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コメントのお返事が遅くなってしまったこと、お許しください。皆さんが思っていらっしゃること、いつも興味深く思って読ませていただいています。
あいつらは俺を身の程知らずだって言う
苦労してる俺らの世代
早く追いかけねえと
既得権益層のおかげで俺はヘロヘロよ
身の程知らずって呼びたければ呼べばいい
苦労してる俺らの世代
早く追いかけねえと
全部手にして生まれてきた俺の先生たち
バイトは低賃金 苦労は買うものだから
学校に行けば先生たちがいて
上司たちは権力を振りかざしてきて
マスコミでは毎日「何放世代」って
ルールを変えろって思うけど
既得権益層は今のままを望んでる 現状維持
そんなのはダメだろ BANGBANG
これは正常じゃない
ああ「努力努力」って口癖やめてくれねえかな
ああ虫唾が走るんだよ 俺の手足まで
ああ努力努力 ああ努力努力
ああ無駄ばっかでやる気も起きねえよ
結局大事なのは生まれだな
私はもともと人間が困難を乗り越えていくストーリーが好きです。それも特に、差別に苦しんだり、アイデンティティーに悩んだり、その過程で国境を越えたり、必ずしも実らない恋愛なんかを経て、人間として成長していく先に見たこともない景色が待っているような話がとても好きです。
どこかで聞いたことのあるあらすじですよね。
そう、私がBTSに惹かれたのは必然なんです。しかも、正確に言えば、BTSそのものというより、彼らが生きる物語に恋をしている。もちろん彼らのパフォーマンスは素晴らしいけれど、彼らの物語を知る前、Dynamiteを初めて聴いてこれはグラミー賞に値する曲だと思ったかと言われると、正直そうは思いませんでした。コロナ禍で苦しむ多くの人を救ったなんて言われていますが、個人的には、テレビや街中で流れるこの曲を耳にしても正直まったくピンと来ていませんでした(忙しくてそれどころではなかったというのもありますが)。関心を寄せたのは、「アジア人初のグラミー賞ノミネーション」のニュースがあったから。自分が大好きな話筋が見え隠れするその情報に踊らされただけと言っても過言ではないように思います。(グクテテのことはさらに後になって知りましたが、それもシパさんが描く彼らのストーリーが私が求めるものに合致しただけということだと思います。)
なんでこんな話をするかというと、最近、ない時間の中でいろんな記事を目にしてしまい(このパターンが最悪ですよね、収集する情報や視点に偏りが出て)、自分にとってBTSとは?(グクテテとは?)という疑問に直面しているからです。
個人的に、ここまではまり込んだアーティストは他にいないと思うのですが、しいて挙げればエドシーランの存在を思い出します。彼のことは、それこそ彼がビッグになるずいぶん前から応援していました。でもそれは単に彼の楽曲と、ループペダルを使った奏法に興味をもったからで、彼のWikiページで生い立ちについて読む以上に彼のストーリーを追い求めるようなことはしませんでした。したところで、BTSのようなスリリングな物語に出会うこともなかったと思います。でも、彼のデビュー曲と続いて発表されたいくつかの楽曲を聞いたときから、このアーティストは絶対にいつかグラミーを獲ると思っていました。クラスメイトに彼のCDを貸したりして、ファンを増やす草の根運動のようなことさえしていましたが、当然、私がそんなことをしなくても、数年後には日本でも知らない人はいないほどになり、やはりグラミーを獲りました。
PTDがリリースされたとき、私は詳細を追う時間がなく、制作背景を知らないまま楽曲を聴きました。そしてエドシーランっぽい曲だなと思ってクレジットを見たのです。ジャスティンビーバーのLove Yourselfを初めて聞いたときも同じでした。ワンダイレクションのLittle Thingsもそうでした。要するに、エドシーランの楽曲には、コード進行や韻の踏み方、メロディーへの言葉の乗せ方、リズム、そしてどんな時もセンチメンタリズムを一滴垂らすような言葉選びにその特徴があるのだと思います。
そういったトレードマークのようなものがBTSにあるかと言われると、そもそもソングライターではないのでこんなことを論ずること自体ばかげているのかもしれないけれど、彼らにはそういった類の芸術性?は今のところないと言っていいでしょう。かと言って彼らの芸術性のすべてを否定するつもりはなくて、たとえばピアニストだって楽曲の解釈やその再現に芸術性を発揮するわけだし、それに近いものはそれぞれのメンバーのダンスや歌唱スタイルに、あるにはあると思います。
でも結局のところ、BTSの強みとオリジナリティーは、やはりその絶対的なストーリー性にあって、ナムジュンが言った通り、韓国出身の7人の少年が音楽への愛だけでつながって、その物語に胸を打たれた世界中のARMYの愛と出会い、二人三脚で奇跡を起こしてきたというそこに尽きる気がするのです。彼らがビートルズと比較されたときに感じた違和感はまさにここだろうと思うのです。ビートルズが支持されたのは一にも二にも彼ら自身が作詞作曲する楽曲のせいだったと私自身が理解しているから。
