採桑老(さいそうろう) メモ | ひびのおと

ひびのおと

メモ代わりに日々のなかで気持ちが向いたことを更新 
千葉県市川市で治療院を経営しているので健康に関する内容が多いです

採桑老(さいそうろう)は雅楽の曲のひとつ、左方、盤渉(ばんしき)調の曲です。古来、この曲を舞うと数年後に死ぬといわれています。内容は不老不死の薬草を求めさまよう老人が老いてゆく姿をあらわしています。
用明天皇(在位586~587)の頃、大神公持(おおがのきんもち)により中国から伝えられたと言われています。『教訓抄』によれば、多(おおの)家が秘曲として伝承していましたが、康和2年(1100)に多資忠(すけただ)が山村正連に殺害されて一度絶え、のち勅命により天王寺の秦公貞(はたきみさだ)によって復曲され、資忠の子 近方(ちかかた)に伝えられました。
 この採桑老の軸は江戸時代中期の公家四辻公亨(よつつじきんみち) の着賛で、絵師は不明です。

  三十情方盛、四十気力微 
  五十髪毛白 六十行歩宣
  七十懸杖立 八十坐魏々 
     南溟縢公書(印)

公亨の賛は採桑老で舞人が舞の途中で唱える短い句・詠の一部です。その全文は、

  三十情方盛、四十気力微、五十至衰老、六十行歩宣  、七十懸杖立、八十座魏々、九十

得重病、百歳死無疑

  三十にして情まさに盛んなり、四十にして気力微なり、五十にして衰老に至る、六十に

して行歩宣たり、七十にして杖に懸りて立つ、八十にして座すこと巍々たり、九十にし

て重き病を得、百歳にして死すること疑いなし

採桑老の詠の90歳と100歳の部分が不吉だとされ常に唱えなかったそうです。公亨が書かいた賛にも90歳、100歳の句を省かれています。
 平均寿命の短かった時代にはこの舞は長寿願望のお目出たい舞だったのかもしれません。面は、青白い素地にシワが縦横に刻まれ、下をにらんだ半眼で老人のデスマスクのようです。本来、年功のいった楽人が舞うのを前提とした曲だったことから、このような説が生まれたのでしょう。またそうした楽人が舞うからこそ老いゆく老人を表現することができるのだと思われます。