按摩の技術というのは、歴史が古い(日本では757年の養老律令の医疾令に按摩博士などの役職がみられる)ので、私にとってはいまだに活かし方がわからないものもあります。
曲手は、そんなテクニックの集まり。 『頭の上で手をゴリゴリする』はまだしも、『両耳にひとさし指をいれて親指を中指ではじく』はどのような効果を狙ったのか?
さすがに意味の無いものは伝承しないと思うので、ときどき頭にのぼってきます。
身体というものに対する考え方・哲学が、明治に西洋文明が広がる以前と以後では大きく変わっているので、明治以後の私には気付かない活用法もありうると思います。
例えば江戸時代の絵では、火事から逃げる庶民の走り方が、「ナンバ」といわれる足と同側の上半身が一緒に前にでる姿だったりします。
-江戸前期の浄土真宗の僧・浅井了意〈あさいりょうい1612~1691〉が万治4年(1661)に刊行した仮名草子-
手の反動を使う歩行はエネルギーのロスになるし、農耕民族の庶民にはそんな動きの必要が無かったという説があります。 鍬で畑を耕すのも同じ身体の使いかたになるといいます。
身体というものの捉え方も、現代とは違ったロジックが基になっていたようです。 確かに赤血球とか自律神経、感染による発熱など、現代なら普通にうかぶ言葉が確立されていない時代です。
逆に、江戸時代の人々が病に伏したときに自然にうかぶ言葉が、現代の私にはうかばない。
対象の状態・変化をとらえていないテクニックに効果がでにくいのはあたりまえで、そもそも変化をさせる対象がわかっていないテクニックは奇妙に見えてしまうのかもしれません。