ショックドクトリン メモ | ひびのおと

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「序章 ブランク・イズ・ビューティフル」では,2005年9月のハリケーン・カトリーナが襲った直後のニューオーリンズにおいて「教育システムを抜本的に改革する絶好の機会である」という94歳のフリードマンの生前最後の発言の効果を検証している。

 

フリードマンのこの提案を当時のブッシュ政権が支持し,政府による現存の公立学校再建を停止し,公教育にも市場競争原理を持ち
込み,私立学校に公的援助金を支給することで,教育の競争を図るという,教育バウチャー制度が導入された。その結果,ニューオーリンズ市の公立学校は,123校から4校に激減し,民間団体に運営されるチャーター・スクールが増加した。教職員組合を組織していた教員は,組合の契約規定を破棄され,全員が解雇された。「教育現場の強奪」が起きたのである。

 

クラインは,ハリケーン・カトリーナのような壊滅的な惨事が発生した直後,災害処理をまたとない市場チャンスと捉え,公共領域にいっせいに群がる襲撃的行為を,「惨事便乗型資本主義」と呼ぶことにしたと述べている。

 

 

「第一部 ふたりのショック博士」は,本書の特徴を最も端的に表している。

 

ここで取り上げられる,ふたりのショック博士の一人は,マギル大学付属アラン記念研究所所長ユーイン・キャメロンである。

彼は57年から61年までCIAの資金を受けて,彼の考案した「精神誘導psychic driving」という方法による洗脳実験を行っていた。

 

キャメロンは「患者に健全な行動を取り戻させる唯一の方法」は,彼らの脳の中に入って,「古い病的な行動様式を破壊する」ことしかないと確信しており,それを行うために「脱行動様式化 depatterning」というショック療法がとられた。

その目的は,脳を「白紙状態tabula rasa」に戻すということである。

 

脳の正常な機能を阻害するあらゆる手段衽衲電気ショック,薬物,感覚遮断,強制的睡眠など衽衲を使って攻撃をかけ,白
紙状態を作り出す。

しかし,このショック療法には,健忘と幼児退行という副作用があり,心は「きれい」になるどころか,ずたずたに破壊された。つまり,「ショックによって白紙状態を作り出す」とは,破壊と創造あるいは傷つけることと治すことの区別がつかない状態を操
作的に行うことである。

 

このショック療法は後に拷問の手法に結びつき,9.11以降には,拷問の外注化の中でパターン化し,キューバ・グアンタナモ収容所の正当性が主張された。

クラインは,米軍によるイラク侵攻が,イラク社会を白紙に戻し,白紙状態のイラクに「自由と民主主義」を創造すると考えたことそのものに,このキャメロンのショック療法の影を見ているのである。


もう一人のショック博士とは,同じ時期にシカゴ大学経済学部を率いていたミルトン・フリードマンである。

クラインによれば,キャメロンが人間の精神を白紙状態に戻すことを理想としたのに対して,フリードマンは社会を「デパターニング」し,自由放任の市場状態に戻すことを理想とした。

 

歪みや悪しきパターンを抱えた社会には,ショック療法を行うのと同じ,痛みを伴う荒療治になる「政策」を遂行することを進言した。クラインは,この両者に,個人の精神か現実社会かの違いがあるにせよ,深い共通性が見いだせるという。それは,ショッ
クによる白紙状態へ「戻すこと」とその利用である。そして,違いといえば,キャメロンは自国の人々を患者としてすぐに実験対象としたが,フリードマンが現実の政策介入を行うには,20年以上の年月が必要であったことである。

 

その間に,フォード財団の支援によるラテン・アメリカをはじめとした多数の大学院留学生の教育を行い,シカゴ学派の基礎を築き,フリードマンよりフリードマン主義に徹するシカゴ・ボーイズを養成した。

 


「第二部 最初の実験」では,1973年9月のチリ・アウグスト・ピノチェトによる軍事クーデターによる政権奪取後,75 年にフリードマンが経済顧問となり,経済的ショック療法を受け入れさせる経緯が詳細に述べられる。


その後,南米南部地域,ブラジル,アルゼンチン,ウルグアイにおいて軍事政権が成立すると,そこではシカゴ・ボーイズによる経済政策が次々と実行された。

 

