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タリョラもあってすっかり古い話題になりましたが、あのVlog、習いに行くシリーズは先生のキャラクターも見どころでしたよね。ジンの先生は「こうやってやるんだ。こういうやり方もあるけどね。はたまたこんな変則的なやり方も」なんて言いながら教えているうちに気づけば自分でやってしまっているタイプ。ジミンの先生は、危ない手つきも優しく寡黙に見守りながら、基本的には生徒に全部自分でやらせてくれるタイプ。そしてユンギの先生は両者の中間というところでしたね。危ない作業にはどうしても手を添えたい。でも生徒がクジラの目にヤスリをかけている時は自分の話に夢中...(あの場面、「先生、クジラを押さえてあげて!」って思った方いますよね?!)。いずれにしても、それぞれの指導スタイルにぴったりの生徒たちで、そのように演出できるのはやはりメンバーのコミュニケーション能力の高さを示唆しているのか。。。

 

偉そうな指導者評論のようになってしまいましたが、クジラたちにオイルを塗った時の先生の言葉、なんだか素敵でしたね。「木が元の姿に戻っていく」って。乾燥する前の生きている色を取り戻していくって、なんだか生に対するロマンがこもっていますよね。

 

(ちなみにエドとの箸騒動の後、何とか共通の趣味でも見つけようと頑張った結果、音楽は興味がないと一蹴され撃沈、でもこういう工芸だったら感性を共有できるかな、なんて思いながら寝たせいか、音楽もない沈黙の中、木の板にひたすらオイルを塗り込むというシュールなデートに行く夢までみました。しかもいきなり場面が変わってまさかの妊娠!妙にリアルなことに、えっ?なぜ?と目をぱちくりする私に産婦人科の先生が一言、最近そういう症例よく見ますよ、遠距離妊娠。私もケースレポートを書こうと思っていて、と。そんな聖母マリア現象が世界中で多発している模様を夢の中の私はすんなり受け入れていましたが、要するに、日中書いていたケースレポートを上級医が見てくれていないのが気になったり、産婦人科研修のことを思い出したりしていたことがそのまま全て反映されたカオスな夢を見ました。というどうでもいいご報告です。めっちゃ長くなりました汗)

 

で、ユンギがまな板のデザインでクジラを選んだとき、私は皆さん同様あの曲を思い出すと同時に、以前この楽曲をモチーフに書いたまま放っておいた投稿があったことを思い出しました。今読んだら、活動休止の展開を知る前に書いた文章だからか、ちょっとジーンとしたのでシェアします。冬の寒い日に書きました。

 

***

 

The most lonely creature in the world

I'm a whalien

Do you wanna know my story?

I've never told this to anybody

この世界で一番孤独な生き物

僕はクジラ

僕の話を聞きたい?

誰にも話したことのない話

 

今日は、ふと思い出した患者さんについて書きたいと思います。

 

真冬のある日、当直帯に入って間もなく救急車で運び込まれてきた彼女。救急隊の情報では、暖房もついていない部屋で寝ていたところを、訪ねてきた義姉が発見し、呼吸の異変を感じて救急要請したとのことでした。33℃の低体温との触れ込みだった体は確かに冷え切っていて、ストレッチャーからベッドに移しながら声をかけても反応なし。開眼しているものの、焦点が定まらず、70年生きてきたその身体はやせ細ってずいぶん前から寝たきりで衰弱が進んでいたことは明らかでした。研修医が点滴用の血管を探し、頭側にいた私は酸素マスクを口元に当てながら、気管挿管の準備が整っていることを確認しましたが、プラスチックチューブを声帯の向こうにある気管に挿入し、人工呼吸器に繋ぎながら、私は無駄かもしれない、と思っていました。

 

でも彼女は生き延びました。ICUで復温し、数日後にはどうやら意識があることもわかりました。相変わらず気管にはチューブが入ったままなので声は出せませんが、話しかけると明らかにこちらを見ている。イエスノークエスチョンを投げかけると首を振って答えてくれる。さらに数日後には肺炎も改善し、人工呼吸器離脱を試みましたが、もともとの衰弱が激しく、詰まった痰を咳で押し出すだけの体力がない。その場で再挿管になりましたが、こうなると、次の抜管時に同じ展開になる可能性を考慮せざるをえず、永遠にチューブを入れておくわけにもいかないので、3度目の挿管はなしで潔く死を受け入れるか、あるいは、気管切開と言って首に切り込みを入れ、半永久的に呼吸補助を得られるようにするか選ばなければなりません。

 

