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お返事いつもながら遅くなってしまってごめんなさい。最近BTSをフォローできていないので全くもって独りよがりなことを書いてしまうかもしれませんが、少なくとも一部のメッセージに対してはお返事になるような記事になったらいいなと思って書きます。

 

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きらり光る 星の美しさに
思わずそっと目を逸らしてしまった
きっと誰も悪くはないのでしょう
理不尽なこの世界 明けない夜

 

あの人みたいに生きれたらって
何度口にしただろう

 

誰にも見えない 脆い六等星だったとしても
これが運命だなんて言いたくないんだ
暗闇の中で光れ 誰かを照らせるように
零れそうな 涙を堪えて わたしは生きてる

 

何か書きたいような書きたくないような、思っていることがあるようなないような、忙しすぎて気持ちがまとまらないような、忙しさは関係ないような、物足りないような充足しているような、何とも言えない気持ちでここ数週間過ごしていました。

 

その間に大好きなジミンのOSTもリリースされて、これまた大好きなユンギのThat thatもリリースされて、どっちももちろん何度も聞いたのですが、それでも今の私の心にスッと入ってきてしばらく居座ているのは、実はBTSの楽曲ではなく、ジェジュンの「六等星」なんです。

 

BTSほどにはハマっていなかったにせよ、高校から大学にかけて東方神起を何となく応援していた私は、BTSがビッグになればなるほど、なぜ東方神起ではなくBTSだったんだろう、と思いを馳せたり、あるいは東方神起メンバーが引き起こした不祥事を目にするたびに、彼らは解散したことを後悔しているだろうか、とぼんやりと考えることが幾度となくありました。

 

なぜなら、私が今BTSを応援している理由はかつて東方神起を応援していた理由と、結局は同じだからです。努力を惜しまない姿と国境を越えて何かを届けようとする情熱、そしてそれを共有することで深まる友情。東方神起に至っては、何年も日本に滞在して日本語をマスターして「JPOPアーティスト」として活動していたわけで。

 

一緒にテレビを見ていた母が、とある車のCMが流れてきた途端、「これこれ、この前からかっこいいって思ってたんだけど、どうやら韓国人らしいのよ、この子たち」と言って、キレッキレのダンスを踊りながら車の影から出てくる5人の青年を指さしたときのことを今でも鮮明に覚えているのですが、その時の彼らの楽曲のタイトルは皮肉にも(?)「パープルライン」でした。

 

同じパープルという色に縁があった二つのKPOPグループ。

 

もちろん2つのグループの違いは生まれてきた時代だけではないけれど。同じような血の滲む努力をしても、時空が少しズレるだけで大きく運命が変わるということを感じてしまうことは否めません。

 

こういった運命のいたずらについては、いろんな方がいろんな文脈で口にしているかと思うのですが、かのジャパンハート創設者の吉岡秀人医師も何年も前から、ご自分が医者になられた理由を語る時に提示されている視点で、偶然にも最近彼の講演をテレビで拝聴したので、今の感想を残しておきたいと思います。

 

というのも、この吉岡医師、私は医学部の編入試験の面接で名前を挙げて「この先生のようになりたい」と語るほどに尊敬の眼差しを向けていたのですが、当時の面接官の医師たちは、その名を聞いてもイマイチぴんと来ないようでした。そして私自身も、いったん入学してしまった後は、ジャパンハートの活動に参加してみたいと思いながらも、もう少し勉強してから行かないと意味がないのではないかと思っているうちに卒業してしまい、吉岡医師のことなどすっかり忘れていました。

 

そして次に彼に出会ったのは研修医になって救急科をローテーションしたときのことでした。その医局からジャパンハートで働くためにミャンマーに渡った医師がいたせいか、救急科関連の参考書に紛れて、色褪せた吉岡先生の著書が並べてあったのです。その時は勤務中に読書する余裕などなかったのですが、その2年後、救急科に入局した私は、誰も訪れないある日の夜勤中にその本を手にとって読んでみたのです。

 

正直な読後感を述べると、あぁもうこの先生の本は読みたくないな、という気持ちでした。都会のど真ん中で、まさにいくらでも代替可能な使い捨て医師として働いていた自分とは対照的に、途上国で「唯一の医師」として社会貢献することで自分に価値を見出していた吉岡先生の生き方が、夜勤のけだるさと相まって暑苦しく感じられたというのと、日本でぬくぬくと医療に従事する医師たちをどことなく批判するような、時に強い彼の口調が、当時の私には鼻についたのだと思います。

 

そして極めつけは、「いつまでも準備期間で一歩を踏み出さない人間」はダメ人間だと言わんばかりの一段落。アメリカの国家試験の勉強をしながら、日本での臨床も中途半端で、まさに長らく煮え切らない「準備期間」にあった私は、その言葉を読んでひどく傷つき、でも一方で、誰かを批判しないと気が済まないこの先生だって、きっと自分の努力が認められていないと感じているからこんな物言いになるのだろう、と漠然と感じたこともまた事実でした。

 

そんなこともそのうちすっかり忘れ、3年以上が経過したある日、というのが先日に当たるわけですが、これまで愛読してきたとあるBTSブログで再び吉岡医師の名を目にしたのです。上記の経験からすっかり苦手意識だけが残っていた私は少しだけためらいながら、でもそのブログに促されるように「最後の講義」を聞きました。

