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いつもマイペースなTMI投稿にお付き合いいただき本当にありがたいと思っています。

 

今回まずお伝えしなければならないのは、多くの性的表現を含む記事だということです。タイトルの時点で不快に思われた方、申し訳ありません。これ以外に何も思いつかなくて・・・。

 

ということで早速ですが、BTSがAMAで共演することになっているメガン・ジー・スタリオンと、司会を務めることになっているカーディーB、2020年にWAPという楽曲でコラボレーションしていますね。この度彼女たちのWikiページを読むまで、恥ずかしながら聞いたこともない曲だったのですが、Wet Ass Pussy(びしょびしょに濡れたアソコ)の頭文字をとったもので、セックス・ポジティブ・フェミニズムの象徴としてずいぶん話題になったようです。

 

Female Sexual Freedom in Cardi B's 'WAP': An Indian Perspective

 

私自身は今の職場に就職するまで、とても幸いなことに、セクハラをはじめとする女性差別・女性蔑視を特に意識させられるような経験がありませんでした。今思い出そうとしても、質の悪い酔っ払いに姉ちゃん呼ばわりされたり、やはり質の悪い酔っ払いに手首を掴まれて求婚されたり、はたまた質の悪い酔っ払いかもわからない奴に電話口で、アソコにバラの花を突っ込んだだのどうだの嬉しそうに相談されたりという経験はありますが、いずれも不快には思っても正直どうでもいい出来事でした。客観的にはセクハラと言われてもしょうがないような外科医の下ネタも気になりませんでしたし、何なら、メスを持った私を見て、ご高齢の患者さんが悪気もなく「女の子の仕事とは思えない」と発言したときも、男性の上級医が「最近は女性の方が優秀ですからね」などと言ってすかさずフォローしてくれて、すごい世の中になったものだと他人事のように感心していました。

 

数えきれないほどの女性が数えきれないほどの夢をあきらめ、耐えられない屈辱に耐え、それでもあきらめずに闘ってくれたことによる恩恵を被りながら、まったくフェミニズムには関心がなく、どちらかと言えば、面倒なコンセプトとさえ思って避けてきたのですが、昨日から今日にかけて少し遠出しなければならなかったことも手伝って、電車の中で少しだけフェミニズムについて学びました。

 

ご存じの方も多い内容かと思いますが、私のような初心者の方もいらっしゃるかもしれないので、とりあえず1960年代から始まった第2波フェミニズム運動において対立する立場にあったセックス・ポジティブ・フェミニズムとアンチポルノ・フェミニズムについて少しだけ。前者は、「女性の自由」の重要な要素として性的自由が認められるべきであるとする考え方で、合意のもとで行われるいかなる性行為も非難されるべきではないとしており、よってポルノや売春行為についても、女性の意思がそこにある限り、おおむねポジティブな解釈をしています。それまで非難されてきたような性行為も認めるこのような姿勢は、おのずとLGBTQへの寛容な態度にもつながり、その辺りのこともあってBTSがButterの共演者としてメガンを選んだのかは分かりませんが、せっかくなので、セックス・ポジティブ・フェミニズムの象徴ともされているWAPの歌詞を一部ご紹介します。

 

Put him on his knees, give him somethin' to believe in

Never lost a fight, but I'm lookin' for a beatin'

In the food chain, I'm the one that eat ya

If he ate my ass, he's a bottom feeder

Big D stands for big demeanor

I could make you bust before I ever meet ya

If it don't hang, then he can't bang

You can't hurt my feelings, but I like pain

If he fuck me and ask "Whose is it?"

When I ride the dick I'ma spell my name

あいつを跪かせて、信じられるものを与えてやるの

わたし負け知らずだけど、たまに叩かれたくなっちゃう

食物連鎖じゃ私があんたを食べるのよ

だってあいつは私のお尻を咥えるピラミッドの底辺

大文字のD(男性器の頭文字)は「でっかい態度」の頭文字

会う前からあんたなんてすぐイカせてやるわ

ぶら下がってないならヤレないでしょ

あんたに傷つけられたりなんかしないけど、痛いのは好き

私とヤッて「誰の穴?」なんて聞いてきたら

乗ってる間に腰で綴ってやるんだから 自分の名前

 

いつものようにしっかり全編訳してご紹介したいのですが、これ以上の内容は私個人のフェミニズム?!に反するので、この程度にしておこうと思います。いつかユンギがAgustDという楽曲で「俺の舌テクノロジーでみんなイキまくる」というようなことを言っていたのを思い出しますが、その上を行くこの歌詞、まさに女性が男性と同じように、あるいはそれ以上にセックスを語るという意味では女性による究極の権利主張と言えるのかもしれません。しかもそれを2人の黒人女性が歌うということには大きな意味があるのは言うまでもありませんね。