しかし,同時期のアルゼンチン軍事政権は,「祖国浄化」作戦による人民への弾圧を強め,国際人権運動から批判対象となった。人権団体は,一連の人民弾圧を「人権侵害」問題として批判したが,逆に言えば,人権問題としてのみ捉え,そこに限界を露呈させたとクラインは指摘している。

 

つまり,軍事政権下での弾圧の根底にあった,急激な自由放任主義的経済改革の実行が何をもたらしたのかについて,一切触れることがなかったという。

 

アムネスティ・インターナショナルなどの国際人権団体の限界がここにあり,以降,この限界ゆえに,人権問題と経済政策は「全く関係ない」ものと理解された。

 


「第三部 民主主義を生き延びる」では,80年代初めには,イギリスではサッチャーが,アメリカにはレーガンが政権の座にありながら,南米南部地域で行われた経済政策がイギリスとアメリカで実行可能であるとは思われていなかったこと,イギリスでの政策転換の機会はいつ訪れたのかについて詳述している。

 

サッチャーは,初めてハイエクから,チリを見習い,ショック療法を取り入れるよう勧められたとき,ハイエク宛の手紙において
「イギリスには民主主義的な制度があり,高いレベルの合意が必要とされているため,チリで採用された方法のいくつかは到底受け入れられない」と返信している。


サッチャーが翻意するのは,クラインによればフォークランド紛争を契機とする。

これ以降,南米においてしか実行できなかったシカゴ学派の経済政策が,イギリスにおいて導入されることとなった。

事実,サッチャーは「フォークランドでは外からの敵と戦ったが,今は内なる敵と戦わなければならない」と演説し,炭鉱労働組合のストライキ鎮圧に入り,84年から88年までに,通信,ガス,航空機,鉄鋼などの国営企業民営化を断行する。

 

 

「第四部 ロスト・イン・トランジション」は,冷戦体制崩壊期の移行状態において何が起こったのかが詳述される。

 

ポーランドがショック療法を受け入れる過程,天安門事件をきっかけとした鄧小平路線の定着,南アフリカでアパルトヘイトを終結させるにあたって,マンデラらANC 側の経済交渉での敗北,ロシア・エリツィン政権下でのオルガリヒが国家資産を手中にする方途,97年アジア通貨危機以降におけるアジア各国の主要公共部門の民営化,国内企業の外国多国籍企業による合併・買収,依然として高い国内失業率。

 

クラインは,これらは,第2のベルリンの壁崩壊に匹敵すると述べている。

 


「第五部 ショックの時代」では,第四部までは米国の外で行われた事象を扱ってきたのに対して,米国内部で何が生じたのかがテーマとなる。

 

90 年代後半,ブッシュ政権は,米国の国家中枢機能衽衲軍,警察,消防,刑務所,国境警備,秘密情報,疾病対策,公教育,政府機関の統括衽衲の民営化の動きを強めた。


クラインによれば,これは国家中枢の空洞化という事態であり,ショック・ドクトリンが自己言及的な新局面を迎え,惨事便乗型資本主義が確立してくることを意味する。

 

例えば,ペンタゴンによる,ヒューストンに本社を置く多国籍企業ハリバートンに対する業務委託の導入は,「原価加算方式」である。

これにより,ハリバートンにとって,戦争は収益性の高いサービス業務となり,「軍隊のマクドナルド化」が出現した。

 

クラインによれば,9.11直後の人々がショック状態にあった時に進行した事態は,表向きは「テロとの戦い」を目標に掲げつつ,
その実態は,惨事便乗型資本主義複合体の進展であった。すなわち,警察,監視,拘束,戦争遂行といった国家権力を強化しつつ,セキュリティ,占領,復興という新事業が外部委託され,利潤目的の民間企業に手渡される体制の構築であった。
 

 

「第六部 暴力への回帰」では,アメリカのイラク侵攻目的が,ショック療法によるイラクの白紙状態化にあり,当初はそこに「中東自由貿易構想」にもとづく「新たなモデル国家創設」にあったと述べる。

 

