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前回は拗らせた投稿で皆さんをびっくりさせてしまったかもしれませんが、今回は当たり障りのない、安心してお読みいただける内容だと思います。休暇の知らせとインスタ開設で確実にネクストチャプターに進んでいる彼らですが、このブログはマイペースに続きます。

 

 

オフコン最終日は参加できなかったのですが、ファンカム映像を少しだけ見ました(薄目でね、だめだとはっきり言われてしまったので)。今まであまり好んで見てこなかったファンカム、今回はそれらの映像が放つ臨場感にはっとさせられました。一緒に歌うファンの声や視界を遮るアミボムの光、近づいてきたメンバーに浴びせられるOMG, WTFの歓声。それに応じていろんな表情を見せるメンバー。あぁ、オンコンとは全然違う、と思いました。

 

ものが燃えるには酸素が必要だなんて昔、習ったけれど、ARMYは本当に彼らにとって酸素のようなものなのだなぁと思いました。画面でしか見ない芸能人なんて、ひょっとしたら自分の妄想で、本当はどこにも存在しないんじゃないかなんて思ったりもしていましたが、LAのステージの彼らは、同じ画面越しでも確かに生きている人間でした。

 

それはそうとして、今回キーボードの前に座ったのは、前々回の記事ですっかり言及するのを忘れていたLife Goes Onについて書きたかったからです。Dynamite以降の英語曲の間にさりげなく挟まれた韓国語メインのこの楽曲。

 

BTS】「Life Goes On」がビルボード史上初の英語以外の曲で「HOT100」1位に→韓国の反応「軍隊に行かせるな」 |  ノムノム韓国の反応ブログ

 

ステージを奪われ、生身のファンとの交流がなくなる中で、韓国語を手放し、トレードマークの激しいダンスも息をひそめ、代わりに差し出された外交官パスポートで国連の壇上に登ったりしながら、人種差別に立ち向かうヒーローの称号とチャートの数字に飲み込まれそうになっても、快進撃を続けてきたパンデミック下の彼ら。

 

Love Myselfなんて唱えていたはずなのに、自分たちが何者かわからなくなってしまう不安な気持ちになったりもして、前々回触れたナムジュンのVlogの内容とかぶってしまうけれど、そんな中で、もしかすると唯一、彼らが等身大の自分たちを投影できたかもしれない歌詞。

 

ある日、世界が止まった 予告もなく

春は待つことを知らず お構いなしにやってきた

足跡が消えてしまった街 この場所で倒れている僕

時間はひとりでに過ぎていくんだな ごめんの一言すらなく

 

今日も雨が降りそうだ

ずぶ濡れになっちゃったな

まだ立ち止まらない

あの雨雲よりも早く走っていく

それでどうにかなると思っていたけれど

僕はどうやっても たかが人間

すごく辛いよ

世間がよこした風邪

しかたなく押してみる 埃かぶった「巻き戻し」

オフビートのかみ合わないダンス

冬が来たら吐き出そう もっと温かい息を

 

終わりが見えないよ

出口があるにはあるのかな

足が踏み出せない

少しの間 両目をつむり

ほら 僕の手を握って

あの未来へと逃げ出そう

 

森に響き渡るエコーのように

一日が帰って来るよ

何事もなかったかのように

そう 人生は続いていく

青い空を横切る矢のように

また一日が飛ぶように過ぎていく

枕もとで テーブルの上で

確実に時は過ぎていく

こんな風にね

 

この歌を借りて君に伝えるよ

世界の何もかもが変わっちゃったななんて みんな言うけど

幸いなことに 僕たちの仲は 今でもちっとも変っていない

はじめと終わりの恒例だったあいさつの言葉で

今日と明日をまた一緒につないでみよう

立ち止まりはしても暗闇に隠れないで

光はまた浮かび上がるから

 

僕は覚えている

僕は覚えている

 

ここで彼らが「覚えている」のはもちろん、「それでも人生は続いていく」という事実。どんなに辛くても、かつて置いてきぼりにしていった春はまためぐって来るし、何事もなかったかのように日々は続いていくということを「覚えている」、そういう意味の歌詞ですよね。

 

それでも、リリース当時の境遇を考えると、彼らはこの曲を口ずさむたびに、それ以外にもいろんなことを「覚えている」と意識したに違いないと思うのです。たとえば、ステージに立てなくなって、歌を歌う代わりに国連スピーチを求められたとしても、自分たちは一にも二にも歌手であるということ。あるいは、自分たちが英語で歌った曲が、アジアンヘイトに苦しむ世界中のアジア人を救うことになったとしても、もともとは、ただ自分たちのために歌を歌うことを楽しむ、どこにでもいる韓国人の少年だったということ。はたまた、ビルボードの記録やグラミーにこだわったとしても、本当に大切にしたいのは人間の心だということ。

 

そういったことを、僕らは、僕はまだ覚えている、決して忘れてはいない、と自分に言い聞かせるような思いで歌っていたのではないかと思うのです。

 