 

一方、アンチポルノ・フェミニズムというのは、その名の通りポルノが直接的間接的に女性への暴力の温床になるという考え方ですが、最近盛り返して支持を集めている立場のようなので、これに関しては2021/09/21付のニューヨークタイムズのコラムの一部を引用します。Opinion | Why Sex-Positive Feminism Is Falling Out of Fashion - The New York Times (nytimes.com)

 

"Could it be that pornography doesn't merely depict the subordination of women but actually makes it real?  I asked.  Yes, they said," writes Srinivasan.  She continues, "Does porn bear responsibility for the objectification of women, for the marginalization of women, for sexual violence against women?  Yes, they said, yes to all of it."

「ポルノが、女性を隷属的に扱うことを単に描くだけではなく、それを現実化してしてしまう可能性があるか、と聞いたら彼ら(オックスフォード大学でフェミニズムの講義を受ける学生たち)は、ある、と答えたのです」とスリニバサンは(著書で)書いています。そして彼女はこう続けます。「ポルノは、女性を性的対象として物質化することや、女性を社会的に排除すること、女性への性的暴力の原因になっているかという問いに対しても彼らは、その通りだと言ったのです」

 

...sex positivity now seems to be fading from fashion among younger people, failing to speak to their longings and frustrations just as anti-porn feminism failed to speak to those of an earlier generation.  It's no longer radical, or even necessary, to proclaim that women take pleasure in sex.  If anything, taking pleasure in sex seems, to some, vaguely obligatory.  In a July BuzzFeed News article headlined "These Gen Z Women Think Sex Positivity Is Overrated," one 23 year old woman said, "It feels like we were tricked into exploiting ourselves."

セックス・ポジティビティーというのは今や若者の間で廃れてきているようだ。かつてアンチポルノ・フェミニズムが、一昔前の世代の願望や不満に寄り添うことができず、支持を得られなかったように、セックス・ポジティビティーは今の世代に寄り添えていない。女性もセックスで快感を得られることを主張することなど、もはや過激でないばかりか、そもそも必要のない主張である。逆にそれによって、セックスで快感を得ることを強要されているように感じる女性も中にはいるはずだ。バズフィードニュースの7月の記事では、こう述べる23歳の女性もいた。「搾取されるべく騙されてきた気がする」と。

 

I started noticing a turn away from sex positivity a few years ago, when I wrote about a revival of interest in Dworkin's work.  Since then, there have been growing signs of young women rebelling against culture that prizes erotic license over empathy and responsibility. (A similar reoritentation is happening in other realms; generational battles over free speech are often about whether freedom should take precedence over sensitivity.)

私がセックス・ポジティビティー離れを感じ始めたのは数年前のことで、そのとき私はドゥウォーキン(アンチポルノ・フェミニズム運動の中心人物の一人)の研究が見直されていることについて書いた。それ以来、思いやりや責任感より性的自由を優先させる文化に対する、若い女性たちの反発は、どんどん広がってきている。(このように既存のアプローチを考え直す動きはこの分野に限ったことではなく、たとえば、言論の自由に関しても、それが思いやりやデリカシーを無視してもなお優先されるべきものかが最近では議論されている。)

 

Post #MeToo, feminists have expanded the types of sex that are considered coercive to include not just assault, but situations in which there are significant power differentials.  Others are using new terms for what seem like old proclivities.  The word "demisexual" refers to those attracted only to people with whom they share an emotional connection.  Before the sexual revolution, of course, many people thought that most women were like this.  Now an aversion to casual sex has become a bona fide sexual orientation.

#MeToo運動のあと、フェミニストは、強制的セックスとして考慮されるべきセックスの分類を、強姦だけでなく、上下関係など大きな権力差がある場合も含めるように範囲を拡大してきた。そしてまた一方では、かつてメジャーだった性解釈が、新しい呼び名のもとで見直され始めている。たとえば「デミセクシュアル」という言葉は、精神的なつながりがなければ性的魅力を感じられない人のことを意味する新しい言葉だが、セックス革命の前は、多くの女性がこのような傾向をもつ存在として認識されていた。それが今や、セフレや一夜限りの関係に嫌悪感を示す傾向の方が、新しい特殊な性解釈として認知されるまでになっているのだ。

 

Feminism is supposed to ease some of the dissonance between what women want and what they feel they're supposed to want.  Sex-positive feminism was able to do that for women who felt hemmed in by sexual taboos and pressured to deny their own turn-ons.  But today it seems less relevant to women who feel brutalized by the expectation that they'll be open to anything.