 

ずいぶん丸くなられたな、というのが第一印象でした。ジャパンハートが組織として大きく成長し、その活動も認められていく中で、かつてのギラギラとげとげした感じがなくなったのかもしれないし、あるいは私自身が変わっただけなのかもしれない。澄んだ瞳でまっすぐ先生を見つめる観客の若い眼差しを見て、あぁもうあそこには戻れないな、と少し残念に思いながら最後まで講演を聞いて思ったことはただ一つでした。

 

どこで医療を行っても、誰を対象に行っても、至る結論は同じなのかもしれないということ。

 

完治させられなくても、たとえ死を免れなくても、かけがえないのない一瞬の思い出を作るために施す医療にも尊い価値があるということ、「あなたは大切な人だ」とメッセージを伝えるために割かれる時間は決して無駄ではないこと、むしろそんな時間や手間を大切することこそが生を肯定することだということ。大切なのは目的地にたどり着くかではなく、その過程での出会いだということ。

 

そしてやはり吉岡先生は「とりあえず進むこと」の大切さを語られていましたが、このブログを読んでくれている私より若い誰かに伝えたいことがあるとすれば、私自身は「進めずに立ち止まっている時間」も大切にしていいと思っています。とりあえず進もうと思える人はそうすればいいし、でもいつまでも一歩が踏み出せずに準備期間にある自分を情けないと思う必要もない。根を深く張れば張るほど、のちのち枝は強く、葉は大きくなるはずだと思うし、その枝でより多くの存在を支え、その葉で日陰を作って守れるものが増えるかもしれないから。

 

ふわりそよぐ 風が吹き抜けていく
未だ治らない傷跡を隠した
勝手に決めつける見えないルール
正しさだけじゃうまく 生きられない

声にならない声が叫んだ
このままじゃ終われないと

誰にも奪えない 思い無くしてしまわぬようにと
震えるこの手で強く握りしめた
暗闇の中で光れ 誰かを照らせるように
大丈夫 そう言い聞かせて わたしは生きてる

 

最後に、意外にも吉岡先生の一番のメッセージだったLove Myself。確かに医者になるような人間の多くは、彼が言うように、社会貢献することで自分の価値を認識できてLove Myselfに到達する結果、周りを改めて大切にできる、というサイクルを維持しているのかもしれないけれど、Love Myselfへ到達する道は、いわゆる「社会貢献」だけだはないと思います。

 

かつてはナムジュンもARMYに愛されて初めて自分を愛せるようになった、と吉岡先生と同じようなことを言っていましたが、それに対して、Answer: Love Myselfではこんなことを歌っていますよね:「正解はないのかもしれない きっとこれも答えじゃないんだろう ただ自分自身を愛すことでさえ 誰かの許しが必要だったんだ 僕は今も自分を探している」

 

だからきっと、「社会貢献してるから」などという条件付きじゃないLove Myselfを見つけたいと、彼自身も思っているのだろうし、「夢がなくてもいい」と言ってくれるBTSのLove Myselfって本来そういうことなんじゃないかとも思うのです。夢がなくても、社会貢献できなくても、それでも自分を許して愛するって、そんなの単なる甘えだって言う人もいるかもしれないけれど、誰にも認められなくても、昨日より少しだけでも頑張れた自分を愛せるとしたら、今日頑張れなくても明日頑張ろうと思えている今の自分を愛せるとしたら、それはそれで素晴らしいことだと思うし、そんな生き方が「結果的に」いつか誰かの光になるかもしれない。

 

「らしさ」なんてどこにあるんだろう
今もわからないけど

誰にも見えない 脆いこのわたしが誇れること
それは誰よりも痛みを知っていること
暗闇の中で輝く わたしが光になって
大丈夫 そう言い聞かせて 生きていく 生きていく

 

BTSなんて、夢追い人の代名詞みたいなグループだけれど、それでも「夢がなくてもいい」という彼らのメッセージに説得力があるのは、きっと夢があってもそれがなかなか実らずに立ち止まってはその夢を疑い、それでも翌日にはまた信じて、そうやって少しずつ進んできた彼らだけの軌跡があるからなのかもしれないと思います。

 

その中に、たとえ大人の事情で語られないストーリーがあったとして、将来がっかりさせられるようなことがあったとしても、「今の自分が受け取った彼らのメッセージ」は確かにここにあって変わらないし、「信じる」なんていう強い気持ちはなくても、何となく元気をもらえるとしたら、それでいいんだと私は思っています。

 

そして最終的には、どんなに年を重ねたって、いろんな葛藤を抱えながら、それでも諦めずに生きていていいんだと言ってくれるジェジュンの「六等星」。かつてのバンドメイトとのハーモニーを聞くと、今の彼らだからこそのLove Myselfの景色が見えて、勇気づけられるのはきっと私だけではないでしょう。

 

silhouette of person standing under starry sky photo – Free Image on  Unsplash

 

きらり光る星は遥か彼方
もうすぐこの夜が明ける

 

最後までお付き合いくださってありがとうございました♡