お立ち寄りいただきありがとうございます。
連投申し訳ありません。
この記事、実は1年ぐらい前に書いたもので、重すぎてずっとお蔵入りになっていたのですが、このたび梨泰院で混乱する現場に駆けつけた医療者の姿を見て、この記事を書いた時の自分の思いも大切にしたいと思ったので、公開することにしました。楽曲以外はBTS関係ないです。
お亡くなりになられた方々とご遺族に心からのお悔やみを申し上げると共に、一命を取り留めた方々の1日も早い回復をお祈り申し上げます。
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今回取り上げるこの楽曲、「Get Back, get get back」という背景の声とフルートが印象的ですよね。ナムジュンの秀逸な言葉遊びの下、太陽に失恋した冥王星ついて語った歌詞なのですが、それでも私はこの曲を聞きながら、自分の日常に登場する「名前を失う瞬間」を思い浮かべずにはいられませんでした。その印象が拭えないままになってしまっているので、そのことについて少しだけ書きたいと思います。
僕は周りを周ってばかりいる
僕は君を手放した
僕は君を失った
僕は空回りばかりしている
君は僕を消した
君は僕を忘れたんだ
かつては太陽の世界の一員だった
歌は止まった
歌は止んだ
星の心臓には霞んだ霧の層だけ
君は僕を消した
君は僕を忘れたんだ
「トリアージ」という概念を皆さんはご存じでしょうか。災害時や救急の現場などで命の選別をしていく作業のことです。もちろん、恣意的にやるわけではなく、決められた基準に則って、たとえば、自力で歩けたら緑、歩けなくても医療者の指示に応じて身体を動かすことができれば黄色、脈が安定しなかったり、呼吸が難しそうであれば赤、呼吸していなければ黒、という具合に分けていくのです。
医療資源が限られていれば、救える命の数を最大にするために、場合によっては黒に限りなく近い赤より黄色が優先されたりという風に、命が選別されざるを得ない場面が存在します。
こんな風に色まで付けなくても、たとえば喘息発作を起こして心肺停止の40代男性と、心筋梗塞を起こしたけれどしっかり意識のある60代男性が同時に搬送されてきた救急科で（もちろんキャパを超える患者は受け入れないのが常識ですが）、何らかの事情で手が空いている医療スタッフが十分いないとしたら、彼らは喘息をあきらめて心筋梗塞に専念することになると思います。
できることなら聞いてみたかった
その時なぜそうしたのか
どうして僕を追い出したのか
何の名前もなく
相変わらず君の周りを周ってるんだ
別れが色褪せる
その変わらない色彩
君は本当にエリスを見つけ出したのだろうか
言ってよ 僕の何があの月に劣っているのか
UsはUの複数形ってだけ
ひょっとすると初めから僕はそこにいなかったってことか
いつか君もこの言葉が理解できるだろうな
僕の季節はいつも君だった
僕の冷えた心臓は氷点下248度
君が俺を消したあの日に止まったんだ
もちろん、心肺停止になってから病院に到着するまでにかかった時間など、いろいろ考慮すべき点はありますが、成功率の低い蘇生に資源を割いて心筋梗塞の治療が中途半端になれば、そちらも失うことになるのは目に見えていますよね。だから、喘息の患者さんが、三途の川の前に立ちながら「あいつと俺とどう違うんだ、同じ星のもとに生まれた同じ命じゃないか」なんて言ったって、「Us=僕たち」は心筋梗塞に全力を注ぐわけです。ナムジュンが書くように「Us=僕たち」が「U=君」の複数形にすぎないことを自覚しながら。
こんな風に冷徹な心で、一瞬にして命を選ばなければならないのだから、その選別は、相手が会ったこともない知らない人間だから為せる業なのだと思います。もちろん、救急隊から名前ぐらいは聞きます。搬送中にその人の電子カルテを作成し、採血やら画像やらのオーダーを入れて一分一秒でも早く作業が進むように準備するわけですから。患者さんが到着したときに、タナカさん、わかりますか、なんて言って声をかけて意識レベルを確認するために、あるいは混乱した現場で採血スピッツの取り違えなどがないように、名前には細心の注意を払います。
でも、そこで発する「タナカさん」という名前と、カルテ番号「134340番」との間には、正直、違いはないように思います。
僕には名前がないんだ
僕も君の星だったのに
君は光だからいいよな
僕はそんな君の光を浴びるだけなのに
崩れた王星に残ったメイ（命=冥）に何の意味がある
何が言いたいかというと、名前が特別なのは、その背景にストーリーがあるからだと思うのです。「BTS」をとっても、バンタンと言えば世界で売れ始める前のストーリーが思い浮かぶ一方、BTSというとなんとなくダイナマイト以降のストーリーを思い出したりしますよね。
それは個人も同じことで、毎週外来で診ているタナカミノルさんにはストーリーがあるはずなのです。数年前に大腸癌の手術をして、最近は肺気腫の治療のために在宅酸素を始めたけれど、40年続けてきたラーメン屋には、ミノルさんに会いに何十年も通ってきてくれているお客さんもいて、死ぬ前に何とかご長男に店を継いでもらいたいと思って今猛特訓中である、とか。
