こんばんは!
セルフケアアドバイザーの
ぐっさんこと長谷川智美です。
(旧姓は川口な私の自己紹介はこちら)
蝉が主役とばかりにBGMと化する日常にも
すっかり慣れる頃
胸はざわざわとザワつきはじめるのです。
熱かっただろうなぁ、苦しかっただろうなぁ。
旬のものを食べると特に思います。
ひもじい夜は辛かっただろうなぁ。涙したかなぁ。
喉が乾いたら好きなだけ飲むことができる。
夢のような贅沢な暮らしぶりに。
お味噌汁が沁みてしょっぱくなることもある。
ありがとう、が込み上げてくる。
そんなつい先日の八月の一日、八十五の義母
との、お腹いっぱい幸せな昼下がりのこと。
終戦時は十の頃、着物と引き換えに
農家にお米を貰いに行っていたそう。
戦後の混乱期、まだお米は贅沢品で
見つかると没収されてしまう。
だから米粒が溢れないように縫った布袋を
腹に巻いて、米一升をバレないように運び帰る。
その重さ1.4kg、それよりも冷たくて腹が冷えて
我慢ならなかったそう。お米をずっと触ってたら
本当に冷たいよ。もう脱ぎたいと懇願したくらい。
昭和初期生まれとはいえ、小学五年生くらい。
本当によく踏ん張ったのだと思います。
白米ちょこっとと大量のさつまいもを炊く
ほぼさつまいも粥を食べる。お米は高級品。
戦時中、日本人は大したもの食べてないのに
その体力はどこから?と思われていたそう。
粗食の素晴らしさを改めて考えさせられます。
終戦間際には家中の武器になりそうなものが
持っていかれたそう。鉄格子を切ってまで。
お鍋まで持っていかれてお母さんは
隠しときゃ良かった、と泣いていたそう。
そう遠くない昔は今では考えられないくらい
奪われていたし、
そう遠くない今は昔では考えられないくらい
有り余っている。
祖先からつむいできた命の端っこにいる私たち。
足りてないのはその有り難みかもしれません…
では

