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Lady Rock

香港より、国際的に活躍してい人や輝くために自立したい人のためのブログをお届けしています

とあるグループのミーティングで、つい最近日本人らしさを求められたことがあった

その時に無性に言い表せない違和感を感じて、数日その違和感について考える機会があった

 

日本人らしさを出せない私って、アイデンティティを失った非国民なのか

日本というキャリアでのセールスポイントを活かせずにいたら、成功しないのではないか

 

もちろん日本人ということを最大限生かせば、お金になることも多いだろうし、日本人同士の友達もできやすいのは確か

ただ、私の心が日本人ということを活かしていくということを望んでないということに気が付いたのだ

どの国出身かということよりも、いろんな国がブレンドしている私として活躍していきたいと

 

海外生活15年になってくると

日本企業に働いていたり、日本人コミュニティと深くかかわっていない限り、日本との関りが薄くなってくる

気が付けばほとんど英語しか話さない生活を過ごしている

もちろん日本国籍であり、日本語が出来るということが私のセールスポイントではあるが

帰属意識というものは限りなく薄いが

日本がもっともっと良い国になるといいなということに関しては強い想いがある

 

ただ、国単位での政治経済的利益の追求が今まで、そして今でも戦争の原因を作っていることを思うと

国単位で物事を考えることによってもたらされる不幸の大きさを目の当たりにさせられる

 

国単位での優劣の思想が人種差別を招いていて

先日アメリカでただスターバックスで座っていた黒人が逮捕されたという事件はあってはならない差別的思考によって招かれている

 

日本人は比較的アジア人の中では好意的に捉えられている国民ではあるけれど

だからといって私たち日本人は他のアジアの人を差別的に捉えてしまっては仕方がない

 

大陸の中国人たちも多く生活する香港で生活をしていると、確かにマナーの差を見せつけられることがあり、不快な思いもしたことがないわけではないけれど

私たちはもっと大きな視点で物事を見ていく必要があるのではないか

国単位というより、グローバルに、そして人間愛というものにもう少し焦点を合わせていきたいと思うのは私だけではないはず

この15年の海外での生活で私の人生の転機のカタストロフ的な役割をしてくれた人

みなそれぞれ国籍は異なる

フィリピン、韓国、スイス、フランス、イギリス、南アフリカ、香港、アメリカ。。。

 

政治的にも、経済的にも、文化的にもそれぞれ異なるバックグラウンドを持った人々が私の人生の岐路で交差し

私の人生にポジティブで大きな変容を起こすきっかけになってくれた

 

バックグランドは全く違っても、みな心を持った人間であり、共通するものは愛なのである

 

冒頭に取り上げたミーティングで日本人らしさを求められたことで分かったこと

私はすべての国の人をもう国というフィルターで見ることをせず

愛をもった人として接していこうと誓ったのだ

 

どの国が素晴らしくて、どの国は劣っていると国単位の比較をするより、それぞれ人の愛の質と大きさに目を向けるようにする

グローバルな人間愛というものを今後たぶん死ぬまで続くしれない海外での生活で実行していこうと決めたのである

 

どこまでもボーダーレスで自由な人生のために

メディアでの仕事で

海外では何も問題がなくできることが、日本にある海外の名のあるメディアではできないことが多い

 

広告は人の目に美しく印象を残すことによって効果が出るもの

 

私の外資系のクライアントは広告制作がアメリカ各地やロンドンで行われることが多いため、グローバルスタンダードの広告を日本でも同じく行おうとすると、「規則でこのような容量の大きい広告はできません。」と言われてしまう

 

テクニカル的には、大きな容量のデジタル広告がそのメディアに迷惑をかけることはない

日本以外のほかの国では全く問題ないことである

 

広告を出す会社としては、お金を出して美しく印象に残る広告をと思うのが当たり前なのだが、それが許されない

規則、ルールたるものが、仕事の完成度の高さや美しさを台無しにしてしまうというである

 

そんな日本独自のルールから解放されて生きていきたいと私は海外での生活を選んだ

 

香港は日本に比べたらとっても多国籍で自由な都市であることは確かであるが

その自由な都市で私を縛っていたものに気が付いた

それは他でもない私自身であった

 

