感覚を今でもよく覚えています。

 

実は、その患者さんと最初の一言を交わした瞬間から私は、これは絶対に針刺してはいけない症例だと思って身構えていました。それが裏目に出たわけですが、その数日後に私が書いた報告書を見た感染症科の医師から至急感染症科を受診するよう言われました。そして診察室に入るなり、少し慌てた様子で、なぜ事故当日に受診しなかったんだと聞かれ、例の患者さんはHIVのみならず全ての感染症項目で陰性だったはずだと話すと、ウィンドウペリオド(感染後検査陽性にならない時期)にあったかもしれない可能性を指摘され、私自身も血液検査でフォローしていくことになりました。幸い検査陰性でフォローを終えましたが、早送りすること2年、私は研修の最後を感染症科で迎えていました。

 

その中で私がすごく印象的だったのは、初日の朝、HIVの入院患者さんについてプレゼンした際に、採血結果がまだ出ていなかったと報告したところ、「ああ、採血した?HIVの人は自分でやらないと出ないよ」と言われた一言でした。感染症科がもつ他の病棟は看護師さんが採血してくれることになっていたのに対し、どうやらHIV病棟だけは研修医の仕事ということになっているようでした。理由は今でもわからないし、単に上級医の言い方の問題のような気もするのですが、私はリスキーな採血を押し付けられたように感じ、それがそのまま患者さんへの恐怖心というか苦手意識?にもつながったように思います。

 

しかもその患者さんは、妻子にもいっさい感染のことをカミングアウトしておらず、医療者としては、妻がリスクに晒されていたかもしれないことを知りながら、それさえ彼女自身に伝えられない状態にありました。他に合併感染していた感染症からは男性同士の性交渉で感染したことが強く示唆されましたが、我々にさえ男性との性交渉歴があることを認めなかったため、いろんな意味で非常に難しい患者さんでした。それでも私は研修の最後の症例発表の対象として彼を選び、すでに救急科へ進路を決めていたので、早期発見早期治療のために救急科でHIVをスクリーニング項目にすることの是非について話したのです(今考えればいろんな意味でないよねって感じですが)。すると、それまで黙ってプレゼンを聞いていた教授がすごい剣幕で怒鳴り出しました。「君は何も理解していない」と。

 

それはまぁすごい剣幕で、上級医が後から「よく泣かなかったね」と声をかけてくるぐらいのお怒りだったので、詳細をあまりよく記憶していないのは、相当ショックだったからなのか、逆にどうでもよかったからなのかはわかりませんが、その時は謝りながらも、「採血だって何だってやるのはこっちなのに、よく偉そうに色々言えるよな」と白々しい気持ちになったことだけはなんとなく覚えています。それもまた医療者としての資質を問われるお門違いな心境なわけですが、なぜ今更こんな話をするかというと、最近カミングアウトについて改めて考えていたからです。

 

このブログではLGBTQに触れることが多いので、その文脈におけるカミングアウトについて書くことが多いですが、カミングアウトにはいろんな種類があって、病気もまたその対象になることが多いものですよね。しかも、場合によっては医療者というのは、本人より先に真実を知り、その検査結果を伝える(押し付ける?)立場であるという意味で、目の前にいる罪のない人間に強制的にカミングアウトさせているような立場にならざるを得ない場面がたくさんあります。特に救急科にいると、何の信頼関係もない中で、あるいは数分間の間に即席で作った何らかの関係・文脈の中で、相手が誰にも知られたくない真実を告げなければならない場面もある。

 

あの時、感染症科の教授が私を医師としてのデリカシーに欠けるけしからん奴だと怒鳴ったのは、そのあたりの配慮が感じられないプレゼンを私がしたからなのでしょう。

 

だから先日、ハワイ在住の大学時代の友人と話していた時に、「らじこにカミングアウトする人、多くない?まぁ何を言っても受け入れてくれそうだもんね」と笑った時には、複雑な気持ちになりました。さすがに研修医の頃よりは成長しているだろうけれど、このブログを読んでくださる皆さんはご存じのとおり、私は決して自信を持てるほど許容キャパシティーの広い人間ではないから。

 

時同じくして、最近フォロワーさんにご紹介いただいたYoutubeゲイカップルチャンネルの中でカミングアウトについて語っている動画をいくつか見てみたのですが、そのうちの一つがすごく心に残りました。私と同じぐらいの年齢の方で、今から20年近く前に中学生だった時にどうしてもお母様にだけは理解してほしいという願いが抑えきれずに、いきなり同性の恋人を紹介してしまったのだけれど、大きく動揺して涙を流しながらも、その時にお母様が受け入れてくれたことで死なずに済んだとお話しされていました。

 

その後も学校やバイト先で突発的なカミングアウトをしてしまっては、いじめの対象になったものの、「世界中が敵になってもお母さんが受けいてくれているから大丈夫」という思いがあったおかげで乗り越えられたと。何年も後に、当時についてお母様とお話しされた際に、お母様ご自身も「私が受け入れないとこの子はこのまま死んでしまうかもしれない」と感じていたことを知らされたとのことでしたが、印象的だったのは、その方が、カミングアウトの受け手のことを非常に強く意識してお話しされていた点です。

 

カミングアウトする側は、理解してほしい、受け入れてほしいという気持ちが先に立ってしまうけれど、相手がそれを許容できる余裕を与えてあげなければならない、とおっしゃっていて。でも、これはまさに私が医療者として告知の場面で意識しようとしてきたことそのもので、告知というのはもちろん相手自身のことを話すわけだから、どこまで行っても他人事ではあるはずなんだけれど、「受け入れてもらえるように話さなきゃ」という気持ちは共通していて、相手のカミングアウトに加担しながら自分がカミングアウトしているみたいな気持ちになる、そういう場面が少なからず医療現場にはある気がします(私だけですかね?単にプロフェッショナリズムの欠如なのか...)

