公立保育園保育まつり実行委員会が開催する自主上映会に参加させていただきました。
文部科学省の学習指導要領が2020年度から「探求学習」に大きく舵を切りました。
30年前から「探求学習」を実践している
先進的な学校があります。
テストがない、
「先生」がいない、
「きのくに子どもの村学園」。
そんな「学校教育」の常識を打ち破る衝撃のドキュメンタリー。
小学生、中学生の成長する姿と、生き生きとした目、生き抜く力の根っこの醸成の過程を目の当りにできました。
50歳の飯塚の脳が記憶しているうちに
印象に残っている言葉やシーンを(一言一句間違わずに伝えるのは不可能なので、お許しください)箇条書きでシェアしたいと思います。
ちなみに時系列もバラバラです。(思い出す順でw)
・「問い」は暮らしからうまれる。
(これが本当の学習)
・雑談が話し合いになっていることもある。
(無駄なことはなにひとつない)
・子どもも大人もおなじ一票
(対等な立場として論議して決めていく)
・発達障害は画一的な学校教育が生み出したのかもしれない
(本来の姿のまま多様に生きていくことができる)
・「ほりさん、ここにいると私でいられるの」(小4の言葉)
・入学式→入学を祝う会、運動会すべて子どもが企画運営
・綱引きは「ネコ派vsイヌ派」「こどもvs昔子どもだった人」でガチンコ勝負。競技は出てもいいし、出なくてもいい、自分が決める。
・こどもたちが「素に戻ったら」「自由になったら」いじめはなくなった。
・きのくに子どもの村学園に転校してきた子が、おとなの部屋(職員室と呼ばない)に「失礼します」と入ってきたとき「お?何か失礼のことされるのか?」と返す大人。
・子どもたちが教育の主役(本質だと思いました)
・校長権限で校則はゼロにできる。(学校教育法28条、地方教育行政法23条)
思い出したいのに、脳の老化が・・・・(笑)
そして、なによりこの言葉にしびれました
学校が夢を見られる場所でありますように
自分のままでいいという祝福を
受けられる場所でありますように
教育の形はAIが発達する近未来、今と同じままではいられません。もっと、人として伸ばすべきことが学童期には無限にあることにハッとさせられました。
わが子たちが義務教育を終えるこのタイミングではありますが、わが子のようにかわいく思える、友達の子どもたち、地域の子どもたち、の未来に一石を投じる作品の一つだと思いました。
学校から変えていく…ではなく
たとえ学校が今すぐ変わらなくても
おとなの意識から変えていくことが、
子どもが子どもの時間を子どもとして生きていける
そんな気持ちで映画を見終えました。
「感動」というのとはちょっと違う
「心が動いた」という感覚。
若い人たちの言葉で「エモい」とでもいうのでしょうか。
あ~~~~、語彙力と文才が圧倒的に足りなさすぎる私。
今回お声掛けいただいた所沢市の保育士のお友達と実行委員会の方々、ありがとうございました。
そして、急なアナウンスだったにもかかわらず、会場に足を運んでくださった方か方々、ありがとうございました。
徒然なるままのレポでした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
追伸:中学生時代にTHE BLUE HEARTSの大ファンだった飯塚はエンディングに「夢」という曲が使われていたことがうれしかった~
あれが欲しい これが欲しい
もっと欲しい もっともっと欲しい
というサビは有名ですが、
たてまえでも 本音でも
本気でも うそっぱちでも
限られた時間の中で
借り物の時間の中で
本物の夢をみるんだ
というフレーズが私は大好きでした。
他人に夢を語るときには本気の夢も建前混じりだったり嘘が混ざったりするかもしれないけど、自分の中に本物の夢を見ることの大切さを力強く歌っているのかな・・・って。また、限られた時間、借り物の時間は、子どもである時間にいつか終わりがあることもわかっているのでしょう。…きっと。
追伸長っ失礼しました。