自分に課したルールがたくさんあったことに気が付く

毎日ジムかきつめのヨガクラスで汗を流すこと

ジャンクフードやカロリーの高い食べ物には手を付けない

仕事や友人達とのドリンクの機会ではカロリーの高いカクテルは避ける

など、特に私は容姿を保つためのルールをたくさん設定していて

 

運動をする時間を捻出することに躍起になり

食べ物を食べることに罪悪感を覚え

新しい種類の美味しいお酒を知る楽しみもない

自由な環境の中にいながら、自発的に牢獄に自分を放り込んでいたようだ

 

そんな生活をちょっとやめてみようと思ったのが1か月前

運動は身体が欲するときにハイキングやヨガをしたり

食べ物はいろいろ自由に食べてみたり

ドリンクの機会ではそのお店ごとのスペシャルなカクテルを楽しんでみたり

 

結果としては

 

運動しすぎて付きすぎた余分な筋肉がそぎ落とされ動きやすいくなり

食べ物もルールがないけれども身体が自然とヘルシーなものを欲するようになり

仕事のお付き合いで行ったバーで目が覚めるような美味しいカクテルを発見して喜びを感じたり

そして何より、PMSの症状がほとんどないまま過ごすことが出来た

 

この快適な生活を続けてみよう♪

 

今まで自分に鞭を打って、制限をして生きていた時

今思うと食事との関係性というのが最悪だったのかもしれない

摂食障害で悩んだ過去があり、それをどんどん克服してきたのではあるのだが

運動と食事制限で自分をルールに縛り付けてコントロールするやり方だけが自分を救うことだと思ってきた

 

やっとわかったこと

食べ物と仲直りすることと、もっと大きな意味では自分自身と仲直りすることの大切さ

頑張るのもほどほどにということである

 

40歳目前にして、やっと10代から共にしてきた摂食障害的な考え方から自由になる道が見えてきた

ひたすら自由になる人生の第一歩

私は日本の学校制度に全く合わない元不登校児である

日本の大学を卒業するまで、学校が好きだったことはほとんどない

 

私がどんな大人になるだろうと、その当時親も心配したに違いない

社会というものに完璧に不適合だと見られていたことは言うまでもない

 

あれから大人になった私は、仕事をして、自分が最適な環境(海外)に身を置いて、きちんと働いて自立した生活を送っている

精神的・経済的自立を手に入れ、様々な国出身の友人がいて、仕事に夢をもって生きている

 

そう考えると、学生の時に学校に行けなかった、行きたくなかったのは

私に問題があったことがすべてでなく、日本の教育システムが合わなかっただけだということになる

 

元不登校児として思うのは、親が子供にこうあるべきという自分の理想を押し付けるのが最大の不幸の原因であるということ

 

家族であっても子供であっても、それぞれの人生はその人のものであって

 

それをコントロールしようとするのはナンセンス

 

必要以上に守らなくてもいい

 

子供はその時に必要な経験をしているだけ

 

その問題が乗り越えやすいような環境を提供したりアドバイスしたりすることが親の役目であって

率先してその問題に介入して、自分が動き回るという必要以上の介入はいらない

 

不登校の子供が欲している唯一のことは

「あなたなら乗り越えられる」

という親からの信頼なのであって

 

その問題自体、乗り越えることがその子の成長につながるから起こっているだけ

 

自分問題解決をする力を育んでいるその時に

答えを与えたり、必要以上に手助けすると

子供が学ぶはずのことが学べないままになってしまう

 

“その時々に超えられなかった問題というのは、もっと大きく複雑な形で、自分が解決することが出来るまで人生に現れ続ける”

 

苦しんでいる我が子を見るのは親として心が痛む

そんな時こそ、自分で自分を幸せにして、子供に愛と笑顔を送れるような自分でいることが親の最大の役目なのではないか

 

親の笑顔と幸せが、子供にどれだけ力と勇気を与えるかということきちんと認識しよう

 

間違っても‘子供のため’という名目で、自分の意向に沿わない決断をしないように

大きな意味でそれは全く子供にはありがた迷惑であり、むしろ不幸のスパイラルに自ら足を入れること

もっと言えば、我慢をする私というものに対する自己満足にすぎない

 

幸せでいよう

幸せであろう