AMAsはファン投票によってBTSの楽曲そのものだけでなく、彼らのここまでのプロセスやらキャラクターやらもひっくるめて評価に反映され、報われる結果になったのだと思います。一方グラミーは、もちろんその時の社会情勢などの背景はあるにしても、純粋に楽曲そのものを評価する賞なのでしょう。お情けは一切なし。そうやって賞の品格を維持してきたのか、だからBTSは今年も主要部門でのノミネートを逃したのかもしれないと思いました(が、私はグラミーの選出基準について何も知りませんし、調べるほどの興味もないので勝手な意見と思っていただければと思います)。でも逆に言えば、お情けなしで2年連続Best Pop Duo/Group Performanceでノミネートされたことは、ものすごいことだと思います。
こんな風に「お情け」などと言ってしまっては不快に思う方もいらっしゃることと思います(すみません汗)。でも客観的にみれば、彼らはARMYという特殊なファンダムの強大な力を利用して、人種差別という「ルール」を変えるだけでなく、まさにフィールドを差し替えてきたのではないかと思うのです。欧米のエンターテインメント界で圧倒的に不利な立場にあるアジア人男性が、既得権益に打ち勝ってアメリカ3代音楽賞で大賞を獲るにはそのぐらいしないと、今までのフィールドでそのまま戦っても勝ち目はなかったかもしれない。そして、もしかすると、BigHit/HYBEは最初からそれをよくわかっていたし、あわよくばその手がグラミーでも通用すると思っていたのかもしれません。
(やっぱ生まれだな) 失望はさせない
(やっぱ生まれだな) 名前に相応しく
(やっぱ生まれだな) 全部搔っさらって
(やっぱ生まれだな) 既得権益層よ
俺は短足 お前は長い脚
あいつら「俺の脚は100万ドルの価値だ」って言ってたよ
俺のは短いのにどうやったら追いつけるって言うんだよ
あいつらは「フィールドが同じなら大丈夫だろ」って
そんなわけねえだろ
俺のせいって お前冗談だろ
公平だなんて どうかしてるよ
これが正義なんて ふざけてる
笑わせんなって 馬鹿にしてんのか
だから「ストーリー」を売り物にするために、SNSをふんだんに利用して、血がにじむような努力を余すところなくアピールして、7人の絆も、多少の匂わせストーリーと共に提供してきたのかもしれません。たまにナムジュンに哲学書とか小説なんかの小道具を持たせて、グクやテテにはゲイアーティストについて言及させたり「特別な」数字を与えたりして、ジンに自己愛を語らせたかと思えば、ユンギには精神疾患について歌を書いてもらって、ジミンにはトランスジェンダーっぽいパフォーマンスを勧めたりしながら、ホソクには異常なまでに完璧を求めるダンス練習を披露してもらう。そのうえでLove Myselfなんていうメッセージと一緒に「僕らは真実しか語りません」なんて言って、心の隙間を埋めたがっている老若男女のARMYに信じるものを与えてきた。ある種のカルト宗教みたいに。
なんて、思いたくはないけれど、そうかもしれない。アジア人初のグラミー大賞にたどり着くためにならそのぐらいのことするかもしれない。努力努力って言ったってそれだけじゃどこにもたどり着けないから。すべてが嘘とは言わないけれど、少しの嘘ぐらいは真実と呼んで、楽曲以上の価値を作りだすことで、戦うフィールドを、自分たちが得意とするものに少しずつ差し替えてきたのかもしれない。そしてその集大成を今迎えようとしている。だから、グクはAMAsのスピーチでNext chapterという言葉を準備していたのか。
虚構の気配に怯えてしまうのは自分自身の問題なのはわかっているけれど、結局は会ったこともない人たちのこと、このぐらいの気持ちでいる方が本来フツウなのかもしれません。すべてをフィクションとして楽しめるようになるための成長過程だと思って、こんな投稿も受け入れていただけたらと思いますが、このブログだって、私自身が彼らを信じているから、あるいは信じようとしているからこそ価値があったはず。それがなくなってしまったら途端に魔法が解けてしまうのもわかっているのだけれど。
(俺らは身の程知らず) 失望はさせない
(俺らは身の程知らず) 名前に相応しく
(俺らは身の程知らず) 共に生きてこうぜ
(俺らは身の程知らず) 身の程知らず
いずれにしても彼らが夢にまで見てきたグラミー賞、今が一番近い可能性もあるし、この勢いのままの受賞を願ってやみません。でも受賞しなかったとしても、ARMYが差別を声高々に主張しなければいいなと思います。ここまで来てそんな言い訳、本人たちもダサいと思っているだろうから。何なら、主要部門を逃した今、もしかすると彼らも事務所も、すでに分岐路に立たされた思いなのかもしれないと思ったりもします。ここからはストーリーに頼らずに、アイデンティティーを売りにするのもフィールドを差し替えるのもやめて、改めて立ち位置を探すのか。あるいはこのストーリーを描き続けるのか。
とりとめもなく考えを吐露してしまいましたが、2年ぶりの観客を前にしたパフォーマンスを見ていて思うのは、ARMYの熱い視線が集まるステージで、彼らが輝けば輝くほど、歓声の中で存在意義を再確認するように生き生きとした表情を見せれば見せるほど、結局はそれだけで十分だということ。いつかテテが言っていたように、身の程知らずに上なんか目指さなくていいから、7人でいつまでも音楽を楽しんで、その一部だけでも我々と共有してくれたら、それだけでいいと思うのです。
彼らの努力と音楽を愛する思いだけは間違いなく真実だから。
最後までお付き合いくださってありがとうございました♡