息子、高校卒業。 | 多発性硬化症ダイアリー

多発性硬化症ダイアリー

2016年7月中旬、足から胸までの圧迫感が出て、1週間経過し総合病院で難病の「多発性硬化症」と診断される。徐々に進行する病。

左親指が痛い。

昨年末から左手の薬指が太くなってい手結婚指輪がきついから外している。

花粉症

体重58kg


体調は変わらずすごしている。

最近気になるのは、左親指のつけ根が痛いくらい。


一昨日ケシンプタ注射を打つ。

そして、昨日7日、検診。問題ない。


先週3月1日金曜日、

息子は3年間の岐阜県の高校を卒業。


最後の1年間は、主将になり新人戦からコンディションよく、このままだったらインターハイも上手くいって大学推薦も取れそう!と想像していたら妄想に終わった。


新監督とうまくいかず、

チームを強くする為に監督に意見したら、

インターハイ前からメンタルから潰すハラスメントをうけていた。

監督は気に入らない息子を外す計画だったようだ。


だからといって主将を外すとまずいらしく

「彼の実力は3部に適していると判断した」と校長や理事長に説明したらしい。

ギリギリのグレーゾーンのハラスメント。

教師が自身の承認欲求や自己顕示欲を満たすため自分とわかりあえない主将をチーム外へ干すという嫌がらせ行為。


インターハイの試合がはじまる2ヶ月前から、トップチームのスタメン外され→ベンチ→Bチーム→Bチームベンチ→Cチームと。


サッカー強豪チームの主将が3部チームのキャプテン以下に。


周りの大人達はほとんどが監督派。


結局、神奈川県から岐阜県に来てサッカーを頑張っている息子が邪魔だったようで、父兄会も監督派になり、監督にはむかうと自分の子供達もトップから外されてしまうから何も出来ないと言われた。


自分の子供が同じようなハラスメントをうけたらと想像したらどう動くのだろうか。監督に一番聞きたかった。

もし、息子が自死を選んだら、、、


そんな息子は、昨年5月の時点では、かなり落ち込んでいたが、数週間で吹っ切れて3部のチームでサッカー練習を楽しんで過ごしていたようだった。

関東の大学推薦もなく、

大学進学はあきらめていたが、

息子はアメリカの大学のサッカー部の監督が集まるセレクションを受けに行き、ロサンゼルスにある大学の監督にプレーが気に入ってもらえたようだった。

さすがに、ロサンゼルス校は英語力が厳しいし、人気校。そしてドル高、物価高、我が家のサラリーマン家庭には全額奨学金がでても無理。結果、英語力が無理ということであきらめて、アリゾナ州の大学に進学することに。アリゾナの大学は授業料と寮費が免除され、渡航費と生活費だけの出費。

日本の大学に進学して欲しかったけど、授業料や寮費免除を考えたらアメリカ行きの方がいいのかな。ここで反対したらずっと根に持たれそうだし。


高校のサッカー部は昨年末に卒団。今年2月に帰省した。

最後の最後までトップチームから干されていたけど、部員達に励まされ、寮生活も乗り越えたようだった。

親にとっては、離れて生活している息子のメンタルは大丈夫なのか不安だったが、逆に監督からのハラスメントをバネにまたまた、強くなったからいいのかなあ。


実家暮らしに戻った息子は、今度はアメリカに渡航するまでの間の半年間サッカーから離れてはいけないと考えて地元の社会人サッカーのセレクションを受けに行っていた。

晴れてトップチームへ入団。

それと同時に初めてのアルバイトも雇用された。


高校最後の年は色々と辛い思いをして過ごした分、今は順調に物事が進んでいるようで、良かった。