私は勝手に前者だなと思っていました。家業で忙しいご主人と、自分の家庭のことで精いっぱいの長男。好き嫌いが激しい彼女の1日の食事は、ご主人が出勤前に部屋に届けるミルクパンといちごジャムだけ。部屋にはテレビもなく、一日中ベッドに横たわっている生活。気管切開までして生きる意味がどこにあるのか、そう思っていました。

 

彼女も確かに気管切開は嫌だと首を横に振りましたが、かといって死ぬリスクについて話すと、それについても首を横に振ります。話は平行線をたどり、気管切開後のケアを受けるだけの金銭的な余裕がないと判断した長男が、涙ながらに「母さんごめん、気管切開は無理なんだわ」と説得する展開に。家業を畳めば、生活保護で施設に入所する方法もありましたが、ご主人は火の車を手放す決心がつかず。

 

しかし、医療者と長男の心配をよそに、2回目の抜管後、彼女はまたしても生き延びたのです。そうなると、退院後に同じ展開で救急搬送されることがないように、生活を整えなければなりません。家族のサポートも必要だし、何より彼女自身のやる気が大切でした。偏食を改善し、リハビリに取り組み、家族にサポートを求めるコミュニケーションを彼女自身がしていかなければなりません。そのために医療者も交えて何度も家族会議を開きました。でもご主人の前では彼女は委縮してしまうのか、何も言いません。ベッドで小さい体をさらに小さくして、頷くことさえほとんどしません。もはや彼らの心は韓国とブラジルぐらいに離れてしまっているように見えました。

 

私には不思議でした。これでも生きていたいと思う彼女のことが。理解したいと言葉を重ねましたが、何せほとんど反応がないので、もしかすると私が言葉を重ねるほどに彼女は孤立感を深めてしまうのではないかとも思いました。実際、家族にも医療者にも、どうしたいのと追及され、生きたいのなら努力しなきゃと叱咤激励され、彼女はどんどん声を失っていくようでした。でもそのうち私は当たり前のことに気づいたのです。彼女は、生きていたいというより、ただ、死にたくはないという気持ちなのだろう、と。

 

もしかしたら、彼女との対話をあきらめてしまったご主人が、それでも毎日忘れずに部屋に届けてくれるミルクパンを唯一の楽しみに生きていたかもしれない。たまには窓から差し込む夕日の美しさに心を奪われることもあったかもしれない。数ヶ月に1回でも電話をくれる長男の声を生きがいにしていたかもしれない。あるいは、あの真冬の日に暖房をつけなかったのも、火の車の家業を捨てきれないご主人を彼女なりにまだ応援していたからかもしれない。だから、別に努力してまで生きたいわけじゃないけど、まだ死にたくはない。

 

抜管しさえしたら、それだけで患者さんの声が聞けるようになるわけではないのだと気付きました。家族だったらいつでも聞こえるというわけでもない。声はいつだって聞こうとしなければ聞こえない。

 

この広い海 その真ん中

一匹のクジラがひっそりと寂しそうに話すんだ

どんなに叫んでも届かないって

身に沁みる寂しさ 孤独に口をつぐむ

当然どうってことはない

どうなったってもう気にしない

孤独っていうやつだけが僕のそばにいるとき

完全に独りぼっちになって孤独が鍵を閉めるんだ

 

Whalien 52: Short Story

 

翻ってBTSは、ありとあらゆる手段でお互いに考えや思いを伝えあってきましたよね。カメラに収められたシーンだけでもこれだけあるのだから、フツウの家族の何倍もコミュニケーションをとってきたのでしょう。

 

でも彼らだってもともとは赤の他人、インタビューではたびたび、お互いに違いすぎて苦労したと話しています。そんな彼らがあれだけのチームワークを発揮できているのは、当たり前だけれど、お互いのことを理解しようと努力し、理解してもらおうと努力してきたからなのでしょう。時には喧嘩もしたし、具体的な例は数えきれないほどあるだろうけれど、中でもテテとジンの間で生じた言い合いが印象に残っている方は多いのではないでしょうか。(詳細は間違っているところもあるかもしれないので、映像でご確認ください!Wingsツアー中のできごとだったと思います)

 

楽屋のソファーに座って携帯を握りながら、ジンが走り出すタイミングについて指摘するテテ。ジンは、そんな彼の前を行ったり来たりしながら、俺は精一杯やってると反論します。テテは構わず、今度は立ち上がってジェスチャーも交えながら、さらに具体的な提案を畳み掛けます。でもジンはそれを素直に受け入れられない。コンサート開始数分前、ホソクやジミンが言葉を挟みますが、両者引かず、声のトーンがエスカレートしていきます。

 

