祖母が亡くなりました。
83歳の大往生とも言える歳。
わたしが高2のときに倒れ、祖母はそのまま寝たきりになりました。
ばーちゃんに料理教わりたかったなあ。
栗ごはん美味しかったな。
車イスになった祖母のために、ダイニングコタツ買って
ふつうのコタツより足が長い。
仕事上がりに持って行って従弟と組み立てたなーとか、
あと半年待ってくれたら赤ちゃんに会ってもらえたのになあとか
いろんな思いが去来します。
17年、体も言葉も不自由なのに
意識だけはしっかりしているのは
働き者の祖母にとってはツラい長い時間だっただろうな。
妊婦のわたしが祖母の葬儀に参加を許されたのは
告別式のみでした。
お腹に鏡、腹巻のポケットにうまく入らなくて
キャミソールにガムテープ貼って固定したよ・・・
お通夜もダメ、焼き場なんてもってのほか、と
両親と喪主の叔父に完全ブロックされて大半の時間が自宅待機でした。
”告別式でも最後までいなくていい。先に帰りなさい”
と言われ親族席ではなく、
参列してくれたAくんとAくんの両親と一緒に一般席で焼香して帰りました。
葬儀会場でいちばん最初に姉と会ったけど
ガン無視された上、目が合えば睨まれたので隣に座らずに済んでよかったかも。
ばーちゃんの葬式でも自分の気持ち最優先か。
祖母が亡くなった、という実感はうっすらとしかありません。
やらなきゃいけないことが多すぎて、悲しみに暮れる余裕がありません。
でも、胸の嵐は吹き荒れています。
般若心経の絵心経に書かれる目は、
祖母が意識不明と連絡を受けた日、
11月に挙式を控えた従妹がいる叔父から
「こんなときに結婚式はどうしよう?」と
長子長女の母に打診がありました。
母は「ばーちゃんの性格上、
やめた方が悲しむと思うからそのまま10月も11月も予定通りに」と。
祖母の死から時間のそうあかないまま、
挙式するのかと思うと複雑な気持ちになります。
お腹の子は日々大きく成長してくれてる。
ばーちゃんは生き切って今世の学びを終えていった。
わたしの結婚も妊娠も今このタイミングだった、
と自分に言い聞かせて準備をしてます。
お式終わったら、その時に思いっきり悲しもうと思います。