大学の空手道部の先輩が、チェンマイに来てくれる、と連絡があった。
これで、7月、8月、9月、10月、11月と毎月、日本🇯🇵から知り合いが、チェンマイに来てくれる。
大学の先輩は、高校で空手を指導されていて、先輩の友人と共に来てくれる。
先輩の友人も高校で空手を指導されている方なんだけど、最初に名前を聞いた時にもしや、と思った。
今から20年以上前に、公立学校で、剣道、柔道以外に空手が体育の武道学習として取り入れられると言うので、大阪府教育委員会が、指導者研修として、先生対象に週1回、3ヵ月くらいだったと思うが研修をしてくれた。
当時、自分は中学校の教師で、担当は社会科、クラブはサッカー部。
又、当時は、伝統空手は大学でコーチはしていたが、自分自身は、マスク付きのフルコンタクトルールの試合に出ていた。
又、タイ🇹🇭にも、夏休み、冬休み、春休みを利用して修行に出ていた。
全く伝統空手とは違う方向に行っていた自分であったが、実は、中学校で空手道部を作ってやろうと企んでいた。
研修では、伝統空手とは異なるスタイルになっていた自分であったが、講師の先生ならびに参加されていた先生方は心優しく迎えてくれた。
研修の講師は、立命館大学で監督をされていた小山正辰先生。先生は、伝統空手の形の世界チャンピオンであった。
伝統空手の基本を正直舐めていた自分であったが、先生の突きを受けてみて、これは、舐めたらアカン、基本の運動原理は理にかなっている、と認識させてもらった。
その研修では、小山先生と伝統空手のルールでの組手稽古をしたのを覚えている。
自分が、突きからの攻防でクリンチ状態になった時に、咄嗟に掴んでからの膝蹴りに行った。一発目は、強くではなく軽くヒットしたのだが、二発目に行く前に、先生が金的を掴みに来た。
そんな攻撃が来るとも思わなかったので、自分は先生の掴みに来た手首を抑えながら膝に行こうとしたのを覚えている。多分、その後は止められた。
先生との組手稽古は、何度かしたような氣がする。研修というより自分の稽古になっていた。
その研修に参加されていた方が、チェンマイに来てくれる。
あの研修は、自分にとって、忘れられない研修の一つだった。
研修に参加された先生は、他に何人かおられたが、チェンマイに来てくれる先生は、柔軟な思考の先生だったので、覚えていた。
凄い不思議な縁。
先輩やその先生には、今、一緒に練習している仲間達の動きを見てもらいたいし、又、自分の住んでいる北タイ、かつてはLanna thai王国と言われた、バンコクとは一味違うタイ🇹🇭を味わって欲しいと思う。
帰られる時に、
「チェンマイ最高!」と言ってもらえれたらいいな、と今から思っている。