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実は今回の記事、I Love You(A Million Stars)と呼ばれているテテのあの曲を聴いた時にじんわりと思いついた内容で、少しずつ書き進めていたのですが、いろいろと慎重になっているうちに、完成がどんどん先送りになってしまっていました。
ただこの歌を聴いた時、やはり「メッセージ」はいつも歌の中なのだな、と静かな衝撃を受けたので、Love Myselfの歌詞と共に、下記に思いを記しました。
目を開ける 暗闇の中の僕
心臓の脈打つ音 見慣れないとき
向き合ってみる 鏡の中の君と
怯えた視線 昔からの疑問
もしかしたら他の誰かを愛することより難しいのは
自分自身を愛することなんだよな
正直に認めよう 君が自分に課す基準は
君にとって厳しいものであると
君の人生の中の太い年輪
これもまた君の一部なんだから
これからは自分自身を許そうよ
捨てるにしては僕たちの人生はまだ長い
迷路の中では僕を信じて
冬が過ぎれば また春がやってくる
私はテテの英語の聞き取りが苦手で、下の歌詞が合っているかも自信がありません。でもこの曲、まず英文法の著しい成長が感じられますよね。今回は単にナムジュンチェックが入っているのかもしれないけれど、SceneryやWinter Bearと比べると、ものすごい成長を感じます。(新年早々偉そうにすみません汗 言いたいことはここではないのでどうか読み進めて頂ければうれしいです)
Travel with me
Don't you wanna get away
Don't you wanna run away
I can take you to anywhere
Ride with me anyway
4AM in the night
Sunrise is on the way
Just take a walk with me
僕と旅に出よう
遠くに行きたいと思わない?
日常から逃げ出して
どこにでも連れて行くよ
どこでもいいからとりあえず行こう
午前4時
日の出はすぐそこだから
散歩でもしよう
Cuz I'm ready
And the light will guide us to a million stars
My love, just hold my hand
In the end it's you and I
And clouds will disappear
So hold on tight
もう準備はできてる
光は何万もの星たちのもとへ連れて行ってくれる
愛し君 僕の手をとって
最後に残るのは君と僕だから
雲だって消える
だから僕を離さないで
And in the end I want to draw you a happiness
And show you all my colors to you
Just tell me you love me and I could give you everything
And that will be the best part of me
結局のところ僕は君に幸せを描いてあげたいんだ
僕の色を余すことなく君に見せたい
好きだって言ってくれたら 僕の全てをあげる
最高の僕を君にあげる
ただ考えてみれば、この成長が感じられるのって、テテが完璧でない自分も見せてきてくれたからなのですよね。もしかすると、SceneryにしてもWinter Bearにしても相談されたナムジュンが敢えて、「(音楽というのは純粋な聴覚体験だから)テヒョンが心地良いと思う歌詞のままでいい、英文法なんか二の次だ!」と言ったのかもしれません。
でも、あの近寄りがたいルックスのテテに私がある種の親しみを感じるのは、彼が、習いたてほやほやのトランペットを練習する姿や、側転?をジミンに教えてもらう姿、料理が苦手な姿、あるいは明らかに空気を読まないマイペースな姿などをさらけ出してくれているからなのかなと思います。体形にしたって「おばあちゃんが太ってる方が好きって言ってくれたから僕太らなきゃ」って… だいぶ前の発言ですがこんなこと言えるアイドルなかなかいませんよね。