フェミニズムというのは本来、女性が「本当に求めていること」と、「求めるべきだと感じさせられていること」との不一致を少しでも緩和するためのものであるはずだ。セックス・ポジティブ・フェミニズムは、自らの性癖を否定するように抑圧され、性的タブーによって疎外感を感じていた女性にとってはそのような役割を果たすことができた。しかし今日では、性的奔放さを期待されることに残虐性を感じる女性にとって、セックス・ポジティブ・フェミニズムは遠い存在となってしまった。

 

直訳というより意訳気味になってしまいましたが、私自身はアンチポルノ・フェミニズムの立場に近いと思います。「合意のもとで行われる限りいかなる性行為も認める」というセックス・ポジティブ・フェミニズムは一見、かっこいいけれど、多くの危険をはらんでいるように思うからです。「合意」という概念の曖昧さは人によるかもしれないけれど、少なくとも私はそれを幾度となく経験しているように思います。もちろんここで自分の性体験まで赤裸々に語るつもりはありませんが、たとえば、今年になって初めて経験した「セクハラ」、白人男性上司から受けたそれの始まりは私の「合意」に基づく会話・態度だったように思うのです。何とも思っていなかったやり取りが、徐々にエスカレートして、気づいたら不快感を伴うものになっていて、ラブレターなんかもらった暁には、これを誰かに話して助けを求めたことを知られたら裏切ったなんて思われて報復されるのではないかという恐怖まで抱くようになりました。でもどこが始まりだったかはわからない。どこで「合意」すべきじゃなかったのか、振り返ってもわからない。

 

中東出身の上司のアドバイスは「しっかり線引きをすること」でした。100%の合意ができない限り、その場でしっかりNOと言える強さを持ちなさいと諭されているように感じましたが、高校生のときに米国に移り住んだ彼女はそうやって自分の身を守ってきたのだと思います。一方、米国出身の白人上司の意見は「下級医の身分で線引きをしないといけない状況に追い込まれること自体がおかしい。上級医に全面的責任がある」というものでした。米国社会でまだまだ強者の立場にある白人として生きてきた彼女らしい正統派理論だと思いました。ハワイ在住の日系アメリカ人の友人は日本で働いていたときに受けたセクハラの経験について初めて話してくれた上で、やはり自分の「合意」のせいでここまで来てしまったのではないか、相手にはその「つもり」はなかったはずなのに、と葛藤したことを話してくれました。

 

このような、”ここまでは「同意」していたかもしれないけれど、ここからは「同意」していなかった”という認知のズレ、その先に、ポルノ(のすべてではないにしても強制的に撮影される一部のシーン)やレイプや売春目的の人身売買があるかもしれないことは誰にも否定できないと思います。それでも、現同僚のかつての同僚で、医師として働きながらAV女優をしている女性医師の存在を知ったとき、完全なる自由意思に基づく選択であるなら、少なくとも彼女にとっては尊厳を損なわれる理由はないのかもしれないと思いました。

 

翻って、カーディーBは貧困とDVから逃れるためにストリッパーとして働いていた時期があったと英Wikiに記載があります。そしてその時期のことを彼女は「ポジティブ」だったと話しているようです。「(ストリッパーとしての仕事は)いろんなものから救ってくれた。大学に戻ることもできた」と。ストリッピングを踏み台に自分の足で立ち上がった彼女の過去を否定するつもりは微塵もありません。ただ思うのは、性産業の需要がなくて、ストリッパーとしての仕事が存在しなければ、彼女はどうなっていただろう、ということです。別の仕事では収入が足りず、立ち上がれなかったかもしれない。それはそれで死ぬような思いをしたかもしれない。でも、貧困のためにやむを得ず「同意」したストリッピング、それがきっかけで「同意」することになった多くの行為ひいては考え方がたくさんあって、その生き方を正当化したい気持ちもあいまって書かれた曲がWAPだとしたら。彼女の「合意」が搾取と紙一重に思えるのは私だけでしょうか。

 

彼女は2019年にBTSと楽屋で対面した時、彼らに向かって「英語ができるか」と聞く夫Offsetの発言を制し、「BTSが英語なんかしゃべる必要ないし、英語ができないという指摘を気にする必要はまったくない。私たちが韓国語を勉強しないといけないのに」とBTSに声をかけたようですね。このエピソードを知って彼女に関心を抱き、知ることになったフェミニズム運動の一部と彼女自身の過去について書きましたが、痛みと苦労を知る彼女ゆえの優しさは私なんかが想像できるよりずっと深いものだろうと思うし、その人格の根底になったかもしれない経験を私が搾取呼ばわりするのは、結局のところお門違いなのかもしれません。考え方は違っても、同じ女性としてとても大切なことを考えるきっかけを与えてくれたことに感謝したいと思います。

 

長文にお付き合いいただきありがとうございました!