お立ち寄りいただきありがとうございます♡
数日前に書いてお蔵入りになっていたはずの記事が間違って公開になってしまったので、これも投稿してしまいます。
最近は何かと野暮な記事を立て続けに書いていましたが、その後、無事にめでたく潔くバンタン教に入信した?ことをご報告いたします。とは言ってもこれは盲目的にBTSを信じるということではなく、自分の精神状態を反映する存在としてBTSを遠慮なく利用させてもらっているということです。
宗教というのは本来、辛いときに拠り所にしたり、自分のことを信じられない時に自分より大きい存在を代わりに信じることで心の平穏を維持できるように、常日頃から信じる訓練をしておくものなのかなと漠然と思っていましたが、意外と逆で、自信がない時ほど信仰心も揺らぐものなのかな、という思いに至りました。以前いただいたコメントにお返事を書いているときに思ったのですが、私にとってBTSは自分の心の鏡のようなものなのだと思います。
だから揺らいでいるときは、初心に帰って、Love Myselfのライブ映像を見たりして、女子高生と一緒にバンタンの尊い教えを口ずさんでみる。うーん。何ともいろいろ重症な兆候を感じますが、それで平常心が戻ってくるなら安いですよね。
今まで小難しい講釈を垂れるたびに、らじこはARMYにはなれないね、と母からも友人からも言われ続けてきましたが、これでもう私も正真正銘の?ARMYです。(グッズとかは買わないけどそれは許してもらえますかね汗 グクテテに関しては、ここまで来るともう、壮大なカモフラージュなのではないかと思っていますが、素直にだまされて記事を書くのも楽しいのでそういうことにしておきます。)
ということで今日はDis-easeについて。。。
「病気なのは世界なのか自分なのか」と問う詞が印象的なこの楽曲、いつも参考にしているGenius English Translationsでは、大量消費主義とそれに伴う過重労働による精神の破綻を示唆していると解説されており、ふーん、なるほど・・・と思うような思わないような。コロナの真っただ中で制作された背景を鑑みると、隔離に伴う精神的変化を歌った側面もあったのかなと思いますが、楽曲のほとんどを制作したホソクは、Disease(病気)をdis-easeと表記して「ease=快適さ」を「dis=なくすもの」としての意味合いを強調しています。
実際に歌詞を見ると、精神的な病だけではなく、身体的な病にも通ずる部分もたくさんあり、それらを自分の一部と認めて「自分らしさ」を語っているのが興味深いと思いました。(最近ずっとアイデンティティーについてばかり語って、皆さんもそろそろ飽きてきただろうとは思うのですが… バンタン/BTSとアイデンティティーの問題って切り離せないから何度も登場してしまいます)
足を引きずって人生の歩みを進めてる
1に笑顔のため 2にステージのため
至って平気そうに
毎日自分を励ますんだ
誰もが同じ人間だから
ことさら特別なんてことはない
1歩2歩と進み続ける
落ち着いて全部治療してしまおう
僕の病気
恐れを捨てて
思い出すのは、学生時代に見学した病院に訪れた30代前半の女性。彼女は、15歳のときにとある難病と診断され、治療を開始されましたが、その後、投薬を自己中断したまま特に症状増悪も自覚しなかったため様子を見ていたとのことでした。そうこうしているうちに20代になり、妊娠し、子供が生まれ、ひと段落ついたので、今後の治療につき相談に来たという事情でした。
しかし、担当医は彼女のカルテを見ながら首をかしげていました。病歴がどうも診断と一致しない印象だったからです。診断の根拠となった当時の診療情報は手に入らず、担当医がオーダーした画像でも異常所見は何もありません。気になる症状もなく、誰がどう見ても15年前の診断を覆せる状況でした。
担当医は彼女の前で一緒に画像を振り返ったあと、かつての診断を否定せざるを得ない旨を説明しました。すると、良い知らせのはずなのに彼女は少し困った表情を浮かべ、こう言ったのです。
「それは・・・どう理解すればいいんでしょう。この病気は私のアイデンティティーというか、私を形作ってきたようなものなので・・・」
治療を継続していなかったにせよ、人生の半分以上をこの診断と共に生きてきた彼女。もしかすると、この病気のために諦めたこともあったかもしれないし、死の恐怖で眠れない夜や、子供の将来を案じて悲しみに暮れた日もあったかもしれません。その経験のすべてが無になってしまうような感覚に陥ったのでしょう。そんな彼女の目を見つめ、担当医は優しく声をかけました。
「あなたがいろんな困難を乗り越えてきたその事実が消えてしまうわけではないと思います。それは診断一つで変わったりなんかしないし、それに、この病気以外にあなたを形作るものは今までもたくさんあったはずです」
そして一言、「この診断が一つ意味することがあるとすれば、それは、あなたがお子さんともっと長い時間を一緒に過ごせることになったということです」と付け加えたのです。
私は患者さんの斜め後ろに座っていたのですが、彼女の肩が静かに震えていたのを今でも覚えています。
