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今日の投稿、もともとはアメ限にしようと思っていたのですが、私が今ウクライナの人たちのためにできるのは、今の自分の気持ちをシェアすることぐらいなので、思い切って投稿してしまいます。

 

ということでTMI続きで申し訳ないのですが、

 

今日はとても素敵な日だったんです。

 

話の始まりは昨日の11時、当院救急医からの一本の電話。脳卒中疑いで基地内のとある場所から軍医が救急要請したため、当院の救急チームが駆け付けたのですが、ちょうどCTがメンテナンス中で使用不可だったため、当院救急医は日本の病院に診てもらうしかないとの判断で日本の救急車を基地内に呼んだというのです。二転三転したのち、通訳が必要だから来てほしいと言われ、私が駆け付けた時には、山肌に接するように日米の2台の救急車が顔を突き合わせ、その間で米国人軍医が待っていました。

 

患者さんはすでに日本の救急車の方に乗り込んでおり、私もすぐに同乗したわけですが、救急隊の方に軍医からの情報を伝えながら、自分でも患者さんを軽く診察したところ、これは卒中ではなさそうだなと思いました。それでも、近医が快く受け入れてくれたので、そのまま同行したわけです。結果、やはり卒中ではなく、今後の経過は救急車を呼んだ軍医に診てもらうことになって、患者さんと基地に戻ってきたのですが、診療情報提供書の訳などを送付したメールに対して、本日軍医から返信があり、お礼をしたいと言ってくれたのです。

 

そこで昨日呼ばれた現場に戻ってみると、彼はまた同じ場所で待ってくれていて、山腹を掘って作ったような洞窟内にある職場を案内してくれました。いくつかドアをくぐって差し掛かったオフィス脇の廊下は、すれ違うのもやっとで天井も低く、体格のいい軍人が場合によっては身をかがめなければならないぐらいの空間だったのですが、実はこの洞窟、第二次世界大戦中に日本軍が地下まで掘って作った防空壕だと言うのです。それを米軍がリノベーションして今でも使用しているというわけですね。

 

煌々とした蛍光灯の光の下、暖房が効いた快適な部屋で、昨日のお礼にと記念のコインを渡されながら、私は頭の片隅で80年前に同じ場所で日本軍の勝利を信じて身を震わせていた人たちのことを想っていました。青春を奪われた自分たちの苦しみが報われることなく、日本が敗戦してしまうことも知らずに、懸命に命を削った青年たちが、流した汗と涙がしみ込んだ場所で、私は米国人軍医にお礼を言われ、促されるままに自分の夢を語っていたのです。

 

帰りまでエスコートしてくれた軍医に、履歴書を送るから働かせてくれそうな施設があったら是非紹介してほしいと、必死に頼みながら洞窟から出ると、春の気配がする午後の光に迎えられ、偶然にも入口にいた昨日の患者さんに見送られながら洞窟を後にすることになったのですが、病院に戻れば、今度は渡米の夢を共有する仲間がいて、そんな彼らと、雲一つない青空を見上げ、隣り合ってはためく星条旗と日の丸を眺めながら、私は今まで経験したことのない気持ちになったのです。

 

温かくて、涙が出そうな、感謝で胸が熱くなる幸せな気持ち。

 

自分は大したことは何一つしていないのだけれど、その場に居合わせた不思議が奇跡のように思えるというのか、80年前ここで確かに生きていた人たちや、人類の戦争の歴史で奪われてきた多くの命が、一つ残らず、この手で触れられるぐらいの距離に感じられて、そんな彼らの温もりに包まれたような午後だったのです。

 

翻って、テイラースウィフトやアデルを抑えて2021年、最も売れたアーティストはBTSだったと伝えるニュースの脇に並ぶいくつものウクライナ関連の記事。ゼレンスキー大統領の口から「新たな鉄のカーテン」の言葉まで聞かれたようですね。つい最近、スポーツの祭典で平和を誓い合ったはずなのに…。

 

遠い国の話だとしても、神様の気まぐれによっては自分が生まれていたかもしれない国。生まれたタイミングが違えば自分がたどっていたかもしれない運命。

 

だから今日は、ベルリンの上空で撃ち落とされた射撃手の心の内を歌った1983年リリースのPink Floydの名曲を。私はこのバージョンが好きなのですが、オリジナルはボーカルとサックスが溶け合う中盤が素晴らしいですよね!

