お立ち寄りいただきありがとうございます♡

いいね、フォロー、コメント、メッセージも本当にありがとうございます。少し不安に思いながらあげる記事に対してもいろんな反応を頂けて、大きな安心感と励みになっています♡

 

お話しした通り、私は今回のライブを観られなかったので、皆さんの今の興奮に見合う文章は到底書けないし、的外れな投稿になってしまうかもしれないのですが、下の写真を見かけ、「許可はいらない」の言葉の意味をなんとなく考えていました。

 

 

Permission to DanceはそもそもStories On Pandemicのアナグラムになっていることからも、コロナによって奪われたいろんな自由に思いを馳せて、再び「許可なしで踊れる」世界がやって来るのを心待ちにする楽曲であることは明らかだし、今回母国で2年半ぶりのライブを成功させた彼らのコメントも当然ながらそこにフォーカスが当てられていましたね。

 

母国のファンと対面できた安心感とは裏腹に、本来のライブとは異なる無歓声の会場に違和感や不安感を抱いたような言葉もあったりして、でも最終的には、厳格にルールを守ってくれたファンの振る舞いが「自分たちを批判から守ってくれる」というユンギの言葉がすべてを物語るように、今回のライブは古巣のファンとの絆を再度確認する、そんな温かいものだったのだろうなと想像します。

 

でもその一方で、というよりだからこそ、彼らとファンが乗り越えてきた「対面で踊れない世界」を象徴する「Permission to Dance」という楽曲のタイトルそれ自体ではなく、あえて「We Don't Need Permission」と大きく掲げたところに大きなメッセージ性を感じました。

 

つまり、コロナは世界中の人間を「平等に(これに関しては異論もあるかもしれませんが)」当事者として巻き込んできた障害ですが、世の中は当然コロナ以外にもまだまだたくさんの障害に溢れかえっていて、たとえば「学校で勉強すること」、「女性として自立して生きること」、「肌の色に関係なく人間らしく生きること」、「病気によって差別されないこと」、「戦争のない平和な国に生きること」、ありとあらゆる権利を主張して「許可を得なければならない」立場にある人々が取り残されているわけですよね。

 

だから、これは暗に今のウクライナ情勢についての抗議の意味も含まれていると読み込めなくはないし、これと並列では語れないにしても、「許可を待つ人々」の中に、「愛する人と一緒になること」に関しても「許可を得なければならない」ように感じている人たちがいる事実も頭を過るわけで。

 

いろんな響きを持つ「僕たちに許可はいらない」というメッセージ。

 

そしてコンサートの幕開け前のグクの投稿と共にやはり気になってしまったのは、テテがコンサート中にARMYに伝えようとしていた詩(追記:私は自分が好きな下記の詩だと思ってしまったのですが、リュ・シファさんという韓国人の方も同じような詩を書かれているようですね)

 

Sing like there's nobody listening,

Love like you've never be hurt,

Dance like there's nobody watching,

And live like it's heaven on earth

誰も聞いていないかのように歌い

傷ついたことなどないかのように愛し

誰も見ていないかのように踊り

この世が天国であるかのように生きるのだ
― Mark Twain

 

それで思い出した今回の記事。ずっと下書きのままになっていたのですが書き終えたので投稿します!

 

相変わらず書きたいことがたくさんあって、でも仕事は忙しくなる一方で時間に追われているので、コメント、メッセージのお返事が滞ってしまっているのがとても気になっているのですが、今月はとりあえず書ける記事を書いてしまおうと思っています。皆様の温かいお気持ちはもちろん大切に読ませていただいていますし、遅くなっても少しずつお返事させていただければと思っています♡

 

***

 

以前、私が勝手にグクテテを重ねてしまう作品としてSomedayをご紹介したのですが、今回は、彼らを見ていて私が何となく思い出す小説についてお話したいと思います。Brokeback Mountainという作品です。2005年にヒースレジャーとジェイクジレンホール主演で映画化されており、2018年には「文化的、歴史的、美学的に重要な作品」であるとして、米国国立フィルム登録簿における保管作品として選出されたということで、ご存じの方も多いと思います。LGBTQ映画の先駆けとも言われていますね。

 