AMAsで強制終了になったグクのスピーチを見たときも似たことを思ったのですが、私だったら、緊張しても脊髄反射で言葉が出てくるぐらいにならない限り、外国語でのスピーチなんか絶対に挑戦しません。でも、BTSは、というよりここはバンタンと言った方がいいのかもしれないけれど、彼らはいつも「練習途中」「成長過程」を見せてくれる気がします。スーパースターなのに、完璧じゃない自分をさらけ出すことに抵抗がない。
そんな彼らを見ていていつも思い出すのが、10年前に聞いたブラウン博士のTEDトーク。これこそが、BTSの魅力だと思うからです。10年前から、いやそのずっと前から、世界はBTSを待っていたなんて言ったら大袈裟だけれど、このトークには彼らが世界で支持される理由が詰まっている気がします。
日本語訳がついているのですが、意訳を付けたいところだけ少し抜粋します:
私たちが存在する理由は、「絆」を構築するためなのです。「絆」が私たちの人生に意味を与えてくれるのです。
そこで私は絆についての研究を始めましたが、ほどなくして、絆を失うことに怯える人間に共通しているのが「恥」の感覚だということに気づいたのです。「私のこんな部分が知られてしまったら、私との絆を絶ちたいと思われてしまう」あるいは「絆を構築する相手に値しないと思われてしまう」という恐怖こそが「恥」なのです。
自己肯定感が強い人間と、そうでない人間を比較すると、前者は「愛されている」「自分には居場所がある」と感じているということがわかったのですが、その人たちがなぜ、そう感じることができているかと言うと、彼らは「自分には愛される価値がある」と信じていたのです。
どうすれば自分の価値を信じることができるのか。信じている人たちに共通していたのは、「あるがまま」をさらけ出しているということでした。そして「あるがまま」をさらけ出すことができる人たちに共通していたのは「Courage(勇気)」でした。この言葉の由来となったラテン語は「自分自身のことをあるがままに話す」という意味であり、自己肯定感が強い人たちは「不完全な自分でもいいと思う勇気」を持っていたのです。
あるがままの自分であり続けるために、「自分はこうでなければならない」という気持ちを手放すことは、「絆」を構築するためには必要不可欠なのです。
そして自己肯定感が強い人たちに共通していたもう一つの傾向は「Vulnerability(傷つく心)」を受け入れていたということです。彼らは、「傷つく心」をさらけ出すことは美しいと信じていました。心が傷つくことは、必要なことであると考えていました。「愛している」と言ってもらう前に、自ら想いを相手に伝えることや、報われるかわからない場面で全力で努力すること、逃げずに病気の診断を聞きに行くこと、そういったことは人生にとって必要不可欠なことであると理解していたのです。
「恥」の根底には「傷つく心」を受け入れられない自分がいます。でもそれを受け入れることで、喜びや創造力、帰属意識、愛情を手に入れることができるのです。でも私たちは往々にして「傷つく心」に麻酔をかけようとしてしまいます。そして心の一部分に選択的に麻酔をかけることはできないので、「傷つく心」を無視するとき、私たちは喜びや感謝する気持ちや幸せまでも失ってしまうのです。
その結果、我々は味気ない人生を乗り越えるために「確かなもの」や「完璧なもの」を求め始めるのです。愛する子供にさえ完璧を求めてしまう。「あなたは不完全で、いろんな困難に打ちのめされるだろうけれども、どんな時も愛されるに値する」と伝えたいはずだったのに。
大切なのは、自分をさらけ出すこと、「傷つく心」をさらけ出すこと、報われると知らずに愛すること、感謝すること、ここまで信じてしまってもいいのかと恐怖に怯えても信じること、それでこそ「絆」が生まれるのです。「傷つく心」を受け入れることが生きることそのものだから。
そして、今の自分で十分なんだと、この自分でいいんだと思うことが大切なのです。その場所にいてこそ、他人の声に耳を傾け、寛容になることができるのです。
これ、BTSが伝えてきたメッセージそのものですよね。特にAnswer: Love Myselfではっきりと歌詞にちりばめられている。
始まりの最初から終わりの最後まで 答えはただ一つ
どうしてしきりに隠そうとしてばかりなの 仮面の中へと
自分の間違いでできた傷跡まですべてが 僕の星座なのに