病気というのは不思議なもので、たとえば、フツウは日がな一日お尻の穴のことを考えて生活している人はいないと思いますし、その存在すら意識せずに生きていることがほとんどだと思いますが、痛みを伴う痔ができた途端、お尻の穴が世界の中心になります。愛情不足だった穴のためにドーナツ型のクッションを準備したり、座っている時間を調節したり、何より、思考の大半を穴に割かなければならなくなるので、音楽を楽しんだり、夕日の美しさに胸を打たれたり、あるいは世界の裏側で起きている不幸に思いをはせたりする余裕はなくなります。病気はその意味で人間を人間たらしめるいろんな感情や、その人らしさを奪ってしまうのです。
一方では、同じ病気でも人によってとらえ方も、乗り越え方も違うので、病気へのアプローチがその人らしさを反映したり、アイデンティティーになったりするのだと思います。この患者さんもまさに、15歳で診断されたときからことあるごとにその診断を自分の一部として受け入れ、「それに負けない自分」として生きてきた、その道のりを思って涙がこぼれたのでしょう。
もううんざりしている
でも台無しにしたくないんだ
人生は続いていくから
火の中でさえ
進んでいく もっと自分らしく
歩いていく
夜になればこの両目をつむって
歩いていく
自分をもう一度信じて
でも考えてみれば、自分の一部を失うようなショックというのは意外といろんな場面で遭遇しますよね。最愛の人に裏切られたり、長年の友人との間に埋めようのない溝ができてしまったり、あるいは急に解雇されて誇りにしていた仕事を失ったり。自分の一部を失うとまでは言わなくても、たとえば、いわゆる推しの大きな変化に気づいたときとか、BTSがいつか解散したときにきっと感じる喪失感とかも同じ類の感情かもしれません。
でも、7人が解散したからと言って彼らがくれた感動の瞬間が消えてしまうわけではないし、結果的に最愛の人に裏切られても、かつて愛し合ったその事実がなくなるわけではありません。それらの瞬間は確かに存在したのであり、「千と千尋の神隠し」のラストで千尋の髪に残った紫色のヘアゴムのように、「夢のあとの世界」にも残る何かがあるはずなのです。
だから、きっと、夢が終わってしまったことを悔いたり嘆いたり、失った自分の一部を惜しんだりする必要はなくて、自分が少しでも頑張ったと思える瞬間、愛おしいと思えた瞬間が存在したことに感謝すればいいのだと思うのです。
さあもう一度起き上がるんだ
また朝だ、今日は自分として生きなきゃ
もう一晩いってみよう
行く果てに何があるかわからない
永遠に続く夜はない
僕は強くなった
火花がはじける
消えていくもんか
「僕は不運だったけど、不幸ではない」と別の患者さんが語ってくれましたが、彼は上記の患者さんとは正反対の運命をたどりました。何度となく診断が覆されることを夢みたであろう彼は、自分の一部と思っていた未来を失い、でも未来というのは本当は誰のものでもなく、我々だって与えられているのは今この瞬間だけであり、それが最終的に砂浜に描かれた絵のように波にかき消されてしまったとしても、今感じた幸せは今という時間から永遠に奪われることはないと教えてくれました。そんな彼のベッドサイドにあった詩を最後にご紹介します。
I asked God for strength, that I might achieve,
I was made weak, that I might learn humbly to obey
わたしは成功のために 強さを与えてくれるよう神に願ったけれど
わたしは弱さを授かった 謙虚に従うことを学ぶために
I asked for health, that I might do greater things,
I was given infirmity, that I might do better things
偉大なことを成し遂げるために 健康を与えてくれるよう願ったけれど
弱い身体を授かった より良いことを成すために
I asked for riches, that I might be happy,
I was given poverty, that I might be wise....
幸せになれるようにと富を求めたけれど
貧しさを授かった 聡明になれるように
I asked for power, that I might have the praise of men,
I was given weakness, that I might feel the need of God
賞賛を浴びたいと思い権力を求めたけれど
やはり弱さを授かった 神を必要とする気持ちが理解できるように
I asked for all things, that I might enjoy life,
I was given life, that I might enjoy all things
人生を謳歌できるようにすべてを与えてほしいと願ったけれど
与えられたのは人生そのもの すべてを謳歌できるように
I got nothing that I asked for but everything that I had hoped for,
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men most richly blessed
自分が求めたものは何一つ与えられなかったけれど 願ったことはすべて叶った
思いもよらないことに 言葉にならない私の祈りは実を結んだ
わたしはどんな人間よりも神に愛されている
最後まで読んでいただきありがとうございます♡