ジミンはこの時のことを振り返って、少し失望したと言っていますが、ナムジュンは2人をなだめるように、コンサートが始まるから後で解決しようと声をかけ、それに促されるようにジンが一歩歩み寄ります。「ヒョンが悪かった。真剣に向き合おうとせず、大人げなかった」と。スタッフからも声がかかり、メンバーはとりあえず動き出し、ナムジュンの声が響き渡ります。「コンサートなんだ。しっかりしろ。ファンたちは今日のために何日も並んで待ってくれたんだ。プロらしくない行動はやめよう。」 舞台袖で泣きそうな顔のテテを抱きしめるナムジュン。

 

コンサート後、メンバーは再度集まって何があったのか話し合います。テテとジンだけではなくメンバーみんなで。ジミンは、年上であるジンに対してテテが失礼だったと指摘し、ジンはプライドが傷ついたと話します。「プライドが高すぎるのは何の役にも立たない」と認めながら。ここまで正直になるのはとても難しいことだと思いますが、このジンの言葉を受けてテテは、「今まで一度だってヒョンを馬鹿にしたことはない」と伝える機会を得るのです。

 

メンバーが去った後も2人だけで話し合いは続き、ジンは、自分はメンバーの前では明るいふりをしているけれど、傷つくこともあるし、暗い気持ちになることもあるんだと話します。テテは頷き、涙をぬぐいながら、僕も変わる努力をする、と言葉にするのです。

 

衝突を恐れずに言いたいことを言って、そのたびに絡まった糸をほどいて絆を結いなおしていく作業というのは本当に手間と時間と感情を消費するプロセスだし、伝えたいことを一生懸命に伝えようとすると、思わず涙があふれてくるの、わかりますよね。いっそのこと糸が絡まった部分は無視して、うやむやにして、残りの糸で辻褄合わせでもすればいいんじゃないかと思いがちですが、それではいつまでたっても孤独なクジラのままなのかもしれません。

 

20代前半の自分がジンの立場だったとして、年下の同期が携帯をいじりながらいろいろダメ出ししてきたら、私もプライドを傷つけられただろうと思います。傷ついたことを認めるのなんかさらに癪に障るので平気な振りをして、「なるほどね、アドバイスありがとう」なんて言ってしまっていたかもしれない。日本社会ではそれが大人の対応だなんて言われたりもするけれど、平気な振りをし続けると、そのうち相手に密かに苦手意識を抱くようになって、アンダーグラウンドで一方的に関係を拗らせたりしますよね。(えっ?私だけ?)

 

でも、一緒に働き続ける中で、馬鹿にされているかいないかなんて簡単にわかることで、相手から何らかの愛情を感じるだけで、こちらも気持ちが軟化するものです。テテがことあるごとにジンに愛情表現をするのはそういう趣旨もあるのかなと思ったりもします。

 

いずれにしても7人が初めて出会ったときには、それぞれが別々のヘルツで鳴くクジラだったはず。一人ひとり孤独に感じて口をつぐみそうになることもあったでしょう。でもそこでそうせずに、自分の考えを言葉にして、傷つけあいながらも、あきらめずに、時には手紙を書いてそれを読み上げ、また別の時には歌詞を書いて一緒に歌い上げ、同じダンスを覚え、同じ汗をかき、同じ食卓を囲み、お互いの身体に触れ、そうやってコミュニケーションを重ねてきたことで、少しずつ家族になっていった。同じ水面を見上げながら。

 

これこそが彼らの本当の奇跡なのではないかと思うし、この小さな奇跡の積み重ねなしには、彼らの声が文字通り、地球の裏側まで届くことはなかっただろうと思います。逆に言えば、彼らのように努力すれば、我々だって少しは理解しあえるかもしれないということですよね。

 

世界のどこかでこの曲を聴いた孤独な誰かが、自分の声は必ず届くと信じて生きることができていますように。

 

その壁に閉じ込められて

僕の息が詰まっても

あの水面の上に向かって

Lonely lonely lonely whale

こうやって一人歌を歌うよ

孤島みたいな僕も 明るく輝けるかな

Lonely lonely lonely whale

こうやってもう一度歌ってみる

答えのないこの歌が

明日に届くまで

 

最後までお読みいただきありがとうございました♡

 

PS 奇しくも投稿がテテの出国と被り気味で申し訳ありませんでした。マイペースなブログにお付き合いいただきありがとうございます。今後もマイペースに続きますので、どうか通知とか来ないように設定していただけると私も気が楽です。。。テテと皆様の無事を祈って♡

 

PPS そしてようやくタリョラも見ました。メンバーと会っても「まぁまぁだろうね」なんて言いながらホビとの再会に満面の笑みだったユンギも、最後にすれ違わないように念押しを重ねる根回し少年団も、ARMYとの初々しい感動を大切にしていたテテも、全てが胸キュンでした♡