 

一方では、明らかにカミングアウトの受け手側だった先日のりゅうちぇるの件ですが、「そういう事情があるなら人一倍の覚悟を持って結婚して子供を作らないといけなかったのに、子供のことを考えたら無責任すぎる」という意見が多くあったことを知り、私は少しだけ首を傾げています。だって、そんなに立派な志を持って結婚したり子供を作ったりして、何の失敗もなく立派に育てているストレートな人ってどのぐらいいるんだろう。世の中には授かり婚なんていうものもあって、その後離婚に至ることだってあるわけで。

 

上記にカミングアウトを引用させていただいた方も、子供についてのお考えに関してお話しされている動画があって、非常に思慮深い回答に私は関心したわけですが、LGBTQだったら「なおさら」「人一倍」責任感を持たないといけないって、それは現実的に子が経験せざるを得ない差別とかを考えたらそうなのかもしれないけれど、それを前提に責任感を求めるって何だか不思議なハナシ。差別しない世界を作ればいいだけのはずなのに。

 

実は上記に登場した大学時代の友人が当時紹介してくれたアニメーション動画があって。

 

 

飛べないキウイがどうしても飛びたくて、崖の側面に木を「植えていく」話なのですが、頑張って何本もの木を崖に仕掛けたキウイは満を辞して崖を飛び降りるんです。そうすると、あら不思議、生まれて初めて飛んでいるような体験ができるわけなんですが、その「重力に従った飛行」の先にある悲しい結末を想像してしまうエンディングですよね。

 

でもLGBTQの当事者って自分をこのキウイみたいに感じている人もいるんじゃないかと思う時があります。みんなと同じように空を飛びたいだけなのに、自分を受け入れてもらうにしても、子供を作るにしても、一手間もふた手間もかかって、ようやく飛べたと思っても地面が差し迫っていて。

 

ここでグクの話なんていきなりすぎる気もしますが、私は上記のカミングアウトの話を聞きながら、そして10年ぶりにこのキウイのことを思い出しながら、なぜか、とあるグクの姿が脳裏をよぎっていました。「僕は絶対に結婚しません。興味ないんで」と言い切るあの幼い日の彼です。確か私はまだBTSのことも彼自身のこともあまり知らない頃に偶然見た映像だったのですが、他のバンドメンバーが女の子と戯れる様子を冗談めかしに批判する様子に、子供らしい照れ隠しを感じながら、一方ではまだ子供なのにこんなふうに結婚について言い切るなんてどういう事情があるんだろうと軽い違和感を覚えたことを急に思い出したのです。

 

もちろんそんなの私のいつもの思い過ごしで何の事情もないのかもしれないし、大体あのキウイだって考えようによっては、我々みんなキウイなわけで。人生なんて、所詮、崖の側面に一生懸命に木を植えている間に終わるようなものですよね。空を飛ぶ楽しみは本当に一瞬の出来事。カミングアウトなんて大袈裟な名前をつけなくても、伝えたい想いを伝えられる時間は、自分が思っている以上に限られている。

 

だから余計に今朝、同僚のオフィスで目に入った文言が響いたのかもしれません。

 

Between what's said and not meant, and what's meant and not said, most of love is lost.

心にもないことを形にしてしまう言葉と、心にあっても言葉にできない想い。愛のほとんどはその間で失われてしまうものである。

 

翻って、最近の混乱の中でテテとグクがそれぞれSNSで公開したとも解釈されている「心にあっても言葉にできない想い」。私はこれでもウブなひねくれ者なので、いずれもグクテテ応援隊へのメッセージだとは思っていません。空の上から届けた数字も、地上から届けたあの植物も、本当の宛先はたった一人。未だ言葉にしていない想いをいつものようにさりげなく伝えるためのとっておきのサイン。そう考えたら、こんなに大掛かりでささやかなラブレターのやり取りがここまで続いているなんて前代未聞だし、こういうやりとりの一つ一つが、私には、あのキウイが一生懸命に植えた木の一本一本に思えて胸がいっぱいになります。いつか最後の一本まで植わって、彼らが崖から飛び降りる日が来たら、遥かかなた下でふわふわの毛布でも広げて待ちたいと思っているので、一緒に毛布を持ってくれるという方はお声かけください笑

 

何だか言いたいこととか思い出したことがたくさんあって、ぐちゃぐちゃになってしまいましたが、最後までお付き合いくださってありがとうございました♡