義足になってから8年間オートバイに乗れなかった。
トラウマはあったが仲間の一言から立ち上がれた。
↓仲間の一言はこうだ!
「事故をした時に30才までに復活すると言ったよね?もう、来年じゃん!
アメリカで障がい者が乗っているような
大きなオートバイを想い描いているんだろうけど、免許もないんだから、小さいのから乗ればいいじゃん」
仲間だから、そんな事も言ってもらえる。
原付から乗り出して大型免許を義足になってから取得した。
事故当時、私は中型免許だった。
事故後に運転技能検査で
125ccの前後手動式ブレーキという限定が付けらてしまった。
仲間の言葉に思わず出た言葉は、
「原付ないんだわぁ」と
云う情けない言葉しか返せなかった。
「じゃ、貸すわ」と
言って貸してくれたのは、
HONDA DJ50
ルーちゃん、復活ツーリングを名打って!
愛知県から石川県金沢 医王山まで300キロ走ったた。
何人かで走ったが原付は自分だけ。
条件は、俺を!抜くな!だったが、出来る訳がない。
先に行って休憩して待っててもらった。
自分はひた走り、
給油して無休憩で、
また、ぶち抜かれるの連続だったww
あれは、あれで楽しかった。
それから、すぐに原付は危険だという事で、
YAMAHA JOG80にステップアップ。
人の欲は果てしない・・・
今度は高速を走りたくなる。
HONDAのフュージョン250を購入。
だが、運転試験場にて技能検査が必要だ。
試験官が確認できるようにブレーキランプ等を試験車両に改造。
車両を持ち込み限定の付いた免許を250ccまで引き上げた。
その時に、障がい者窓口にて、
一般の方と同じ試験で限定解除をさせて下さいとお願いした。
20年程前は、自動車学校では
大型免許は取得できなかったので試験場での試験だった。
きっと、合格する訳はないと思ったのだろう。
了承してくれた。
当時はかなりの難関だったが、
4回目で合格した。
自分の目の前に現れるハードルは、
越える高さのハードルしか現れたりはしない。
人生、そんなもんだ(^○^)震災での心の傷は同じ立場の人ではないと心底わからないだろう。
掛ける言葉は見当たらない。
人は忘れて欲しくないという気持ちから声を上げ出す。
人を亡くした心の傷は時間がかかるだろうが、
自分自身で乗り越えて頂くしか方法はない。
憂いに人が寄り添って
優しい。
見守ってくれて、
ありがとう。

(Buell 1200M2)