「森に響き渡るエコー」という歌詞、これはもしかすると、「誰もいない森で、誰にもその音を聞かれることなく木が倒れたとしたら、果たしてそもそもその音は存在したのか」というあの哲学的命題を示唆しているのではないかと思うのですが、この2年間、いやそれ以前から、彼らには誰にも吐露できない、いろんな葛藤があって、それは7人で共有しているものもあれば、誰にも言わずに一人で抱え込んできたものもあっただろうと思います。

 

人知れず涙を流し、苦しんだこともあったかもしれない。誰にも気づかれなかったそうした感情は、誰もいない森で寿命を終えた木が倒れる音のように、聞かれることのないまま森に響き渡るエコーのように、虚しく行き場を失い、何もなかったかのようにめぐって来る春の温かさのなかで紛れていき、本当に「なかったこと」として世界は回り、人生も続いていきました。

 

でも、ナムジュンはオフコン初日のエンディングメントでこんなことを言っていましたね。

 

・・・今朝、僕はメンバーと一緒にリハーサルのためにスタジアム行きのばすに乗りました。窓の外を見ると、LAの風景、そしてこの美しい街並みが通り過ぎていき、気持ちがとても複雑になりました。

 

僕たちは2年間、Dynamite、LGO、Butter、PTDをリリースしながら感じた怒り、不安、絶望を覚えています。本当に悲しかったんです。落ち込みました。

 

でも、窓の外を見ると何でもないような気がするんです。本当に不思議ですよね。時間が経つのがとても早く感じます。このように皆さんが本当に会場に来てくれるなんて信じられませんでした。こうして実際に顔を合わせ、目を合わせて。僕たちが過去7年間持っていた真実です。それがこの場所にはあります。皆さんへの感謝祭です。みんな幸せにならなければならない日ですよね。皆さんに感謝の気持ちをお伝えしたいです。

 

あのバスで僕はこの瞬間を目に焼き付けておこうと思いました。皆さんは僕たちの存在の証です。(以下略)

 

だからきっと彼は忘れないし、ポストコロナの世界でこの曲を歌うとき、他のメンバーもきっと、それぞれが味わったいろんな思いと、その先に再び見つけた自分の居場所がどんなに温かい場所であったかを思い出すだろうと思います。そして、あの光の海の中で嚙み締めた、たしかに生きているという実感も忘れないだろうと思うのです。

 

翻って、Dynamiteが街に鳴り響いた2020年の年末はらじこ一家にとっても、とても苦しい時期でした。年明けには両親ともに手術を控え、肉親に忍び寄る死の気配に焦りながら私自身は空回りするように自分を見失いそうになっていました。1年経ってそんなことは忘れそうになっていましたが、先日、実家に帰ると洗濯物を畳みながら母がしみじみと「去年の今頃はつらかったね」と独り言のように言ったのです。「それに比べたら今はね」と笑って、「去年は洗濯物を畳むだけでも腹が立って悲しかった。やってることは今年も同じなのにね」と言いました。

 

まさにLGO。過ぎ去った日々の記憶は、時間とともに薄れていくし、手放さないと決めた記憶だって、時とともに変化していく。生きていて変化しない人間なんていないから、過去のできごとの意味だって変化する。でもある種の感情は、窒素で瞬間冷凍させたようにいつまでも海馬に残り、たとえば雨の匂いを嗅いだ時や、透き通るような冬空を見上げた時、好きだった音楽が聞こえた時なんかに、急にその感情が一瞬にして常温に戻って当時みたいに胸を締め付けたりしますよね。

 

洗濯物を畳む母の視線の先のテレビには私が知らない高齢の歌手が映っていて、別にそれは母の好きな歌手でも何でもなく、いつものように突然電話をかけてきた祖母に言われて見始めた歌番組だったのですが、まだまだ衰える様子のない歌唱力を披露するその歌手を見て、私はふと40年後、自分が老人ホームで、テレビに映るBTSの姿に微かに胸をときめかせる場面を想像してしまったのです。2020年の冬のつらい記憶を共有する両親はとっくのとうにいなくなって、私の隣にいるのは、毎日天気の話しかしないようなうっすい関係の、ホームで出会ったスズキさん。でももしかしたらスズキさんもARMYかもしれない。

 

テレビの中の彼らも、さすがにしわが増えて髪も薄くなったりしているだろうけれど、今より少し細くなった声のLGOの響きを頼りに、彼ら自身も、スズキさんも、私も、それぞれが別々にコロナ禍の記憶を思い起こし、もしかすると、テテが言うところの4000万人の通りすがりの人間が世界各国で、年をとった彼らの同じ姿を見て、それぞれのコロナを懐かしむかもしれません。でもその先には、あるいは途中には、今回のLAでのオフコンの記憶があって、視点はそれぞれ違ってもその鮮やかな記憶は共有している。

 

これからも刻まれていく多くの思い出とともに。

 

そんなことを考えたら、これからもARMYでいたいという気持ちが強くなりました。

理屈っぽい興ざめな記事も書いてしまう私ですが、これからも、細く長くよろしくお願いします♡