1989年6月4日、
北京から香港に逃げた。
夜明けと共に、北京市内ではヘリコプターが飛び出した。
放送されているテレビは、
どのチャンネルを回しても、ずっと民族舞踊・・・
何時くらいかは覚えがないが、
日中友好病院には天安門広場から撃たれた人たちが
次から次へと運ばれ出した。
ストレチャーの上の怪我人は、
腹の穴にガーゼを詰められていた。
弁士のような存在の人が状況を話していたが
北京語は理解出来ないので想像の域でしかなかった。
関係者筋から連絡があり、国外へ退去してくれと言われた。
さっそく、現地案内人にホテルのチャックアウトしてもらって、
荷物を受け取り北京国際空港に向かう。
途中、ウルムチの人民解放軍の部隊まで
北京近郊までやって来ていた。
空港では、既に北京には外国から飛行機は入って来ない。
何とか香港行きのチケットが取れた。
小雨なのに天候不順の為と理由で
8時間余り離陸は許されなかったが、
闇に覆われる時間にフライトが許された。
離陸後、機内は笑顔に溢れジャーナリストは、
惨劇を世界に発信するんだと息巻いていた。
当時、まだ香港は啓徳空港。
ビルの間に飲み込まれて行くような感覚の飛行場。
着陸と同時に
拍手と歓声があがった。
香港の街は、みな熱かった。
街全体が怒りに震えていた!
車のクラクションは鳴り続け、
集会では喪を表す黒いハチマキが配われていた。
香港でCNNを見て初めて水平撃ちの事実を知った。
今の日本は中国より巧みに情報統制されているように思う。
