最近またアメンバー申請して下さる方がいらっしゃるので、今の私の心境についてさらっと書きたいと思います。
とりあえず結論から。今のところ投稿をアメ限にする予定はないのでご安心ください。
私は自分がいわゆる「グテシパ」なのか、正直わからないです。良くも悪くも私が「いわゆるグテシパ」と少し毛色が違うのは、このブログに今まで付き合って下さった方々はご存じかもしれません。
自分でも上手く説明できないのですが、私はグクとテテの関係がどんなラベルのもとに収束するものであったとしても、それが特別で大切なものだと感じていることは事実です。お互いに恋愛感情を抱いていた時間が一秒たりともなかったと彼らの口から聞く日が来たら、私は何も言わずにしゅんとするだろうと思います。
でも、一方では、グクの前腕のタトゥーがどんな変化を遂げようとも、テテがどんなにゲイっぽい一面を見せようとも、私は彼らが恋愛関係にあることを「信じている」と言い切ることはできません。
私にとっては彼らの関係はそもそも「信じる」対象ではないのかもしれません。ただ感じるものというか。だから、今までも何度か反旗を翻して?フォロワーさんを心配させたり落ち込ませたりして傷つけてきました。中には、しょうがなくハラハラしながらこの日記をフォローしてくださっている方がいらっしゃることも理解していますが、私はグクとテテの関係を「信じている」わけではないので、「感じたこと」をこれからも書くと思います。
で、その内容を公開し続けるのは、ひとえに、LGBTQを支持しているからです。
私も彼らの幸せを願っていますが、心のどこかには、「LGBTQだからこそ」幸せになってほしいという思いがあることは否定できません。それを逆差別と呼ぶのかはわかりませんが、彼らが幸せになることで、幸せに一歩近づける人たちがたくさんいるかもしれない、ということを私は「信じて」います。
そして細かい例はこの投稿では列挙しませんが、グクとテテのみならずBTSがLGBTQを支持していることは明らかだと思っています。だから、私がこのような思いで書く「グクとテテのストーリー」を彼ら自身が「侮辱」だと感じることはないと「信じて」います。
だいたい彼らは、自らがTaekookと呼ばれ、場合によってはそれが必ずしもプラトニックな意味でのみ捉えられていないことは百も承知で、それでも言動を変えてこなかった。LGBTQを巡るKPOPの闇に関してはブログの2つ目の投稿に詳細に記したのでそちらを参照して頂きたく思いますが、巷で起きている「シパ対シパ」「シパ対アンチシパ」の論争で本当に傷ついているのは誰だろう。
グク?テテ?彼らの家族?友人?
もはやKPOPにとどまらないLGBTQ匂わせ営業。あのハリースタイルズやビリーアイリッシュでさえ批判の対象になってきましたが、カミングアウトする事実が本当にあるのかないのか、明確に言及しないままに「LGBTQの称号」とも思われてきた象徴的なファッションに袖を通したり、匂わせともとれるような際どい言動に及ぶことへの批判そのものが今や批判の対象になるような時代に入ったようです。Here's why you need to stop accusing Harry Styles of queerbaiting - i-D (vice.com)
「本当のLGBTQ」である人間が社会的な差別を受け続け、街中では身体的心理的暴力の対象になっている一方で、本当はLGBTQでさえないセレブリティーが、華やかな世界で「LGBTQ匂わせ」を支持されるのは何だか矛盾だらけのような気もするけれど、ハリースタイルズが「LGBTQでない」ことが確定しない限りは、彼だって人をだましているとは言えない。
そもそも、LGBTQ的ファッションはLGBTQだけのものではないし、言論の自由だってあるし、はたまた肌が露出した友人の大腿部に触れる行為だって、別にストレートな人はしちゃいけないなんてルールはないわけで。
でもそれが「LGBTQ的」だと解釈されうることはもちろん、自分をブランディングするプロなら当然理解していることで、LGBTQを売り物にする商法の副作用はやむを得ないと、グクもテテもその家族も思っているのではないだろうか。
じゃあ、迷惑するのはグクとテテの共演者なのか?
そうかもしれない。この間だってアフターパーティーでテテと写真を撮ったモデルがARMYの迷惑行為にうんざりしたとかしなかったとか。でも「世界的スター」との写真をアップロードすれば、自分のアカウントのフォロワーが増える代わりに、好ましくない反響だってあるにちがいないことは彼だってわかっていたはずで。挑発的なミニスカートでさえ痴漢行為を正当化できないように、ARMYの迷惑行為だって正当化される事情なんかないわけだけれど、それでもこの一件をもってして「KPOPとは関わらない」なんて言って大人げない一般化で人を拒絶するならそれはその人自身の問題。
じゃあ、被害者はシッピングカルチャーに馴染めないファンなのか?あるいは、シッピングアンチに苦しむ「グテシパ」なのか?
このブログも批判を受けて来なかったと言えば嘘になりますが、批判を受けた時の個人的なスタンスとしては、ああ違う宗派だな、信条が真っ向からズレてるなと思う時には完全に無視するようにしています。
所詮、日々の生活の中で自分自身がどう思われ、陰で何を言われるかだってコントロールできないのに、自分の推しがどう思われ、陰で何を言われるかなんてコントロールできるわけがない。同じ宗教のもとに集まっても、信じ方は人それぞれ。
だから私は「推しを守るために」とか、そもそも「推しのために」文章を書いたりはしないです。書く文章は全て自分のため。自分が記録したいから書く。自分がシェアしたいから書く。それだけです。
このスタンスを冷たいと思う方もいらっしゃるでしょう。ARMYというファンダムの自浄作用に期待したいし自分もその一端を担いたいという方もいらっしゃるでしょう。それも一つの信仰の在り方ですよね。でも自分と違う信条の人間を排除したり、駆逐したりしようとしなければ自分の信仰を保てないなら、それは、もう宗教を抜けるしかないんじゃないかなぁ。
どうだろう。
自分自身のことを忘れて冷静になって考えてみれば、このシパ対アンチシパ論争で一番傷ついてるのって、「本当のLGBTQ」のARMYではなかろうか。。。自分のセクシュアリティーがエンターテインメントに利用され、それが一部の人間の間で「信じる」対象となり、でもそれについて語ることを「間違い」だと指摘する人間もいて、この一連の流れのどこが実際「間違い」なのかは非常にデリケートな問題だけれど、LGBTQ自体が「間違い」でなければ、ここまで大きな論争にはならないのではないかという気配を感じざるを得ない人はきっといるはずで。。。
長いばかりでまとまらない文章になりましたが、いずれにしても私はこれからもグクテテ関連の記事はアメ限にはしませんのでご心配なく。
これからも彼らのことは信じ切れないし、だから、もちろん布教活動のつもりもありません。特別な何かを感じる時は何を言われても感じるし、感じない時は何を言われても感じない。
そんな気まぐれな私が描いてきた「グクとテテ」を愛していただき、本当にありがとうございます。