でもそんなことを知っていたら、ミノルさんが心肺停止になったとき、彼の肋骨をバキバキ折って肺に損傷が起こるほどの気合が入った心臓マッサージなんかできないかもしれません。服を引きちぎって鼠径部から採血をして、場合によってはそこからカテーテルを入れようと試みたりして、外したらまた刺してなんてこと、ミノルさんのラーメンの美味しさを知っていたらできないかもしれない。百歩譲ってそれはできたとして、心臓付近に太い針を刺したりなんて、ミノルさんの心の温かさを知っていたら、とてもじゃないけれど、手が震えてできません。少なくとも私は。
だから、救急科に心肺停止で運ばれてくるタナカミノルさんにはストーリーがない方がいいのでしょう。134340番と呼べるぐらいがきっとちょうどいい。
まだ僕は君を巡っていて変わっていないのに
愛に名前がないとしたら
全てが変わるのだろうか
でも、そうやって、生身の人間が生きてきた物語に思いを馳せないように想像力に蓋をするときというのは、作業がルーチン化するのも事実で。途中で、あーもうこれは無理なんじゃないか、なんていう気持ちがよぎることはあるし、そんなことを思うなんて百年早いと思うけれど、そういう時は、こんなことまで話してしまっていいのかわかりませんが、上級医は下級医に手技を譲ったりするのです。このケースは、いずれにしたって手遅れだから、ここで経験を積ませていただいて、次の救命に繋げようということです。若い医者だってどこかで経験を積まなければならないから。
でもミノルさんのご長男だったら、そんな場面でも上級医に全部やってほしいですよね。世界で一番腕の良い医者にかかっても無理だった、その事実が証明されることが重要なわけで、研修医なんかには一ミリたりとも父の身体に触れてほしくない、そう思うのが正直なところではないでしょうか。
現実には、本当に人間ができた方々がいらっしゃって、ぜひ役立ててくださいと言って下さる方々が思いの外、多くいらっしゃいますが、私だったら親の身体に起こる侵襲のすべてが気になってしまいます。何なら、納得できないのは私だけで、母も父も侵襲的な救命など、そもそもきっと望んでいないのだけれど。
死ぬまで浴びせられるのか
君の蒸し暑い視線を
家族包みで付き合いがあった父の親友Jは心臓突然死でした（Friendsの記事に登場したあの人です）。亡くなった事実を聞いた時にはそれを消化するので精一杯でしたが、しばらくすると、私は、ストレッチャーに乗せられた意識不明の彼が救急科に運びこまれ、何人もの医療者に囲まれる姿を想像していました。どんな最期だったか詳細を聞かなかったので、余計に自分が何度も見てきた光景がフラッシュバックして、活気を帯びた、でもどこか無機質な医療者のルーチンワークを思い浮かべてしまいました。
ルーチンワークが悪いはわけではないんです。むしろ、ルーチン化すべきなのです。救命措置など、ルーチンにできていなければ、1秒を争うことなんてできないし、何度も言うようですが、Jには彼を愛する人間が何人もいて、その中には、遠く離れた場所に住む30年来の親友もいて、Jの死に胸をえぐられて何年も立ち直れなくなるなんてことを知っていたら、逆に、思いっきり身体に侵襲を加えてまで救うなんて無理だと思います。今だって、自分の手のひらの下でJの肋骨が折れる感覚を思うだけで、涙が出てしまうぐらいだから。
それでも、次に心肺停止に出くわしたら。次に誰かの胸に両手を添えて全体重をかけて押すことになったら、私はJと父のことを思い出すと思います。そして、目の前のタナカミノルさんの物語に出てくる、彼を愛する人たちの顔を思い浮かべて、思わず手が震える感覚と、涙があふれる感覚を忘れない医療をしたいと、そう思ったことをここに記しておきたい思いました。
目の前にいるのは134340番ではなくて、名前のついた命だから。
最後までお付き合いくださってありがとうございました。
PS 心臓マッサージで救える命はたくさんありますが、適切な心臓マッサージでなければ脳に十分な血液を送り込むために必要な循環を保つことができません。数分もしないうちに脳へのダメージは始まります。たくさん書いても忘れてしまうと思うので、この記事の内容で覚えておいていただきたいのはこれだけです。
両手を重ねて手のひらの付け根の硬い部分で、胸骨の下半分（みぞおちの上）を、とにかく全体重をかけて押すこと。
肋骨は割と簡単に折れますが、気にせず続けてください。良い心臓マッサージができている証拠です。救助者が1人しかいない場合は、循環が最優先なので呼吸は無視でいいです。ペースが遅いのは論外ですが、ペースが早すぎると心臓に血液が戻ってこず空打ちになってしまうので、100-120回/分が目安です（アンパンマンのマーチに合わせて）。疲れると質の良い心マが保てなくなるので、できるだけたくさんの人を呼んで交代しながらやってください（交代する時も手は休めずに途切れない心マを！）。もちろんAEDと救急車は一番最初に呼んでください。
