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ここ最近はコンサートが決まったりする一方で、ざわざわするような話も多かったと思います。

 

そこで、今回は「怒り」という感情についてラップラインの怒りが込められたUGH!の考察をご紹介します。

参考:BTS - 욱 UGH! Explained by a Korean - YouTube

욱(UGH!)-BTS 歌詞 和訳 | BTSと韓国語を覚えたい!〜バンタンのお話を聞きに行こう〜♪ - 歌詞 和訳 -

 

パチパチとまたしても燃え上がる火花

油に達する前にすでに飲み込まれて

間違いなくもってかれる

本日の選手のご入場 いくつかのネタを抱えて

噛みつき始めたら ドンドンドン

格好の標的だ ドンドンドン

ツンツンと意味もなく俺を触る ツンツン

反応がなければ ぶっ刺して沈めるだけ ブスブス

真実が嘘になり 嘘が真実になる

ここでは誰もが完璧な道徳者

完璧な評価を下して 笑わせるよな

 

怒り?そりゃ必要だよ

燃え上がるときには必ず理由がある

もしかすると それが俺たちの歴史

世界を変えることだってある

でもこれは怒りなんかじゃない 排泄だ

 (怒り=憤怒(プンノ)と排泄=糞尿(プンニョ)で韻を踏ませています)

何が怒りか わかってんのか

怒りのふりして殺す 真の怒り

うんざりなんだよ 数えきれないほどの犠牲

お前が殺してるのは俺だけじゃない

俺らはクソの上を歩くのには慣れてる

何も感じなくなっちまった奴らを見ろよ

糞尿と無関心は仲良しクラブだな

 

ナムジュンのこの一節で個人的に思い出したのは、今からちょうど10年前に出版された「Indignez vous!(怒れ!憤れ!)」という著書です。94歳の著者が、仏レジスタンス運動と強制収容を生き抜いた経験について記した30ページほどの冊子ですが、無関心こそがもっとも非難されるべき態度であると説き、若者に憤怒の対象を見つけるよう呼びかけ、非暴力による資本主義への抵抗を唱える内容になっているようです(Wiki)。レジスタンス運動に限らず、キング牧師、ガンジー、マンデラ、アウンサンスーチー、その他大勢のリーダーや、名もなき活動家の運動の根底には確かに怒りという感情があったはずで、マグマなしの地球が存在しないように、我々の歴史は怒りというエネルギーなくしては存在しないのかもしれません。BTSだって、アンチへの怒りを糧に成長した部分もあるでしょう。

 

しかし匿名での発言が日常茶飯事になった今、文脈や自分の知識を確認する前に、あるいはほとんど思考もせずに発言してしまうことは誰にでもあることかもしれません。その発言が知らぬ間に誰かを傷つけ、その軽率な「怒り」が日常的に乱用され、「糞尿のように」無駄にされることで、我々が怒りという感情に対して無頓着になってしまっていることをナムジュンは指摘しています。そしてこの言葉を引き継ぐように、ホソクは、「本当の怒り」がこの糞尿に埋もれてしまい、日の目を浴びない現状について嘆いています。


俺はカッとなる UGH! UGH!

俺は悪意に満ちた怒りに憤怒する

俺はカッとなる UGH! UGH!

死ぬ羽目になった怒りのために憤怒する

 

そうやってカッとしてろよ UGH! UGH!

すべてが灰になるまで UGH! UGH!

そうやってカッとしてろよ UGH! UGH!

壊れるまで UGH! UGH!

この世界は怒りで支配されている

誰も怒りなしでは生きていけないようだな

怒って また怒って さらに怒る

怒り狂って UGH! UGH! UGH! UGH!

怒る理由はいくらだってある

善意も悪意も一緒くた

俺だって怒るが 他の人間の害になるなら

俺は嫌だね

やめとけって

誰かが誰かの行為で傷つき

誰かが誰かの発言と振る舞いでどんよりする

誰かに魔が差して誰かの一瞬を奪う

誰かの怒りが誰かの人生を奪う

クソ、ペッ

 

「人生を奪う」というのは言うまでもなく、今まで韓国エンターテインメント界で繰り返し失われてきた若い命のことを指しているわけですが、これは韓国やネット社会に限ったことではなく、我々の身近にあるいじめや差別によって奪われる命や、これまで幾度となく戦争で奪われてきた命をはじめ、我々が気づきもしない間に隣で、あるいは世界の裏側で摘み取られていく生命のことを歌っているように感じられますね。

 

少し批判されたからって何ほざいてるんだよって?

大金稼いでるくせにいちいち愚痴るなって?

まあこのぐらいは耐えないとな エッヘン

エッヘン エッヘン

お前らみんな エッヘン エッヘン

俺ならな すべて耐えてやるよって?

お前らみんな エッヘン エッヘン

俺ならな エッヘン エッヘン

 

このエッヘン、最初は軽率な怒りをまき散らすネチズンの偉そうな咳払いを意味していますが、最後は、そうしたネチズンに向けてBTSが「いいかげんにしろよ、エッヘン」と返しているようにも聞こえますね。彼らはもはや「糞尿」のことは気にしていないのでしょう。

 

It's bigger than the haters.  It's a declaration about the emotion anger itself and a lament about the modern-day socio-contextual usage or waste of anger.

問題はアンチではないのです。これは怒りという感情自体についての彼らの声明であり、現代の社会的文脈における怒りの使用、あるいは無駄遣いを嘆いた曲なのです。

 

私自身、ささいなことでプンプンしがちなので耳が痛いですが、どの曲についてもARMYのことを思って書いたと発言してくれる彼ら。この曲も例外ではないかもしれませんね。

 

追記:

私はSNSをフォローしないので(それなのにブログなんか書いてすみません汗)いろんなことを風の噂で聞いていただけだったのですが、昨日この記事を投稿をしてから何人かの方のブログを読ませていただいて、今ざわついている多くのこと、少なくともアカウント閉鎖の件は「怒り」より「落胆」によるところが大きいのかなという印象を抱きました。最初からバンタンと全力疾走してきた人たちにとっては、最近は伴走者が増えて、みんな違う方向を向いていたり、お互いの肩がぶつかって少しギスギスしたりするようなこともあって、バンタンの走り方が「BTSの走り方」に変化してしまったことへの違和感はずっと抱えていたはずで、それでも一緒に頑張って走ってきて、ここに来てついに疲れてしまったのかなと思いました。だから多少は落胆に伴う怒りもあるかもしれないけれど、怒りというよりは淋しさなのかなと。むしろ火が吹き消されてしまった状態なのだろうと。

今やいろんな国籍が混ざり合う人種のるつぼとなったARMY、今まで言動を再考すべきかもしれないと思わされることもあったけれど、それぞれが伴走者としていろんな感情を持つのは当然のことで、もちろんそれがUGH!でいうところの「本当の怒り」として実際にムーブメントを起こした場面もありましたね(私はそういう話が好きなので今後そういうARMYの力に言及した記事にも触れられたらと思います)。

いずれにしても、今BTSの周りで起きていることに関してBTS自身が抱いている感情も、もちろん怒りではなく、落胆や不安に近いかもしれないですね。

すでにコメントをくださった方々、ありがとうございます!また改めてゆっくり丁寧にお返事させていただきたいと思います。

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました!