違いがあるから苦しい

でも違いがあるから気づける

だから、その違いをじっくり見つめてみる

わかり合えないと感じることは悲しいけれど、わかり合えなくてもいい。
ただ、お互いの違いを認め合ってむやみに傷つけ合わなければいいと思う

同じになることはできない。
違うまま、お互いの違いを認め合って、それぞれの成長の糧にしていけたら。

それを望んでいるのにね。
どうして、こうなってしまうの?

お互いの、背景に想いを馳せる心のゆとりを持ちたい。

何を優しさと思うのか。
何を愛と思うのか。
その定義が違うと一緒にいることは難しい。
抽象的な概念を表す言葉は不完全に2次元に畳み込まれた3次元のホログラムのようなもの。
光で再現されたとき、私達の意識の光には様々な波長の違いがあるから、再現されて意識に立ち現れてくる定義が違うのは当然のこと。

言葉は時に争いを産む。

シンプルな情報伝達には便利だけれど、本質にせまることはできない。

だから、行動が全て。
在り方が全て。

私は人を誤解したくない。

だから、言葉よりも、その行為を大切にしたい。

行為は全てを語っている