米軍「衝撃と恐怖」作戦とは,ショックと恐怖,混乱と心理的退行を起こさせる感覚遮断と過負荷によって国全体を痛めつけ,
インフラ施設を故意に破壊し,この国の文化や歴史が崩壊するのを放置し,その後,安い家庭用品やジャンク・フードを雪崩れこませ,その過程をテレビで生中継し見世物と化すというものである。

その一方で,イラクに「民主主義を根付かせる」という任務さえも外注民営化する。

 

しかしながら,国政選挙の白紙撤回以降,多数派のシーア派からも徹底した抗議行動がおこり,「白紙状態」にするという夢想は,その分身である「焦土作戦」に変貌する。

イラクが混乱に陥れば陥るほど,もたらされた結果は,最小限におさえられた軍隊をバックアップするための,戦争民営化産業の隆盛であった。


イラク侵攻による「白紙状態」,デパターニングは,米国の国家中枢機能の民間委託であり,惨事に便乗して,破壊と「再建」のどちらにおいてもビジネスチャンスを得る,惨事便乗型資本主義のパターン化であった。
 

 

「第七部 増殖するグリーンゾーン」では,2005年インドネシア・スマトラ沖地震と津波という自然災害が発生した後,次の津波に備えたバッファー・ゾーンが設置された事象を取り上げている。

 

ゾーン設置により,海岸の漁民住宅の再建は禁止され,居住していた土地そのものが収容された。かわってゾーン内部には外資系ホテルによる高級リゾート開発,観光ビジネスの拡大が再建プロジェクトとして進行する。

 

この状況を,クラインは「第二の津波」と呼び,第二の津波の襲来は,タイ,モルディブ,インドネシアでも同様であったという。

 

同時に,2005 年,ハリケーン・カトリーナに襲われたニューオーリンズにおいては,学校,病院,交通システムといった公共空間は再建されず,むしろ「消去」され,欧米世界で初めて出現した荒廃した都市の様相を呈した。


その後は公共部門の民営化である。一方で,富裕層はフェンスに囲まれたゲーテッド・コミュニティのなかで,民間サービスでニーズを充たす。

 

惨事後のショック状態は,ゾーニングという分断の進行を許し,「災害アパルトヘイト」ともいうべき未来像を垣間見せるという。


非常時の常態化はグローバル経済の損失をもたらすという通念は,今や過去のものとなった。

惨事便乗型資本は,世界各国でゾーニングと要塞化に励んでおり,戦時,混乱,復興のもたつき,再建,管理運営,いずれの局面でも利益を得るのである。

 

その反対側で,国家はその中枢機能を空洞化させる。

 

 

「終章 ショックからの覚醒」では,スマトラ沖地震と津波で被災した漁民の直接行動,タイの復興に関わる草の根リーダーとニューオーリンズの人々との交流など,公的な復興計画を拒み,自らの手をつかって交渉する無数の人々の現在について触れている。

 

これらの人々は,「白紙状態」にされたのではない。

ここには,瓦礫や廃品など「残り物」がいくらもあるのだ。

自分たち自身の手で,回復することは可能なのだと述べている。

 

 

優れたジャーナリストが人の心を揺さぶるのは,おそらく,専門家では到底言いえないことに,言葉を与える時であろう。

 

本書もまた,その例にもれない。ナオミ・クラインは,シカゴ学派ミルトン・フリードマンの経済理論に基づく新自由主義的経済改革が,固有の歴史をもつ社会を「白紙状態」に戻し,そこに市場中心的な経済を構築することを「理想」とするという点において,人間精神を「白紙状態」に戻すことを「理想」とした,マギル大学ユーイン・キャメロンが行ったショック療法の開発
との同質性を見出している。

 

新自由主義に牽引されたグローバル化の功罪に対して,ショック状態に陥った社会に便乗して実行されたものであるという,クラインの批判は,従来の新自由主義批判論の中でも特出している。

 

同時に,アメリカこそ,国家中枢機能まで民営化し,それをサービス業務とする災害便乗型資本主義へと変転したことを指摘する。

本書全体を通して主張されているのは,ショック状態に陥っているのは,アメリカそのものなのだということである。

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/peq/50/2/50_KJ00009361212/_pdf/-char/ja#:~:text=%E3%80%8C%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF,%E3%81%AE%E3%81%93%20%E3%81%A8%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82