*グクやテテは一度も本作には言及していません。下記の記事にある通りユンギが以前、本作の台詞が印字されたスウェットを着用していたという点だけをもってBTS関連投稿ということにさせていただきます。以下はあくまで個人の解釈であり、2人の関係について断言するものではありません*

 

 

私は映画は最近になって初めて観たのですが、学生時代に同級生から借りて読んだ原作小説のラストシーンがすごく好きで、今年に入って間もなく再読しました。そして読んでいる最中、このブログで一部取り上げてきた、BTS関連のどの同性愛作品よりも、グクとテテの姿が瞼の奥にちらつきました。

 

というのは、作品で描かれる1960年代から1980年代の米国における同性愛者への冷ややかな視線が現在の韓国でのそれと重なり、主人公たちが選ぶ道が、私が自然に想像してしまうグクテテの顛末と非常に似ているからです。そもそも、この作品を初めて読んだときに感じた切なさと同じ類の感情を、グクとテテに対して感じたからこそ、直感的に彼らの間に特別な何かあると思ったのかもしれませんし、あるいはだから、10年前に読んだこの小説のあらすじに、無意識のうちに彼らを当てはめてしまっていたということなのかもしれません。(以下ネタバレあります!)


僕が自分の本心に気づいたとき

離れないと

探さないとと思ったんだ

昼も夜も

砂漠と海を渡り

広大な世界を

彷徨い歩いた

そして僕は

もっと頑張れたはずなのに
もっと強く君を抱きしめられたはずなのに
これまで辿ってきた道の中で
君は僕の光だった
誰にも声をかけられず
煙たがられていた僕

こんな僕に気づいてくれたのは君だけ

 

終わりが見えなかった永遠に続く夜

僕に朝をくれたのは君

今その手を握ってもいいかな

次こそは頑張るから

 

大丈夫

やり直せるから

大丈夫

I can make it right

 

 

20歳になる前の夏にブロークバックマウンテンで出会ったジャックとエニスの2人は、羊飼いのバイトを通して徐々に心を通わせ、冷え込んだある朝、寝床を共有したことをきっかけに一線を越えます。お互いにゲイであることは認めないまま夏が終わり、山を下った彼らはお互いに結婚し、家族を持つようになります。再会するのは、4年後。その際、ジャックは2人で生活することを提案しますが、同性愛者に向けられる差別とその結果及ぶ身の危険を恐れるエニスは首を縦に振りません。

 

その結果、彼らは20年に渡って年数回、2人だけの「釣り旅行」に出かけることになるのですが、かつての夏の日の記憶を貪るその数日は、彼らが唯一、社会から求められる男性像から解放されて、星空の下、真実の姿に戻れる時間として描かれています。それでも、満たされ切らない逢瀬を重ねるごとに、2人の心は遠ざかっていき、ある日、エニスは仕事の都合でしばらく会えないとジェイクに告げるのです。

 

それに対して不満を隠せないジャックは、男娼との関係を口にします。男性との関係は自分だけだと信じていたエニスはひどく傷つき、喧嘩別れとなった2人が再び会うことはありません。ジャックが不慮の死を遂げるからです。それが単なる事故だったとは思えないエニス。ジャックの妻は詳細について話してくれませんが、エニスは、ジャックが遺灰をブロークバックマウンテンに撒いてほしいと言っていたことを知り、言葉を失います。

 

そんな悲劇で終わる2人の関係性について、ジャック役のジレンホールは次のように述べています。

 

That what ties these two characters together is not just a love, but a loneliness. I think primarily it was deep loneliness. And what I always say about that movie [Brokeback Mountain], which I think maybe over time is more understood, is that this is about two people desperately looking for love. To be loved. And who were probably capable of it. And they just found it with someone of the same sex. And that does not dismiss the fact that it is about, really, primarily, the first kind of very profound gay love story. Hopefully it can create an equality of an idea: that is, it's possible that you can find love anywhere. That intimacy exists in so many places that convention and society won't always allow us to see. And we won't allow ourselves to see, because of what criticism — and danger, really — it might provoke.

