日本アカデミー賞でしたね(3月7日現在)。

実は賞に疎く、「映画が賞とったところでなんなんだ、結局個人の中で観賞すべきもんだろ。映画って」とめちゃくちゃ"ハスった"態度をとっています。とても恥ずかしいですね。(まだ映画に夢を見てるので......というかハタチすぎると人間は夢見がちになりますよ多分。これまでの知識不足&経験不足からくる「夢」じゃなく、逃避と期待とを込めて夢見がちになります)


とはいえ映画の最新情報をtwitterなどの二次的な発信源に頼っている情けない身としては、

ノミネートされた作品とそれらに対する反応

で、最近の(正確には昨年の)オモシロソーな作品や気になっていた作品をチェックする良い機会なわけです。

いそいそとtwitterとかを眺めているうちに、『カツベン!』をとても面白く観たのを思い出しまして。(以上言い訳)
今回はかなり雑です。(記憶が新鮮ではないため)

(周防正行監督作品 2019年)

あらすじ)
時は大正、活動写真(無声映画)に声を当てる活動弁士に憧れる少年と俳優に憧れる少女。成長しても思い描いた姿にはなれず。再会を機に再び夢に向き合う事になる......

えらいざっくりしてますが、大きくは間違ってないはずです。ざっくり。

ここからは一部の内容に触れていきますので、未見の方はご注意を。早い話がネタバレになります。





思考を放棄すると、初期映画に対する憧れと活動弁士への愛に溢れた作品かな〜という感じ。
神田松之丞(現 6代目伯山)の講談ブームもあり、弁士のイメージはつかみやすかったかも。『悪魔の手毬唄』のイメージもある......
音尾琢真さん演じるチンピラが大変好みでした。全然関係ないけど、スピッツ『優しいあの子』の宣伝に出てた音尾さんメッチャ好き。

初主演だという成田凌さんも、引きの悪い男(悪いと思ってながら悪事に加担する主人公)っぽくてめちゃ良ろしでした。シャツのボタン一番上まで閉めてるヤツ。そしてそれが似合うタイプの。
相手役の黒島結菜さんも(時代にしては*)活発な役が良かったです。
(*読み直したら余りにも雑かったので言い訳しますが、大正時代という「昔」のヒロインとして「現代」の私が抱くテンプレートの描き方よりも活発という事です。「大正ったら昔だろ?そりゃ男を立ててさ、三歩下がって......」みたいな雑なキャラクターじゃなかったという意味合い。ハイカラさんだって大正時代が舞台なんだぜ)
その他、実力派の俳優陣が繰り広げる(無声映画〜戦後映画が香るような)コメディ&ドラマ、馴染みがなく新鮮な「活動写真」の様子なども魅力です。


しかしこの映画の見所はやっぱり、フィルムを切って繋げた即席映画でしょう。

かけ終わった映画を繰り返し見たり、気に入った部分を切っておいたり......『ニューシネマパラダイス』であり、『今夜、ロマンス劇場で』や『ザ・マジックアワー』なんかも思わせます。

ともすればノスタルジックに過ぎてしまいそうな、その要素を切って繋いで(モンタージュし)一本の映画を作るところは映像言語を感じてえろうよござんした。

残念だったのが実際のその映画はほとんど観ることができず、成田凌さんの顔が頻繁に映るところ。

意味ないじゃん......

いくら活動弁士に焦点を合わせた映画だとしても、弁士の人気で映画館の入りが左右されていたとしても、上映中に弁士の顔ばかり見ている観客というのは当時一般的だったのでしょうか?暗い中で?それこそ講談や落語とかがあるのに?

劇中の山岡秋声(永瀬正敏)ではないですが、映画の力を信じて欲しかったというかなんというか......

私は染谷俊太郎(成田凌)が、周防監督が作ったモンタージュが全部観たかったんじゃぁ。ゴダールの『イメージの本』みたいな......

まあ「白黒映画+成田凌の声のみ」という「当時の観客と同じ状態」に観客が耐えうるかどうか(面白いのかどうか)というのもありますし、

モンタージュに使われた映画は実際のものではなく周防監督が撮り直したものであり、架空の映画も二本(しかもかなり主要な部分を担う二本)入っているという点でも成田凌鑑賞タイムに尺が与えられるのはわかるのですが......


それでもそれでも、

異なる国で創られた(風の)映画や異なる人物が出演する映画がモンタージュとして、
そして「1人の声で語られる事によって」1組のカップルの物語を紡ぐ
という映画体験はきっと幸福だったに違いないのです。











『イメージの本』予告編



黒島結菜さん、日本アカデミー新人俳優賞おめでとうございます。