彼らはカメラの前で食事をするときも、日本や欧米からすると少しびっくりしてしまうような韓国流の食べ方を隠したりはしないし、昨年始めたインスタだって、ホソクやナムジュンのインスタグラマーぶりとグクテテ供給過多以上に、ファンの間で連日話題になっていたのが、彼らのインスタ初心者ぶりであるというのが、私にはとても興味深い現象でした。
彼らは常にあるがまま。どんな小さなことも大きなことも批判を恐れないわけではないだろうけれど、批判で傷つけられることをカッコ悪いことだと思っていない。不完全なことも、傷つくことも恥ずかしいことじゃない。彼らには「傷つく心」をさらけ出して受け入れる覚悟がある。
だからメンバー同士の間に強い「絆」があるし、SNSを介してつながるファンとも「絆」が出来上がって、ブラウン博士が言うところの「生きている意味」をお互いに感じることができる。
でも最初から覚悟があったわけではないと思うのです。誰だって、傷つくのは怖いし、傷を見られるのはもっと怖い。だからきっと彼らは歌という媒体を通して、パフォーマンスを通して、また外国語での自己表現を通して、いろんな手紙を通して、何年もかけて少しずつ傷を公の目にさらし、それによって受けたかもしれない新たな傷をまた歌やパフォーマンスの中に織り込んで、別の形で表現して、大衆と共有するという作業を繰り返してきたのだと思います。
冷え冷えとした夜の視線
醜い僕を隠そうと ひどくもがいていたけれど
あのたくさんの星が降り注いでくれる光を浴びるために
僕は落ちてきたのかな
あの数千個の輝く矢の的は 僕だけだ
そうすることで、冷たい批判の中に紛れて確かに存在する温かい視線を知り、今のありのままの自分でも十分価値があるということを、自分自身に対して証明してきたのでしょう。
4o'clockのドライブ中のテテの歌からこんなことを書くことになるなんて、すいぶん話が逸れた気もしますが、世界の中心で愛を叫ぶような、ためらいのないあのラブソング。かつて「自分のことを好きになるように努力している」とインタビューで語っていたテテが、Love Myselfの歌詞の通り、何かを乗り越えたからこそ書けた曲なのかなと私には思えました。
僕には自分を愛する理由があると 君が教えてくれた
僕の呼吸 僕の歩んできた道
すべてをもって答える
昨日の自分 今日の自分 明日の自分
僕は自分の愛しかたを学んでるんだ
抜かりなく 余すことなく すべて僕だから
そしてもちろん、彼が今回の歌詞で言うところの「余すことなく色を見せたい」相手がARMYなのはわかっていると言いたいのだけれど… 下の歌詞の「握手」、皆さんはどのように解釈されたでしょうか。このブリッジ部分?の歌詞、全体的に自信がないのですが、「手を握る」という表現は"hold my hand"という英語で上記にすでに登場しているので、テテは確かに「握手」と表現したかったのだろうと思うのです。そして通常、握手というのは何らかの挨拶を意味する動作だと思うのですが、ここでは「約束しよう」と続きます。
「約束」を意味する「握手」。
空き時間に2人で一生懸命考えてきた数々のパターンの握手。嬉しいときも、楽しいときも、自信がないときも、落ち込んだときも、体調が悪いときも、傷ついたときも、いろんな形で、いろんな場所で、ヒョンたちの前で、ファンの前で、あるいはきっと2人だけの時も、何度も何度も重ねてきた手と手。そこに込められた想いはその時々で違ったことでしょう。時には、心が見えなくて、手の温もりにすがるような思いの時もあったかもしれない。握手なんか、と投げやりになった日もあったかもしれない。
それでも、この曲を聞いてから振り返ると、どの握手も、世界の中心で愛を叫んでいるように見えてしまうのが不思議ですね。
Shake my hand It's a promise
And the hardness will mean nothing
Talking about if we're going to make it
I love you It's so easy
This is a song you'd ever wanted
I'm gonna prepare
You shout at me baby
握手をして約束しよう
そうすれば困難もなかったことになるから
2人で乗り越えられるか話したりして
君を愛してる それは簡単なこと
この歌は君がずっと欲しがっていたもの
今準備するから
僕に思いっきり愛を叫んで
最後まで読んでくださってありがとうございました♡