この2人の登場人物を結びつけるのは愛だけではなく、孤独です。一番に深い孤独があったのだと思います。そして、僕はこの映画について語るたびに言っていることで、時間が経てば徐々に理解されることだとは思いますが、これは必死に愛を求めた2人の人間について物語だということです。愛される術を求めた2人であり、それが可能だったはずの2人。そして偶然にもそれは同性の2人だったのです。同性愛映画では初めてそういった深い愛について描かれた作品であることは否定できないと思います。僕はこれが平等な考え方を作りだすことを期待しています。すなわち、愛をどこで見つけるかはわからないということです。愛は社会や風習が許さない場所にも存在するのです。我々は批判や危険にさらされるのを恐れてそういった愛を見ようとしていないだけなのです。

 

実際、1997年に原作が出版されまもなく脚本化されたにも拘わらず、複数人の監督の間を行ったり来たりして中々映画化されなかったこの作品、主演俳優としては、ディカプリオやブラピ、マットデーモンなどの名前も挙がっていたようですが、多くの俳優が断ったせいでキャストもなかなか決まりませんでした。ようやく作品化され、アカデミー賞にノミネートされた際も、受賞を逃し、アカデミー協会の同性愛差別だと批判が上がりました。

 

主人公2人のセクシュアリティーに関しても多くの議論が沸き起こり、「2人はバイセクシュアルだが、ジャックはゲイ寄りでエニスはストレート寄りである」などと評する専門家もいましたが、上記のジレンホールは「ストレートの男性2人が愛と絆を築く物語」だと語り、エニス役のレジャーは「ジャックがいなければエニスはゲイとしての自分に気づくことはなかったに違いない。結局のところ、2つの魂が恋に落ちたというだけのことだと思う」と述べています。Entertainment Weekly も同じように、「多くの人はカウボーイゲイ映画だと思って見始めるだろうが、見終わってわかるのは、このラブストーリーがゲイでもストレートでもなく、ヒューマンだということだ」と記しています。

 

Baby I know
I can make it better
I can hold you tighter
この道は
ずっと君へと向かっている
何もいらなかった
君以外
あの時みたいに僕に触れて

 

「愛」という言葉が一度も登場しないこの愛の物語、「満たされない欲望と抑圧された憧れと失われた可能性を一人の人間に詰め込んだようだ」と評されたレジャーの演技が冴えわたっている最終章の一節を小説から抜粋したいと思います。一読してから10年経ってもなお色褪せずに私の脳裏に残存していたこの一段落は、ジャックの死後、エニスがジャックの実家を訪れ、初めて彼の部屋に入ってそのクローゼットの中に見覚えのあるシャツを見つけたときのことを描写しています。

 

The shirt seemed heavy until he saw there was another shirt inside it, the sleeves carefully worked down inside Jack’s sleeves. It was his own plaid shirt, lost, he’d thought, long ago in some damn laundry, his dirty shirt, the pocket ripped, buttons missing, stolen by Jack and hidden here inside Jack’s own shirt, the pair like two skins, one inside the other, two in one. He pressed his face into the fabric and breathed in slowly through his mouth and nose, hoping for the faintest smoke and mountain sage and salty sweet stink of Jack but there was no real scent, only the memory of it, the imagined power of Brokeback Mountain of which nothing was left but what he held in his hands

そのシャツは重そうに見えた。しかしそれはその内側にもう一枚シャツがあるからだということにエニスは気づいた。ジャックのシャツの袖の内側にはもう一枚のシャツの袖が大切に通されていたのだ。それはエニス自身のチェック柄のシャツだった。何年も前に洗濯した際に失くしたと思っていたシャツ。汚れて、ポケットも破れ、ボタンもはずれたシャツ。それをジャックは盗み、自分のシャツの内側に隠し、2人の肌を重ねるように、2枚を1枚にして保管していたのだ。エニスはそのシャツに顔をうずめ、口と鼻の両方からゆっくりと息を吸い込んだ。ジャックのかすかなタバコの香りと山のセージの香りとあの甘く塩辛い体臭を期待したが、そこには何の香りもなかった。残されていたのは、その記憶と、彼が今まさに手にしているブロークバックマウンテンの欠片のみだった。

 

まだ多くの未開拓地が米国に残されていて、カウボーイたちがそういった土地で、長期間身を寄せ合って暮らすことが受け入れられていた1800年代、同性愛者たちはそのカウボーイライフスタイルをもってして自分たちの愛を守ることができたと言われています。ジャックとエニスもブロークバックマウンテンにいる限りは自然の中で自然な姿でいることが許されたのです。しかしいつかは山を下り、文明化された生活を受け入れざるを得ず、それは2人が生活を共にすることを許しませんでした。

 

前より少しだけ伸びた身長
少し力強くなった声
全ては君のもとに戻るため
君という名の大きな地図を広げよう
My rehab

僕を見てほしい なぜ僕だとわからないの?