 

 

Floating down through the clouds
Memories come rushing up to meet me now.
In the space between the heavens
and in the corner of some foreign field
I had a dream.
I had a dream.
Good-bye Max.
Good-bye Ma.
After the service when you're walking slowly to the car
And the silver in her hair shines in the cold November air
You hear the tolling bell
And touch the silk in your lapel
And as the tear drops rise to meet the comfort of the band
You take her frail hand
And hold on to the dream.

雲の間を漂いながら落ちる今
思い出が僕の脳裏に押し寄せてくる
天国と 異国の戦地の片隅との狭間で
僕は夢をみていた

夢をみていた
さよなら マックス
さよなら 母さん
葬式の後 ゆっくりと車へと向かって歩くとき
凍てつく11月の空気の中で 彼女の白髪が光る
弔いの鐘の音を聞こえ
襟のシルクに触れる
バンド演奏の慰めに涙が溢れるその時

彼女のか細い手を握り
ひたすら夢にすがりつく


A place to stay
Oi! A real one ...
Enough to eat
Somewhere old heroes shuffle safely down the street
Where you can speak out loud
About your doubts and fears
And what's more no-one ever disappears
You never hear their standard issue kicking in your door.
You can relax on both sides of the tracks
And maniacs don't blow holes in bandsmen by remote control
And everyone has recourse to the law
And no one kills the children anymore.
And no one kills the children anymore.

留まれる土地
自分の居場所と呼べる場所
十分な食料があって
かつての(戦争の)英雄達が 足を引きずりながらも 安全に道を歩けて
疑問や不安を

何のはばかりもなく口にできる場所
そして これ以上 誰も消え去ったりはしない
奴らがドアを蹴破る いつもの物音も聞こえない
安心してレコードの両面を聞けて
遠隔操作で楽隊員に弾丸を打ち込む狂人などいない
誰もが 法律を重んじて
そして誰も子ども達を殺したりはしない
誰も子ども達を殺したりしない


Night after night
Going round and round my brain
His dream is driving me insane.
In the corner of some foreign field
The gunner sleeps tonight.
What's done is done.
We cannot just write off his final scene.
Take heed of his dream.
Take heed.
夜な夜な
僕の頭を駆け巡る
彼の夢は 僕を狂気に追い込んでいく
異国の戦地で
射撃手は 今宵 眠りに就く
もう済んでしまったことだから
この最後シーンを帳消しにする事は出来やしない
だから彼の夢を心に留めておくんだ
心に留めておくんだ

 

 

この楽曲を書いたロジャーは、2013年の再レコーディングに際し、次のようなコメントを残しています(一部抜粋)。

 

Last night I watched the 2013 documentary film "The Man Who Saved The World”.  The man’s name is Stanislav Petrov. The year before Stanislav saved the world, in the year 1982, I wrote a song “The Gunner’s Dream”.  It’s weird to think that had Stanislav not been in the right place at the right time, none of us would be alive.  No one under the age of 37 would have have been born at all...  ...We’ve been extraordinarily lucky.  If I ruled the world, I would heed the words of the wise.  I would get rid of nuclear weapons first thing tomorrow morning on Dr. King’s name day.  Of course no-one can rule the world.  The world cannot be ruled.  It can only be loved and respected and shared if we’re still here in the morning.

昨夜、「世界を救った男」というドキュメンタリー映画をみた。男の名前はスタニスラフ・ペトロフだ。彼が世界を救った1983年の一年前に私は「射撃手の夢」という曲を書いた。しかし、スタニスラフがあの時あの場所にいなければ、私は今生きていなかったし、今37歳以下の人は一人も生まれていなかった。我々は非常に幸運なのだ。<中略>私が世界を支配できるなら、賢者の言葉を心に留めておきたい。核兵器は明日の朝一番に捨ててしまおう。でももちろん、誰にも世界は支配できない。世界は支配され得ないのだ。世界は、愛され、尊重され、共有されるべきものなのだ。もっとも、我々が明日の朝もまだ生きていればの話だけれど。

 

 

最後までお付き合いくださってありがとうございました♡