周りの雑音なんか聞きたくない

今でも君の香りが僕を貫いて打ち砕く
戻ろう あの頃に

 

翻って、軍内では同性愛を違法とし、LGBTQ軍人を自殺に追い込んだことが国際ニュースにもなる韓国において、匂わせ営業を常とするKPOPの環境は、カミングアウトしたくない同性愛アーティストにとっては、自らを守るカムフラージュマントのようなものなのかもしれないと思います。かつて米国の地でカウボーイたちの知られざる関係がそのライフスタイルに紛れて許されたのと同じように、KPOPアイドルである限りはどんなに際どい関係もファンサービスの名の下に許される。

 

その意味で、グクやテテにとってもKPOPという居場所はまさにブロークバックマウンテンそのものであり、BTSが存続する限りにおいて彼らは守られているのではないかと思うのです。しかしそれはつまり、彼らにもいつか山を下らなければならない時が来るということなのかもしれません。だからこそ、今、思いっきり恋をしているようにも見える彼ら。

 

テテが「鼻血が好きだ」と言ったとき、私はひょっとして、と思いました。というのも、上記の一節に出てくるシャツにエニスの血痕が付いているのです。小説の中でも映画でも、とても印象的な血痕、それは、山を下る直前、積もる想いを口にできず、もつれ合って殴り合ったときに2人のシャツに付着した鼻血でした。2人が若い命を燃やして、焦がれる想いをぶつけ合って、確かに生きていたことを象徴するように、夏のブロークバックマウンテンの景色に刻み込まれた真っ赤な鼻血。

 

君は今も美しい
あの日あの時みたいに僕を静かに抱きしめて
僕が地獄を生きながらえたのは
自分のためではなく 君のため

 

上記で引用した場面の後、エニスは自らのクローゼットに画鋲で止めたブロークバックマウンテンのポストカードを眺めながら泣き崩れ、今更ながらジャックへの誓いの言葉を口にします。「ジャックは一度たりともそんな言葉を求めたことはなかったし、エニス自身も何かを誓うようなタイプではなかったのだけれど」。そしてこの言葉のあと、物語は次の文章で締めくくられます。

 

There was some open space between what he knew and what he tried to believe, but nothing could be done about it, and if you can’t fix it you’ve got to stand it.

エニスが知っていることと信じようとしていることとの間には少しの隙間があって、それはどうしようもないことだった。そして、どうすることもできないことは、耐えるしかないのである。

 

この「どうすることもできないのであれば(過ぎ去ってしまったことは)、耐えるしかない」という表現はエニスが自分の子供時代についてジャックに話すシーンなどで何度か出てくる表現なのです。そしてそれはつまり逆に言えば、苦難を伴う現状も、頑張ってどうにかできる術が残されているうちは幸運だということ。

 

Bts グクテテ 後ろ姿 - mystlvity.com

 

まだ現在進行形のグクテテの物語。いつか山を下る時には、ブロークバックマウンテンの記憶にすがるような未来を選ぶ代わりに、2人にしか切り開けない道を見つけられたらどんなに素晴らしいことだろうと思います。それによって一時的に、母国から距離を置くことになったとしても。美しい姿を記憶の中だけに閉じ込めてしまうのは、あまりにも哀しいことだし、そうするには2人はまだ若すぎるから。

 

All right
I can make it better
I can hold you tighter
Oh I can make it right
何もいらなかった
君以外
だから今度こそ頑張れると思うんだ

 

大丈夫
大丈夫
Oh I can make it right

 

参考:

The Movie Review: 'Brokeback Mountain' - The Atlantic

Brokeback Mountain | Brokeback Mountain | The Guardian

Brokeback Mountain - Wikipedia

 

最後まで読んで下さってありがとうございました♡